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四、深春の悩み
「えっ……!? 薫くんと付き合ってる……!?」
とある日の午後。深春から「相談したいことがある」と持ちかけられたため、珠生は深春を自宅に招いた。仕事の後にやってきた深春のために作った夕飯を振る舞うと、深春は目を輝かせながらぱくぱくとうまそうに箸をすすめてゆく。
普段と変わらぬ調子でぺらぺらと仕事や修行の話をしていた深春だが、食後のコーヒーを飲む頃になると、突然深刻そうな表情になった。そして、ようやく本題に入ったのだった。
「……うん。まぁ……そういう感じになってる」
「そ……それは、おめでとうって言っていい感じ……なの? 顔がやけに険しいけど……」
「……いや俺も、よくわかんなくてさ。少なくとも……まぁ、めでてーことではないような気がしてるし」
「……」
深春が両手の中に包み込んでいるのは、引っ越し祝いに彰からもらったカップアンドソーサーだ。どうしてか、その手が小刻みに震えている。珠生は心配になって、利き手でそっと深春の手に触れてみた。とても冷たい手だ。
「なにに悩んでるんだ? ひとつひとつ話してみなよ」
「……うん」
素直にひとつ頷いて、深春は自分を落ち着けるように息を吐いた。珠生もコーヒーを一口飲み、身構える。
「まずは……宮内庁にとって厄介者の俺らがこんな関係になってんのが、なんかすげぇ小っ恥ずかしいっていうか」
「や、厄介者!? なんでそんなこと、」
「まぁまぁ、いいから。珠生くんはいいやつだからそう思わないかもしれないけど、陰陽師衆の人らはきっと、顔に出さないだけでそう思ってるやつけっこういると思う。……いや、当然だし。しょーがねぇし」
「深春……」
自嘲気味な笑みを細い唇に乗せ、深春はちょっと疲れたように微笑んでいる。
「あいつといると、傷の舐め合い? みてーな感じがするんだ。……けど、やっぱ落ち着く。俺は……夜顔は、能登で生まれた妖だ。それにあいつもあっちの生まれで、祓い人。根っこが同じだろ?」
「まぁ……そうだね」
「……能登からも、過去からも遠く離れたつもりでいたのに、結局そっちに寄っていってる感じがしてさ。ふと冷静になると、何やってんだろって思うんだ」
「そう……」
こんな時、どういう言葉をかけたらいいのか分からない。いくつになっても口下手な自分が嫌になる。目の前で苦しげに眉を顰める深春に頷きを返すことしかできないのが、歯痒くて仕方がない。
「気にしなくても大丈夫だよ!」とすっきり言ってやれたらいいのかもしれないが、深春が憂う気持ちも分からなくはないので否定できない。
夜顔は、能登の大妖怪・雷燕が祓い人の女を孕ませて生まれた半妖だ。祓い人だった薫と、確かにルーツは同じといえる。
敵対していた陰陽師衆の中にいて、深春や薫は表面上その場に親しんでいるように見える。けれど双方きっと、心の奥底ではさまざまな感情が渦巻いている。
珠生も常々思うことだが、陰陽師は強い力に比例するように、プライドが高い者が多い。五百年の間ずっと、彼らは祓い人を卑下する考えを変えていないのだ。それを敏感に感じ取ってしまうのだろう。
息苦しさを共有できる相手がいるのは救いだと思うけれど、そんな自分達を俯瞰したとき、少し卑屈な気持ちになるのかもしれない。
「……ごめん、なんて言っていいか……」
「ううん、いいんだ。つまんねー慰め方されるよりずっといいよ」
苦悶する珠生に、深春はそう言って微笑んだ。相談を受けているはずなのに逆に慰められてしまった。珠生も苦笑して、コーヒーを口にしながらこう尋ねてみた。
「深春は……薫くんのことが好きなの?」
「……好き、ねぇ。それもよくわかんねーから、余計悩んでんのかも」
「分からない……のか」
「うん……。あいつはくどいくらい俺に好きだのなんだの言ってくるし、隙あらばって感じでヤろうとしてくるんだけど」
「やろう、と……? え、そっち?」
「え? ああ、うん。俺が下」
「そ、そうなんだ……」
そこにフォーカスを当てるべきではないのだろうけれど……ちょっと意外だ。深春のほうがなにかと手慣れていそうだから、てっきりタチに回るものだと思っていた。
その困惑が素直に顔に出ていたらしい、深春は噴き出して、ようやくからりとした笑顔をみせた。
「あっはははっ! 想像すんなって! 珠生くんもスケベだな〜」
「スケベって言うな。……ちょっと意外だっただけ。昔あれだけセフレたくさんいたのに、平気だったの?」
