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二十三、冷たいふるさと
「ここへ来るのは久しぶりかい?」
「……ええ。五年ぶり、かな」
隣に立つ藍沢要にそう問いかけられ、薫は重い口調でそう答えた。
目的地に向かう前に立ち寄っておくべきだ……と、薫の意見を聞くこともなく、藍沢がここへ車を走らせたのだ。
富山県某所。車が入れる県道から徒歩二十分山道を進むと、急に開けた場所に出る。
能登半島の根元に位置するこの山間の小さな集落は、かつて祓い人の棲家であった場所だ。
薫が生まれ育った、ふるさとである。
だが、今はもう、この地に住まう者はほとんどいない。五年前、本格的な宮内庁による制圧が行われて以降、『祓い人』という生業はすべて廃止され、霊力を使うことを禁じられた。個々人の想いはそれぞれ知る由もないが、扇動者であった水無瀬楓亡き後、祓い人らは大した抵抗もなく、素直に宮内庁の指示に従ったものであった。混乱もなく、不気味なほど静かに、大勢側に従うことを飲み込んだのだ。
古い因習の中で生まれ育ったがゆえに、彼らは戸籍さえ持っていなかった。彼らのルーツを辿り、古い記録を紐解き、現代で生きてゆくために必要な身分証明を与え、役所的な手続きを行った。成人しているものには職を、未成年者には学ぶ場所を、それぞれに提供する――それも、宮内庁特別警護課の仕事であった。
煩雑な仕事ではあったが、それらも今はすべてに方がつき、祓い人たちはそれぞれに新たな生きる道を歩いている。
ただ、水無瀬菊江・文哉の姉弟、里長 であった水無瀬たゑ、これら三名は宮内庁の通達をすべて無視し、『祓い人』であり続けることを選んだ。そして文哉は死に、水無瀬たゑ・菊江もまた……。
「えっ……亡くなった、んですか……?」
「ああ、そうだよ。文哉が殺害される以前に、水無瀬の母娘はすでに殺されていた」
「そ……そんな。初耳です、皆さんは、知っているんですか……?」
「いや。まだごく一部の人間しか知らない」
「……でも、人が死んだんでしょ……? 警察とか……」
「ここは表向き、行政の手から離れて久しい廃棄された村、宮内庁の管轄下にある土地だ。警察の介入など許すはずがない。只人は誰もここには入れない」
「……そうでしたね」
「それに、警察でカタがつく問題でもないさ。……屍人 に殺されていたんだからな」
「屍人……?」
特別警護担当課北陸支部の陰陽師らがここ検分した結果、文哉が死ぬ一週間ほど前に、水無瀬母娘は死んでいた。死因は文哉と同じ、心臓を一突き。
そして傷口に、ごく僅かに残っていた霊力の残滓の波長は、駒形司の波長とほぼ同一だった。
藍沢はどこまでも冷徹な横顔で、寂寞とした集落を見渡しつつそう語った。
鞍馬寺での事件などについて話には聞いているが、薫にとって『駒形司』という人物がどの程度危険な存在なのかはまだ実感できていないのが現実である。だが、幼い頃から知っている人物が短い間に三人も殺害されていたという事実には驚かされるばかりである。
ただ、里長にも水無瀬菊江にも親愛の情は感じたことがなかったため、彼女らの死を悲しんだり、悼んだり、という気持ちは湧いてこない。我ながら薄情なものだと、薫は思う。
集落の中心を横切るのは、平らに均された道がひとつ。そこから、葉脈のように細い道が連なって、その道沿いに古い家が立ち並んでいる。どれもこれも築五十年は下らないであろう日本家屋で、古く鄙びた家ばかりだ。雪の降る土地であるから、屋根は急勾配で高床式。今にも朽ち果てそうな茅葺の屋根が、かろうじて家屋を守っているように見える。
里長の住む屋敷は、ここからさらに山道を登った奥にある。その麓に並ぶ家々で、祓い人の子どもたちは集団生活を送っていたものであった。薫も、楓も、そして文哉も、皆そこで育ったのだ。
そう説明すれば、まるで一つの家族のよう――と、言われるかもしれない。ただ薫は、そこにいた誰に対しても、そういう情を感じたことはなかった。唯一、楓と拓人だけが、薫にとって近しい存在だった。結局、利用されただけだったけれど。
