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二十二、戸惑いと戯れ

   今日も、布団の中があたたかい。そして、狭い。  薫は背中をぴったり壁にくっつけた状態で、ゆっくりと目を開いた。  この間一緒に眠って以来、深春は迷い猫のようにちょくちょく薫のベッドの中へと潜り込んでくるようになった。  あの日は、混乱し疲弊した薫を慰める兄貴分のような雰囲気を出していた深春だが、ここのところは、「人肌の温もりを思い出しちまって寂しいんだ」と大真面目な顔をしてベッドに入り込んでくるものだから、薫のほうも落ち着いて眠れやしない。  ついつい、何か自分と特別なことがしたいのではないか、特別な感情を抱いてくれているのではないか、未知なる世界へ誘われてしまうのではないか……とあらぬ期待をしていたが、この一週間、二日に一度はベッドに入り込んでくるくせに、深春はただただ薫にひっついて眠るだけで、これといって何も起こってはいないのが現状だ。  ――まぁ、そりゃそうか……そうだよな……。深春みたいにカッコいい男の人が、僕みたいなのとどうこうなりたいとか、思うわけないし……。  薫と過ごす時間に、深春が安堵感を得ていることは分かる。  しばしば夢の中で前世に立ち戻り、寝言や寝起き時に幼さを露見してしまう自分を、薫は受け入れてくれるから――と、深春はそう言っていた。一緒にいて安心できると言われているのだから、喜ばしいことのはずなのだが……。  ――というか……僕はいったい深春とどうなりたいんだ? 何を期待してるんだ……!? そりゃ、こうやってそばに来てくれることはすごく嬉しいよ? でも、こんなんじゃなくて……僕は深春のこと、もっと……。  深春が同じベッドで眠っているだけで、ドキドキと胸は高鳴り、あろうことか下半身にまで血が滾る状況だ。認めたくはないが、これはもうどうしようもない事態だ。  ――僕、ゲイなのかな……。高校は共学へ通っていたけど、女の子に興味なかったし……っていうか、普通の人間関係になれるのに必死で、そういう余裕がなかったってだけだと思ってたけど……まさか深春にこんな気持ちを……。 「……どうしよう」  その可能性に気づいてしまうと、なんだか妙に息苦しさを感じてしまう。こんな不毛な気持ちを抱きながら、深春と一緒にいていいものだろうかと。  深春は女性にすこぶるモテる男だ。薫のような相手に好意を寄せられても困るだけだろう。  珠生と舜平という同性カップルを間近に見たばかりだが、それは薫にとって何の気休めにもならない。だって彼らは前世からの付き合いがある上、互いに背中を任せ合えるほどの手練れ同士だ。容姿の端麗さにおいても釣り合いが取れていて、文句のつけようがないほどにしっくりと絵になっている。  ――それにひきかえ、僕は……。  息苦しさを通り越し、そこはかとない悲しみを感じるようになってきた薫は、一旦深春から離れるべくベッドから出ようとした。だが、身じろぎをした薫のシャツを、ぎゅっと深春が掴んでいる。 「…………どこ行くんだよ」 「え、えと……と、トイレかな。それにもう朝だし、僕、早めに大学へ……」 「だめ、もうちょっと」 「えっ」  くしゃっと乱れた柔らかなくせ毛の下から、深春のとろんとした目がこっちを見ている。思わず手を伸ばして前髪をかき上げてやると、深春は心地好さそうに目を閉じて、薫のされるがままだ。  指に絡まる優しい感触と、伏せられた長い睫毛、気の抜けた表情……それらを間近で見守っているだけで心臓はばくばくと激しく高鳴って、愛おしさに胸が詰まった。  ――ああもう……かわいい……。  柔らかい髪を撫でつけるように、耳の後ろまで手のひらを滑らせた。耳たぶを飾る黒いピアスが鈍くきらめき、目を閉じた深春の表情を、さらに色っぽく見せている。  