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三十九、夢の続き

「……あれ?」 「あれ、じゃないわ。この酔っぱらいが」 「……うーん……」  千珠は眠たげに目をこすると、いきなり舜海に抱きついた。その不意打ちに、舜海はとっさに手で身体を支えたが、尻餅をつく。 「いってっ!ったく今日はどいつもこいつも……」 「舜海……」 「なんや」 「舜海……舜海……」 「だから何やねん」  千珠はうわ言のように舜海の名を呟く。自分の胸に顔をうずめて動かないでいる千珠を見下ろす。  千珠は突然顔を上げると、無防備な舜海の唇に食らいついた。甘い酒の匂いと、熱い吐息が舜海の鼻をくすぐった。 「んっ……」  その身体を押し返そうとしたが、出来なかった。震える空いた左手で、千珠の背中を抱く。少し顔を離し、千珠はじっと潤んだ瞳で舜海を見つめていた。薄く開いた唇が、唾液で艶やかに光る。 「……やっぱり、お前が一番美味だな」 「……そら、どうも」 「もっと……欲しいな」 「うわ!」  千珠は舜海をそのまま後ろに押し倒すと、今までになく積極的に舜海の唇を貪った。絹糸のような柔らかい銀髪が、自分の顔に振りかかるのを感じながら、舜海は理性を奪われまいと必死だった。 「……こら、千珠! やめろ」 「何で……」  千珠の肩をぐいと押し、舜海はなんとか上半身を起こす。千珠の顔は、何故か悲しげだった。そんな千珠の表情に、舜海はぎくりとする。 「えっ。どうした?」 「……もう俺を抱かないのか」 「あ……ああ、そうや」 「……俺が求めても?」 「……その必要なくなったやろ」  千珠の目から、涙がこぼれた。後から後から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出す。舜海は今日の千珠の行動にいちいち驚いてばかりだった。 「何で泣くねん」  指で頬を拭ってやりながら、舜海は穏やかにそう尋ねた。千珠は酔っているせいか、泣いているせいか、顔を赤く染めてしくしくと泣いていた。 「分からないけど……何だか泣けてくる」 「何やそれ」  泣いている千珠を放っておけるはずもなく、舜海は千珠を抱き寄せる。千珠はぎゅっと舜海の黒装束を握りしめて、声を出さずに肩を震わせていた。 「夜顔を助けて都を救った、英雄の千珠さまはどこへ行ったんや」冗談めかしてそう言うと、千珠は舜海の胸の中で首を振る。 「……そんなんじゃない。一人じゃ何も出来なかった」 「それでいいねん。そうやって、人と生きていくんやから」 「うん……」  千珠は顔を上げてじっと舜海を見上げた。自分を求めていると分かるその瞳に、舜海はぐっと胸を鷲掴みにされるようだった。あえて、笑顔を見せた。 「なんでそんな顔してんねん。明日は俺ら、一緒に青葉へ帰るんやで」 「うん……。でも……もうこんなこと、できないんだろう? こんなに近くに寄れないんだろ?」 「……まぁ、な」 「いやだ……舜海、俺……いやだよ」 「え?」  酔っ払って素直になっているのか、千珠は駄々をこねるようにそんな事を言い始める。舜海は困り果てたが、それと同じくらいに嬉しくもあった。 「それでいいって、言ってたやないか」 「……いやだ。やっぱり、いやだよ」 「……千珠、大丈夫や。お前が困ったときは、ちゃんと手ぇ貸したるから。そんな、不安がらんでも大丈夫やで」  舜海は子どもに言い聞かせるように、穏やかに優しくそう言って、笑ってみせる。 「うん……そうかな……」 「ああ、大丈夫やって」  千珠はその言葉を聞いて、少し表情を和らげた。ほっとしたのか、再び眠たそうに目を瞬かせた千珠は、脱力して舜海の胸に崩れ落ちる。  その身体を蒲団に今度こそ横たえると、掛け布団を掛けてやる。赤い顔で目を閉じている千珠の頭を、そっと撫でる。 「困った奴」  舜海は身を屈めると、そっと千珠の唇に触れる。柔らかく、温かい、感じ慣れたその感触。  舜海はじっと千珠の寝顔を見つめていたが、振り切るように立ち上がって離れを後にした。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   舜平は目を開いた。  珠生のベッドで眠っていた舜平は、そこがどこか一瞬わからなかった。