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二十八、千珠と珠生

「……んっ、んあ……っ」 「千珠……千珠」 「っ……ぁ」  貪り合うような激しい口づけを交わし合ううち、舜平の身体はいつしか珠生を組み敷くような格好になっていた。指と指を絡め、しっかりと結び合う手と手。近づき合う身体同士の熱が高まり、呼吸がひとつになる。 「舜……っ」 「は……っ、はぁっ……は」 「あぁ、あ」  珠生の汗ばんだ素肌に触れた瞬間、更に鮮やかに甦る記憶。それは激しい目眩に襲われた舜平は小さく呻き、珠生の肩口に頭を落とした。 ――こいつのことを、愛していた。誰よりも、激しく。  こいつを護ると心に誓った。いつまでも、いつまでも。たとえ千珠が俺を忘れても、俺は必ずこいつを見つけ出すと、誓った。  たとえ千珠のすべてが自分のものにならなくても、こいつが幸せならば、こいつが笑っていてくれるならばそれでいいと、想いを殺して……。  ふと、幼子を抱いて幸せそうに微笑む大人びた千珠の笑顔がフラッシュバックする。同時に、自分にだけ見せる子猫のような甘えた表情も、妖艶に乱れる性交の場面も、そして、鴨川のほとりで出会った、珠生の姿も……。 「珠生……」 「ん……ん」  キスの合間に呼ぶ名前が、自然と珠生のものへと変化していた。  不安げな表情、たまに見せる笑顔、千珠と重なるちょっと寂しそうな横顔……。  今、腕の中にいるのは珠生だ。  探し求めていた千珠の魂を抱いた、幼い少年。  護るべき存在。  今も変わることなく、何にも代えがたい、俺の宝……。  そう思った瞬間、身体の奥底から沸き上がる力を感じた。それは漲り、迸り、舜平の血管の一本一本、筋繊維の隅々にまで力を行き渡らせ、呼吸をひとつ重ねるごとに強さを増す。  この感覚にも、覚えがある。かつて法力を操り、陰陽術を学び、仲間たちと戦ったかつての記憶が呼び覚まされる。  ――これが霊力? 俺の、力……。 「珠生……」 「……舜、平……さん?」 「珠生……大丈夫か?」 「あ……」  舜平が冷静さを取り戻した瞬間、珠生の眼の色が文字通り変わった。琥珀色から、明るい胡桃色へ。いつもの珠生の、穏やかな眼差しへと。  珠生は戸惑ったように何度か目を瞬き、物言いたげな表情を浮かべて舜平を見上げている。おそらく、珠生の中でも何かしらの変化があったのかもしれない。 「……思い出したで、俺」 「……俺も、です」 「そうか。……そうなんやな」 「うん……舜平、さん。分かる。舜平さんの力が、伝わってくるよ」  力を取り戻した安堵感か、舜平はいつになく、大きなものに包み込まれているかのような余裕を感じることができていた。これさえあれば、珠生を守れる。これから起こりうる難題を払いのけられる、そんな自信があった。  しかし、珠生の身体からは、まだうっすらとした力しか感じ取ることは出来ない。人の持つ霊力と、鬼の力である妖力……その二つが混ざり合い、揺らめきながら珠生を取り巻いていることは感じられるものの、かつての千珠がその身に備えていた力とは程遠い儚さだ。 「珠生。俺……」 「……舜平さん、力が戻ったんだね」 「そうみたいやな。……ほんまに、ほんまやったんや」 「すごい……」  珠生は目を丸くして、舜平を見上げている。珠生もすっかり我に返っている様子を見て、舜平は更に現実感を取り戻し、珠生から慌てて身体を離す。そして、深くため息をついた。 「……なんやろうな、この感じ。記憶はあるけど、俺は俺やっていう感覚はある」 「それって……?」 「ああ、俺は相田舜平やなって、思う。でも過去のことは思い返せるし、その記憶の中の自分が自分っていう感覚もある」 「うん、それ……分かる気がする」  珠生は舜平を見上げていたが、むくりと身体を起こして、潤んだ瞳で舜平を見つめた。 「あ、起きて大丈夫か?」 「はい……大丈夫。キス、されたからかな。身体が軽い……」 「あ、そうか」  舜海には、傷ついた千珠の身体を癒す能力が備わっていた。口から霊力を注ぎこんだり、身体を繋げたりすることで、半妖である千珠の霊力に働きかけ、力を回復させるという力があった。初めはそのためだけに千珠と口づけを交わしていた。傷を癒やすために千珠を抱いた。しかしいつしか、ただただ愛おしさに突かれて千珠を求めるようになったのだ。そして千珠も、本当の意味で舜海を求めていた……。 「今も、その力があるのかな」 「ど、どやろか……」 「前も河原でキスされた時、頭痛いのが治ったし」 「え、ほんまか?」  確かめるように自らの唇に触れて俯いている珠生の姿には、得も言われぬ妖艶さが漂っていた。