「まあな。男の経験がないわけじゃなかったし」
「……そ、そっか。まだまだ俺の知らないことがあるもんだなぁ……」
色々と新情報が出てくるので落ち着かない気分だが、いちいち話の腰を折るわけにもいかない。珠生はごほんと咳払いをして、話の先を促した。
「俺……今までまともに人と付き合ったことなかったしさ、よくわかんねぇんだよな。好きとか、愛してるとか、……そういうの」
「そう……」
「これまでは、ヤリたいから好きだのなんだの甘いこと言い合って、その場だけ楽しくて気持ち良けりゃいいじゃんて思ってたんだ。だけどあいつのは、明らかになんか違ってて……なんか、怖くなるっつーか」
そう言って、深春は右手で左腕をさすっている。困惑の色が強く浮かんだ瞳だ。
「怖い、の?」
「怖い。なんか……感情を制御できなくなるような感じがしてすごく怖い。ヤってる時はただ快楽だけ感じて甘えてりゃいいし、なんか色々忘れられるからすげぇ楽。……でも、終わった後とか、ひとりになったとき、俺何してんだろって……どっちが……っていうか、どれが本当の俺なんだろうって、わかんなくなって混乱するんだ」
低い声で早口にそう語り、深春は俯いて唇を引き結んだ。
夜顔の過去を今でも夢に見て、苦しむ自分と。ひとりの社会人として自由に生きているように見られたい自分と。理性を失い、自我を解放できているかに思える瞬間と、その後に襲ってくる空虚な自分がいる——……深春はぎこちなくそう付け加えて、はぁ……と重いため息をついた。
「薫にも……っつか誰にもこんな話できねぇし……。誰かに聞いて欲しかったんだ」
「うん……」
「俺、あいつの前では、ついかっこつけちゃうんだよね。そのくせ、ヤってる時は情けないくらい理性飛んでて、もっともっと愛されたい、ずっとこのまま抱いててほしいって思ってんのにさ……。そんな自分が情けなくて、恥ずかしくてたまんねーんだ」
「……うん」
「……もし、このままあいつを信じて、もっともっと離れられなくなったとして、そんときあいつに裏切られたら……俺、どーなちゃうんだろう、とかさ……」
幼少期に母親から捨てられ、父親から虐待を受けて育った深春の過去を珠生は想った。愛される経験が極端に少なかったからこそ、薫からがむしゃらに向けられる愛情に戸惑い、受け入れきれない自分がいるのだろう。
過去から立ち直り、さまざまな経験を経て、きちんとした社会人になれたという自信とプライドもあるだろう。だというのに、薫からまっすぐに向けられる好意と快楽に溺れ、依存してしまっている自分が許せない。
愛を与えられる経験に乏しいからこそ、それを失った時のことを先回りして考えて、心を守ろうとしてしまう——
「……ごめんな。こんな話」
「いや……こっちこそ、何も言えなくて、ごめん」
「いや、いーよ。聞いてもらってちょっとスッとした」
本当にただ聞くことしかできなかったけれど、深春はここへきた時よりも少し明るい目をしているように見えた。
できるなら、もっと深春を励ましてやりたいけれど、珠生もさほど薫のことをよく知らない。薫の想いの重さも、珠生にはわからないが……。
「今俺に話したことを、薫くんにもいつか話せたらいいね」
「んー……そうだなぁ」
「彼は年下だし、今はまだ大学生活や修行に慣れなきゃいけないから余裕がないかもしれないけど……。なんとなく、あの子は分かってくれる気がする。深春の気持ち」
「……そっかな」
「うん。まぁ俺の勘だけど」
この期に及んで『勘』としか言えない自分が情けなくて呆れるが、深春は数秒目を見張った後、「ははっ!」と明るい笑顔になった。
「珠生くんの勘、なんかすげー当たる気がするから心強いわ」
「え、そうかな……」
「動物的、っつーの? いや、神気があるから……神がかってる、みてーな?」
「いや……ごめんほんと。たいしたアドバイスもできないで……」
「ううん。無責任に色々アドバイスされんのもキツいしさ、ただ聞いてもらえてよかったよ」
深春は目を伏せ、口元をふと緩めた。そして、冷めたコーヒーを一気に喉に流し込み、ぷはぁと息をついている。
「コーヒー入れ直そうか。なんか甘いもんでも食べる?」
「あ、うん。頼むわ。そういえば舜平は?」
「琵琶湖に出張。……今んとこ何も出てないみたいだけどね」
あれからずっと、特別警護担当官たちは定期的に滋賀県へ入っている。琵琶湖周辺での小さな妖がらみの事故が続き、徐々にきな臭さが増しているのだ。