「……拓人、どうしてるんですか? 菊江さんは、拓人の実のお母さんでしょう?」
「水無瀬拓人は、現在魚津市のホテルで真面目に働いているよ。当然、今回のことは彼も知っている」
「そう……なんですか」
「彼と連絡を取らねばならないんだが、一向に返事がもらえなくてね。二人の遺体はこっちの事情で渡せないのだけれど、彼女らをどう弔うか彼と相談しなくてはいけないからね」
「……そうですね……」
「そこで、君に頼みたいことがあるんだが」
「え?」
藍沢の、黒く磨かれた革靴が動きを止める。つられて立ち止まり、藍沢の顔を見上げると、氷のように冷たい瞳と視線が絡む。まるでおぞましいものを見ているような、侮蔑を含んだ目つきに感じられ、薫はひそかにぞっとした。
「我々は、次に狙われるのは水無瀬拓人であろうと踏んでいる」
「え……っ」
「ここまでくればもう分かるだろう。今回のこの一件は、祓い人を狙った連続殺人。里長、その娘、その弟……とくれば、次は水無瀬菊江の息子である拓人が狙われる可能性がもっとも高い」
「……っ」
「そして君も、当然のごとくターゲットの一人だろう」
ひゅうっ……と胸の奥を冷たい指で掴まれたような気分になった。
だが、藍沢は機械的に話を進めていく。
「水無瀬拓人には監視がついているけれど、駒形の動きはいまいち掴みきれていない。それに、拓人くんも結構頑なな人物でね。不審な人物から何かコンタクトがなかったかと問いかけているのだが、『僕はもう一般人だ。あなた方には関係ないでしょう』の一点張りだ。非協力的で困っている。そこで昔馴染みの君に、色々と事情を聞いて欲しいと思っているのさ」
「事情って……?」
「狙われることへの心当たり、ここ最近で変わったことがなかったか、かつての祓い人仲間の中で、おかしな動きをしているやつらはいないかどうか……聞きたいことは山ほどある」
「……そ、それを、僕が……?」
「君たちは仲良しだろう。三人で組んで、かつて我々に牙を剥いたくらいなんだから」
「……」
――組んだ……わけじゃない。僕はただ、あの二人に利用されただけだった。
――拓人はいつも優しかった。けど、結局、楓の言いなりになっていただけだった。僕のことなんて、なんとも思ってなかったじゃないか。それを今更……。
胸に去来するのは、あの時わだかまったままの黒い感情だ。拓人はいつだって優しい笑みを顔に貼り付けていたけれど、結局のところ、楓と一緒になって薫を捨てた。雷燕の『餌』として薫を扱った楓の行動に、なんら反発しなかった。薫のことなど、どうでもよかったのだ。
「……僕なんかに、その役割が務まるとは思えませんけど」
「おや、反抗的な物言いですね」
「……僕らは別に親しくなかった」
「だが、我々より奴に近い。君は、ゆくゆくは特別警護担当官になる人材なんだ。当然、手を貸してくれるだろう?」
そう言って唇に薄笑みを浮かべる藍沢の瞳を、薫はじっと見つめてみた。漆黒の瞳にはひとひらの感情さえ浮かんではおらず、その真意を読み取るのは不可能だった。
――……ここで僕が断れば、僕を宮内庁に引っ張ってくれた藤原さんの顔を潰すことになる。それに、味方してくれてる珠生さんたちのことも……。
「分かりました。……出来るだけ、やってみます」
「ほう」
「ただ、あまり期待しないでください。拓人は楓以上に、何を考えてるか分からない奴なので」
「楓以上に、ね。……さすがかつての仲間だ。お詳しいですね」
「……」
嫌味な物言いだ。薫は眉を寄せて藍沢を一瞥し、すぐに踵を返した。
「ふるさとは充分懐かしみました。拓人がいるのは魚津でしょ? 早く行きましょう」
「ええ、そうですね」
先に立って歩き出す薫の後を、藍沢がついてくる。
足が重い。一歩を踏み出すたびに、過去の記憶が蛇のように足首に絡まってくるような感じがした。
――もう二度と、ここへは来たくない。僕にはふるさとなんて必要ないんだ。
薫はぐっと拳を握りしめながら、山々に囲まれた曇天の空を睨みつけた。
鴉の声がこだまする。
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