色あせたオレンジ色のタンクトップの襟ぐりは広く開いていて、くっきりと浮かんだ鎖骨のラインがすごくきれいだ。しなやかな首筋は白くつややかで、とくとくと穏やかに脈打つ深春の拍動を、指先越しに感じることができて……。 「……くすぐってぇ……なにしてんだよ」 「あっ……ご、ごめん」  深春が不意にこちらを向いたことで、自分が深春の耳裏から首筋にかけて、淡く指を這わせていたことに気がついた。恥ずかしさと気まずさでかぁぁぁと顔が熱くなり、薫は慌ててベッドから立ち去ろうとした。だが、唐突にぐいと手首を掴まれて、その動きは阻まれた。  セクハラだと咎められる、気持ち悪いと思われる。そうなると、深春に嫌われてしまう――そう思うと怖くなり、薫は深春から顔を背けたまま、とっさに謝罪の言葉を口にしていた。 「……ご、ごめん! いきなり触って、気持ち悪いよね、ごめ……っ……」  だが降りかかるのは叱責の言葉ではなく、唇に触れるあたたかい弾力だった。  今の柔らかな感触は、いったい何だったのだろうと呆然としているうち、ぐっとうなじを引き寄せられた。  そしてもう一度、今度はしっかりと、深春が薫に仕掛けてきた行為を認識した。  ――えっ…………!? な、何で……っ……!?  少し乾いた深春の唇が、薫のそれにしっかりと重なっている。戯れのように下唇を食む柔らかなその感触に、カッと全身が熱く燃え上がった。 「みはっ……みはる……!? な、何して……」 「何って……キス」 「えっ!!?? な、なんでっ……」 「なんでって…………したいからじゃね?」 「へ……っ……ふぅっ……」  深春はぼうっとした表情のまま、もう一度薫にキスを仕掛けてきた。  今度は唇を覆うように柔らかく食いつかれ、角度を変えては下唇を甘く吸われて、ちゅっ……ちゅう……と淫らな水音が溢れた。ドッドッドッドッドと、心臓が聞いたことのない騒ぎ方をしている。これ以上ないというほどに顔は熱くなり、緊張のせいか興奮のせいか、全身が硬直して震えている。  そうこうしているうちに、とろりと濡れた深春の舌が、薫の唇の上をゆっくりと辿りはじめた。驚きのあまり思わず口を薄く開くと、そっと口内に忍び込んできた深春のそれが、薫の歯列を舐めくすぐる。思わずビクっと反応すると、深春の口から、小さく熱い吐息が漏れた。 「みはる……っ…………はぁっ……」 「もっと口開けろよ。……もっと」 「へっ…………で、でも……っ……」  こんなことをしていていいのだろうか、いいはずがないと、薫はひたすらに混乱していた。深春は寝ぼけているに違いないが、こんなことをされてしまっては、今後、自分は深春に対してどう接してゆけばいいのか分からなくなる―― 「んっ……は……ッ……」  だが、戸惑いとは裏腹に、薫の肉体は燃えている。深春から与えられる淫らなキスに、芯から高ぶりはじめている。  自分から深春に覆いかぶさり、求められるままに口を開いて舌を差し出す。すると、下からいやらしい動きで舌を舐られ、緩急をつけて吸いつくされれば、痺れるような甘い快感に、理性が激しくぐらついた。 「ハァッ……深春……っ……ぁ、ぅ」 「かわいいね、おまえ。……すげぇ勃ってんじゃん」 「だ、だって……こんなの、初めてで……」 「……はぁ…………なんか、俺もエロい気分になってきた」 「へ……?」  ふと顔を離してみると、深春を間近に見下ろす格好になっている。薄暗い中でも、深春の頬が赤く上気しているのが分かった。  これまでに見たことのないような色っぽい目つきで、誘うように薫を見上げる深春の肌も、ほんのりと火照っている。夢中でキスをしているうち、ゆるいタンクトップがよじれたらしい。深春の白い胸筋と、ちらりと覗く薄桃色の小さな乳首を見つけてしまえば、深春から放たれるあまりに淫らな艶っぽさに、薫は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を受けてしまい……。  