出会ってから何度も、珠生のことを可愛いと思ってしまう自分に困惑しまくっていたが、これでようやく合点がいった。珠生についついときめくのには訳があったということだ。致し方のないことなのだ。  でも、現代人として、まともに高校生をやっている珠生に、昔と同じ感情や行為を押し付けるのは、なんだかとてつもなく申し訳ないことのように思えた。新しい人生を、新しい人間として生きる権利が、珠生にはある。そして、自分にも……。 「……先に言っとこう」 「何ですか? 改まっちゃって」 「俺は……出来ればお前に手を出したくない」 「はい?」 「でももう何回か……抑えられへんままに、お前にキスしたり……その、触ったりしてしもうた」 「はぁ……」 「舜海と俺は違うし、珠生と千珠も違う人間や。……過去の感情に流されて、お前という高校生を傷物にしたくはない」 「……」  珠生はきょとんとして、舜平の真剣な顔を見ていた。 「もし、俺が……変なことしたら、思い切り殴れ、ええな? お前かって嫌やろ? 千珠がそうやったからって、その、男に抱かれるのは嫌やろ?」 「はぁ……まぁ、そりゃあ」 「変な空気に呑まれるなよ、ええな」 「はい……」  舜平の真剣な目を見ながらも、珠生は堪え切れないという様子で吹き出した。身体を折って大笑いする珠生を、舜平は不機嫌に見下ろす。 「おい、何笑ってんねん」 「だ……って、舜平さん、そんな真面目な顔でそんなこと言って……どんな怖いこと言われるのかと思ったら……はははは」 「アホ! 怖いことやろ!」 「ま、そうか……。ほんと、舜平さんは良い人だね」 「嫌味か、それは」 「ううん、嬉しかったんだ。き、傷物……って、ふふっ。俺をそんなに心配してくれるなんて……」  尚も笑いながら、珠生は涙を拭って仏頂面の舜平を見上げた。 「ありがとう、舜平さん」 「うるさい。もう寝ろ」 「うん」  珠生はにっこり笑って、布団を引っ張りあげた。  その可愛らしい笑顔に、また舜平は目眩を感じた……。  +  +  冷たい雨の降りしきる、京都御所。  時刻は日付をまたいでいる。  ここ数日、御所の中で、しばしば不審な人影が目撃されていた。または、人の姿など見えないのに、大勢の男たちの雄叫びのようなものが御苑の中に響き渡ったり、築地塀に鋭い刃で斬りつけたかのような傷が残されていたりという事件が頻発しているのである。  その日も、数名の警官が捜査と警備のために御所の中を歩きまわっていた。深夜である上に物々しい雰囲気であるため、そこに近寄ろうとする一般人は誰もいない。  防犯用のライトに照らされ、降りしきる雨はまるで白い糸のように見える。そこにあるのは、雨の音と、警官たちのかすかな息遣い、時折入る無線の音だけ。  そんな中、じゃり、じゃり、と事件現場に歩み寄る、重々しい足音が響いた。雨合羽を着た警官が音のした方向を見やるが、そこには何も見えない。 「?」  警官は腰に差していた懐中電灯をそちらに向けるが、音がするだけで何もない。薄気味悪くなった警官は、腕に装着していた無線機で仲間を呼ぼうと口を近寄せた。  その途端、その警官の胸元から鮮血が噴き出した。一度ではない、二度、三度と襲いかかってくる何かが、警官の肉体をなます切りにしていく。  その場に崩れ落ち、絶命した警官の虚ろに見開かれた目に、黒い影が映りこむ。その直後、ばちばちっと高圧電流が弾けるかのような激しい音が炸裂し、火花が暗闇を明るく照らした。 「どうした!? 何かあったんか!?」  騒音を聞きつけたらしい。数名の男の足音が近づいてくる。  激しく築地塀を斬りつけるかのような風切り音が、何度も何度もその場に響いた。まるで築地塀の中にある何かを狙うかのように、何度も何度も。しかしそのたびに拒絶され、弾かれる。 「オオオオオオ!!!」  突如けたたましい咆哮がその場に響き渡り、雨に濡れた砂利を蹴りながら駆けつける警官たちは、思わず足を止めて辺りを見回した。  辺りには相変わらずの土砂降りの雨と、光の届かぬのっぺりとした闇がある。刹那、ごぉおお、と強い風が吹き、警官たちは思わず上げて身をかがめた。雨が飛沫となって、警官たちの身体にたたきつける。現場を照らしていたはずのライトが倒れ、電球が飛ぶと、そこは真っ暗な闇に沈んだ。  その後、落ち着きを取り戻した警官たちが懐中電灯で四方八方を窺うように照らす中、ついに、血を流して倒れた警官の遺体が発見された。 「こんな……ひどい……」  警官たちは血みどろになった仲間の遺体を見下ろして、言葉を失う。

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