今日は珠生は休みだが、神使の虎たちを舜平たちに同行させている。人形 への変化 も上達したし鼻が効くため、頼りになるのだ。特に彰が気に入って、喜んで使いたがる。
「琵琶湖かぁ。駒形ってどこにいんの? 琵琶湖の底とか?」
「いや……底ではないと思うよ。分家に匿われているようなんだけど、決め手もないし。ごくごく弱い式を放って中の様子を探らせようとしたらしいんだけど、その式は帰ってこなかった」
「え、なにそれ。もう黒じゃん」
「だけど、一気に攻められるだけの決め手もないんだ。あの家には、ごく普通に人も住んでる。駒形憲広の息子もまだ高校生だし」
「高校生ねぇ。どんなガキ?」
一度だけ、珠生もその姿を見たことがある。
駒形孝顕、十七歳。高校三年生だ。もう引退しているが、野球部に所属するスポーツマン。小学生の頃からずっと野球を続けてきたらしく、上背のあるしっかりとした逞しい身体つきをしている。よく日に焼けた肌に坊主頭がよく似合うシャープな顔立ちだった。
ぷんぷん金の匂いがするような父親とは違い、孝顕はとても真面目らしい。部活での態度も熱心で、後輩たちからも信頼も厚い。成績も良く、東京の大学を受験する予定があるということを学校関係者からの聞き取りにより把握している。
「スポーツマンで勉強もできると……女は? いねーの?」
「ったく、すぐ女女って……」
「だって重要なポイントじゃん。交際者の有無」
「確かにね。けど調査によると、そういう気配はないんだって。モテそうな雰囲気だったけど、ちょっと堅いところがあるらしい」
「ふーん。もったいねー」
珠生が差し出したスマホに表示された孝顕の顔写真を、深春は頬杖をついて覗き込む。さほど関心なさそうに指先で拡大したり縮小したりしていた深春が、ふとこんなことを言う。
「こいつには霊力ねーの? 駒形家の人間だろ?」
「うん、霊力が目覚めていないわけではないみたいなんだけど、すごく微量だ。ああやって何事もなく日常を送れてるんだったら、彼は只人に近いんだろう」
「ふーん……そうなんだ」
「このくらいの年齢で力が発現してないなら、きっとこの先もないと思うけど。何か気になる?」
「……いや、大したことじゃねーけど。目つきがな」
「目つき?」
「いや……やっぱなんでもねー。琵琶湖で戦闘ある時は俺も呼んでよ、新しく覚えた陰陽術試したいしさ」
「お、頼もしい。高遠さんに言っとくよ」
話が一段落したところで、鍵の回る音が玄関から聞こえてきた。舜平が帰宅したようだ。深春がふと、人懐っこい笑顔になる。
「おー、おかえり舜平! お邪魔して…………って、誰そいつら!?」
と、帰宅した舜平に向かって手を上げた深春が、目を瞬く。舜平の背後に並んだ二人の大男に驚いているらしい。
「おう深春、来てたん?」
「来てた……けど……」
「あ、こいつらな、珠生の式。もとは毛玉や」
「式!? 毛玉!? 人間じゃん」
深春が驚くのも無理はない。右水と左炎は人形になることを覚えたが、小さくなることはまだまだ難しいのだ。
身長190センチの海外モデル体型にブラックスーツ。髪の毛の色は虎である時の毛の色のまま、真っ白だ。一応短髪にまとまってはいるが、切れ長の双眸に嵌った瞳の色は深い青。顔形もどちらかというと西洋寄りで、彫りの深い凛々しい顔立ちをしている。
そんな美形大男×2が、帰ってくるなりスタスタと珠生のほうへ歩み寄っていったかと思うと、左右からぎゅっと珠生に抱きつきすり寄っている。深春も開いた口が塞がらないようだ。
『今帰ったぞ、珠生。人形での移動は疲れるな』
『佐為様が鍛錬とおっしゃるので人形を保っていたが、もはや限界』
「よしよし、ふたりともお疲れ。ほら、牛乳あるから飲みな」
と、珠生は慣れたものである。大男だが元は虎だと分かっているので、扱いもペットのそれだ。
だが案の定、舜平のげんなりした声が聞こえてくる。
「お前ら……さっき言うたことも覚えてられへんのかい。俺の前で珠生にベタベタすんなって言うたやろ!」
『フン! なんだ貴様。我らは珠生の式である。あるじに甘えて何が悪い』
『そうだぞ貴様。今日一日貴様の言うことをさんざん聞いてやったのだ。これくらいで文句を言うな』
「ほんならとっとと毛玉に戻ったらええやろ! 絵面が腹たつねん絵面が!」
初秋の風が心地よく吹き抜けていた窓から、舜平のわめき声が近所中に響き渡った。
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