そしてそのまま、もう一度深春に覆いかぶさろうとしたその時。  勉強机に置かれていた薫のスマートフォンが、けたたましく電子音を鳴り響かせはじめた。  思わず仰天し、慌てて身を起こして画面を覗き込む。そしてもう一度、薫は仰天した。  スマートフォンの画面には、『藤原修一』という名前が表示されているのである。 「ふ、藤原さんから電話……!?」 「えっ! 何で? とにかく出ろよ」 「う、うん……」  むくりと起き上がった深春に促され、薫はそっとスマートフォンを手に取った。  深春はというと、ついさっきまでセクシーな雰囲気を全面に押し出していたくせに、あっという間にいつも通りの顔に戻っている。こういうことに慣れているから、平気なんだろうな……と思うと複雑な気分になるが、今は藤原の電話に出なくてはならない。 「も、もしもし……」 『おはよう、藤原だ。朝早くから申し訳ない。今、話せるかな?』 「あ、はい! もちろんです……!!」 『そうか、すまないね。実は……』  静かに語りかけてくる藤原の声を聞きているうち、荒ぶっていた身体からさぁぁっと血の気が引いていく。その表情の変化があまりにも顕著だったせいか、深春が訝しげに顔を覗き込んできた。 「文哉さんが、殺された……?」 『ああ、そうだ。これから私は能登へ向かう。君にも同行して欲しいんだ』 「ぼ、僕にですか……?」 『君に頼みたいことがある。三十分後に藍沢が君を迎えに行くから、それまでに支度しておいてくれ』 「は、はい、分かりました。……あ、でも、大学が……」 『学長宛に特別警戒態勢参式を発令済みだ。よろしく頼むよ』 「わ、分かりました……」  プッ、と通話が切れ、画面が暗転した。  さっきとは違った意味で、小刻みに手が震えてしまう。その手に、深春の手がそっと重なった。 「殺されたって、マジ?」 「……う、うん……。僕に頼みたいことがあるから、一緒に来て欲しいって……」 「マジか……。なんだろ、祓い人の里を案内しろとか?」 「いや、それはないと思う。あそこはもう、宮内庁の人たちの手の中だし」 「ふうん、そっか。……ていうか、殺人……て」  軽い口調だが、深春の表情は硬く険しいものだった。  凛々しい横顔から目が離せないでいると、ふと深春は薫の方へ視線を向け、かすかに曖昧な笑みを浮かべる。 「……ていうか、朝っぱらから悪かったな。あんなことして」 「えっ……? い、いや、あの……あれは、……その」 「まぁ、深く考えんなって。俺、マジで最近誰ともヤッてねーから、欲求不満なのかも? あははっ、ごめんな」 「え…………」  ぽんぽん、と薫の肩を叩き、深春は笑いながら立ち上がった。  そしてドアノブに手を掛けて、曖昧な笑顔を投げよこす。 「気をつけてな。藤原さんが一緒だから大丈夫だろうけど……とにかく、用心するんだぞ」 「う、うん……。うん……ありがと」 「なんかあったら連絡しろよ。じゃーな」 「うん……」  ひらりと手を振って部屋を出て行く深春の背中が視界から消えた途端、薫はぐったりと脱力した。そしてそのまま、どさりとベッドにひっくり返る。  ――……ほら、やっぱり。ただ寝ぼけて、人肌恋しくて、あんなことしただけじゃないか。……ほら、思った通りだ。深春は慣れてるから、誰とあんなことしても全然平気で、誰とでも……あんなことを…………。  こんな時なのに、胸を去来するのは言いようのない虚しさばかり。これから能登へ行くというのに。  文哉が殺されたのだ。重大事件ではないか。藤原直々に、薫に手伝って欲しいと依頼が来るなんて、おおごとじゃないか……早く立ち上がって、服を着替えて……。 「はぁ…………もう、何なんだよ、これ……」  じわ、と目尻に浮かぶ涙を振り切るように、薫は勢いよく立ち上がった。

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