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二十七、呼び覚まされる記憶

 コンビニで身体に優しそうなものをひと通り買い込み、舜平は珠生の家を訪れた。  午後からアルバイトの予定だったが、チーフに平謝りして休ませてもらった。舜平は、珠生と出会ってから狂いっぱなしの自分の調子に呆れてしまう。これではまるで、珠生を中心に生活が回っているかのようではないかと。  借りた鍵を回して家に入ってみると、しんとした室内はどことなくひんやりとしていた。舜平は廊下とリビングをつなぐガラス張りのドアを開く。  右手にあるキッチンに入り、冷蔵庫にポカリスエットやヨーグルトの類をしまい込む。もっぱら珠生が管理している様子のキッチンは、整然としていて掃除も行き届いている。  カウンター越しにダイニングテーブルを見ると、体温計や冷えピタが無造作に置いてあった。おそらく健介が出していったのだろう。  舜平は珠生の部屋のドアをノックしてみた。しかし、返事はない。 「珠生、開けるで」  ノブを下げてドアを開けると、正面にカーテンが引かれた窓。そこからはうっすらと隙間が開いて、細く太陽の光が差し込んでいた。窓の手前には机とベッド。ドアの脇にはクロゼットと本棚、まだ開かれていないダンボールが置いてあった。  数歩進んでベッドの脇に膝をつくと、舜平は眠っている珠生の顔をのぞき込んだ。 「あっつ!」  額に触れ、その異常な体温の高さに驚く。珠生の額は汗ばんで上気しており、呼吸も速い。 「おいおい、こりゃちょっとやばいんちゃうか?」  舜平は戸惑いながらも立ち上がり、バスルームから拝借してきた洗面器に水を張って氷を入れた。冷たく冷えたタオルを珠生の額に置き、汗を拭う。  その時珠生が眉を寄せて、熱っぽい溜息を漏らした。  ひやりとした感覚に刺激されたのか、珠生は目をうっすらと開き、舜平を見上げている。 「珠生、大丈夫か?」 「……舜」 「……えっ」  開かれた瞼の下にあるのは、琥珀色の澄んだ瞳だった。それは日本人にあるまじき明るい色彩をもった、鮮やかな琥珀色だ。  舜平は息を飲み、硬直した。  珠生の表情は明らかに、珠生のそれとはまるで異なっている。ちょっとばかり小生意気な目つきをしているくせに、子猫のような甘えをちらつかせる妖艶な目つき。思わせぶりな重たい瞬き。その表情には、確かに見覚えがある。 「ずっとそばに、いてくれたのか……」  掠れた声、頬に触れる熱い熱い指先。  どっと流れこむ、郷愁にも似た切ない想い。  夢で見た、美しき白い鬼。  夢で見るたび、胸を締め付けられた。何度生まれ変わっても出会えなかった愛おしい存在を、ようやく見つけ出せた。その喜びに、胸が打ち震える。 「千、珠……」 「舜……あぁ、お前の匂いだ」  するりと伸びてきた珠生の腕が首に絡まり、くいと引き寄せられる。間近に互いの存在を感じ取り、湧き上がるのは強い強い安堵感だった。  そして、燃え上がるのは、かつて何度も重ねた身体と身体が共有していた、激しい熱。 「……ここに、おったんか……」 「舜、舜……。もう、どこへも行くな。俺から離れるなんてこと、考えるな」 「……千珠」 「会いたかった、会いたかった……」  ぽろぽろと琥珀色の瞳から溢れ出す、大粒の涙。舜平は唇を寄せて、その雫を全て舐めとった。塩辛いその味も、泣きじゃくる千珠のか細い身体を幾度と無く慰めた記憶も、堰を切ったように舜平の身に蘇る。  ずっとずっと、探していた。  ずっとずっと、焦がれていた……。  火照った華奢な背中に手を触れて、そのまま自分の方に引き寄せると、顎の下にある珠生のさらりとした髪の毛の匂いが、舜平の鼻をくすぐった。  甘い……そう、桜のような匂い……。  暖かい肌の匂い、滑らかなこの感触。  愛おしい、守るべき存在。  遥か昔から、まるで呪いのように自分を縛り付ける美しい獣の眼差し。  舜平の記憶の中で、琥珀色の双眸が目を開く。  そこから涼やかな風が生まれ、舜平の視界に美しい景色が広がったような気がした。  青い海、咲き誇る薄桃色の花びら、眩しい新緑、そびえ立つ三津國(みつくに)城、都の香り、曇天の下荒れる海、白く輝く長い銀髪。  振り向いた、端正な横顔と、大きな琥珀色の瞳、余裕たっぷりな笑みを浮かべた赤い唇、煌く赤い耳飾り。  すらりとした背中、その手に握られた美しい直刃の剣。  ――千珠。  ……ここに、おったんやな……。

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