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二十六、息子の不調

 健介は珠生のベッドの横に跪き、体温計が示した数値を見て仰天した。 「38度6分もあるぞ……。インフルエンザかな……いや、こんな時期に流行らないよな……」 「……疲れが出ただけだよ。いいから、仕事行ってよ」  赤い顔をした珠生は、とろんとした目をして健介にそう言った。健介は困り顔で唸る。  今日は大学にフランスのアルエール大学からの視察が来ることになっており、健介はそこで色々と話をしなければならない立場にあるのだ。  こんな状態の息子を、しかも久しぶりに同居している息子を放っておくのは忍びない。しかし、今回の仕事は健介がいなくては成立しないものだった。 「……でもなぁ……うーん。病院も行ったほうがいいと思うし……」 「大丈夫だって。病院なんか行ったら、逆に悪くなる……」 「ごめんな、こんな時いつもそばにいられなくて」  健介は珠生の汗ばんだ頭を撫でながら、悲しげな表情で謝ることしか出来なかった。 「……いいよ。俺は大丈夫。ほら、遅刻するよ」 「あ。ああ……。すまん、珠生」 「早く」  重症の息子に追い立てられ、健介は重たい足取りで家を出た。通勤用の自転車にまたがり、遅れを取り戻すべく勢い良くペダルを踏む。  早く帰ろうにも、懇親会も催されているため、どう頑張っても二十時は過ぎる。  懇親会くらい、サボってもいいかな……。そんなことを考えながら、数分で大学に到着すると、キャンパス内を歩く見慣れた二人組の背中を見つけた。相田舜平と屋代拓だ。 「あー!! 相田くん!! 相田くん!!」  健介は二人の前に自転車で回りこむと、急ブレーキを掛けて行く手を阻んだ。二人は颯爽と現れた指導教官に目を丸くしている。 「先生、何ごとです」 と、拓は怪訝な表情でそう尋ねた。 「はよいかんと、やばいんちゃいます?」 と、舜平が腕時計を見ながらそう言った。すでに会議は始まっている時間なのだ。  健介はキーケースをずいっと舜平に押し付け、財布から一万円札を取り出して舜平に握らせた。舜平はそれを受け取って、ぽかんとしている。 「な、何ですか?」 「昼からでいいから、うちの子の様子、見てあげてくれないか。熱が高くて……たぶんご飯とか一人でできないと思うし、寂しがってると思うから!」 「えっ」  舜平は表情を変える。 「今日中に実験体の仕分けしといて欲しいって、言ってませんでしたっけ?」 と、拓。 「それは屋代くんがやってくれたまえ! 相田くん、君は午後から珠生のお守りだ! 二十一時までには帰る! じゃあ、頼んだ!」  広いキャンパスの中を、勢い良く自転車で駆け抜けていく健介の背を見送りながら、二人は目を見合わせた。 「……ほ、ほな、午前中に終わらそか」  そう言ってはみたものの、舜平は珠生の様子が気になって仕方がなかった。拓はそんな舜平の様子に気づく風もなく、ひょいと携帯を取り出して、どこかにメールをし始めた。 「お前、先生んち行っていいで」  拓が携帯電話から目を上げて、舜平にそう言った。 「こないだの飲み会でさ、ちょっとええ子がおって。実験手伝うとか言うてくれとったから、頼んでみるわ」 「お前、いつの間に」  拓はにやりとして、その女子学生の携帯アドレスを舜平に見せた。 「せやし、お前がおらんほうがええ」 「……ははっ、やるやん。やらしいこと、すんなよ」 「するわけないやん」  拓はさっさと研究室の方へと歩き出しつつ舜平を振り返ると「コンビニで色々買って行ったりや。生活変わって、疲れてんねやろ」と言った。 「お、おう」  舜平はその場に取り残され、手に握ったキーケースと万札を見下ろした。  ――早く行こう。  舜平は踵を返し、足早に大学を後にした。

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