昨日は久々に日本酒を飲んだからか、こんな夢を……。  夜顔事件終焉の際の宴。その時に千珠と交わした会話。  まるで子どものようにだだこねをする千珠を思い出し、ちょっと笑った。 「舜平さん、起きてます?」  がちゃりとドアが空いて、珠生の声がした。空いたドアから、コーヒーの香りが漂ってくる。 「舜平さん?」  自分を覗きこむ珠生と、うっすら開いた舜平の目が合う。   舜平は手を伸ばすと、ぐいと珠生を抱き寄せた。不意をつかれた珠生は、「うわっ」と言って舜平の上に覆いかぶさるようにベッドに倒れ込んだ。 「ちょ……なに寝ぼけて……」  珠生は手をついて、舜平を見下ろした。まるで珠生が舜平を組み敷いているかのような図である。 「……珠生」 「何ですか」  自分を見上げる舜平の目には、いつもとは少し違う色が見えた。夢を見ていたんだ、と珠生には分かる。  まっすぐな舜平の強い目線から、珠生は目が離せなかった。すっと舜平の手が珠生の後頭部に伸び、引き寄せられる。  重なった唇にも、珠生はもう驚かなかった。自分が上にいるのだから、拒もうと思えばいくらでも拒めたが、そうはしなかった。舜平の顔の横に手をついたまま、舜平と何度も唇を重ねた。舜平の動きは巧みで、緩急をつけた動きが徐々に珠生の意識をぼんやりとさせていく。  互いの唾液で艷めいてくる唇から、微かに濡れた音がする。舜平が思わず動きを止めたことで、珠生は身体を少し起こした。 「……なんで拒まへんねや」  珠生の潤んだ瞳を見上げながら、舜平ははそう言った。カーテンの隙間から細く入ってくる光が、珠生の目をきらめかせる。 「……分かりません」  珠生の言葉に、舜平は少し目を見開いた。珠生の目の中には、確かに自分を求めていた千珠と同じ光があった。  舜平はもう一度珠生を引き寄せると、更に深くキスした。自分に跨るような格好になっている珠生の背を抱き寄せて、何度も何度も、舌を絡ませた。  柔らかい感触と、懐かしい香りに舜平は酔った。苦しいほどに高まってくる心臓の鼓動が、舜平を追い立てるかのようだった。  薄着の珠生を抱き締めると、Tシャツがめくれてすぐに艶やかな肌に手が触れる。無駄な肉のついていない背に掌を滑らせると、珠生の身体がぴくりと反応した。 「……んっ……」 「珠生……」 「はぁ……んっ……まっ、待ってくださいっ……」  珠生はようやく、舜平から身を離した。しばらく二人は呆然と見つめ合っていたが、珠生はバツが悪そうにそろそろと身体を起こし、照れ臭そうに舜平を見下ろしている。舜平も気恥ずかしそうに、珠生から目を逸らした。 「……申し訳ない。酔っ払ってたわけでもないし、寝ぼけてたわけでもないねんけど……」 「気にしなくていいですよ。俺も……なんか、変な気分だったから……」 「変、ってお前……」 「夢見てたんでしょ? それに……」  珠生は舜平の唇に指で触れた。舜平は珠生の行動に驚き、目を瞬いた。 「舜平さんの身体、すごく気持ち良いから」 「……っ」  舜平は真っ赤になって、珠生の澄んだ瞳を見つめた。思ったことを述べただけなのかもしれないが、その台詞にはえらく熱っぽく、艶めいて聞こえたのである。 「あ、アホ、そんなこと、ガキが言うもんちゃうわ」 「何がです?」 「え、えと……それはその、」  珠生はきょとんとして真っ赤になっている舜平を見ていた。寝間着に格下げられたTシャツなのか、襟元が伸びたグレーのぶかぶかTシャツを着ている。白く細い首と、はっきり浮かび上がった鎖骨が舜平の目の前にある。芸術的なまでに美しく整った位置にあるそれらも、朝日を受けて白く透き通るようだ。本当に美しい少年だと、舜平は珠生を眩しげに見つめつつ、ふと、下半身の違和感に腰をもぞつかせる。 「あのさ、そろそろ降りてくれへんかな」 「……あ、はい」  と言いながらも、珠生は舜平の太腿の上に尻を置いたまま、動かない。そしておもむろに、舜平に抱きついた。 「……おい、珠生」 「もうちょっとだけ……いいですか」 「……えっ」  珠生はそう呟くと、ぎゅっと舜平の首にしがみつく。密着した華奢な珠生の背を、舜平はもう一度抱く。 「……ったくお前は」  まるで拷問だ。珠生を抱きつかれながら、舜平はぎゅっと目を閉じた。このまま押し倒してしまえたらどんなに楽かと。  目の前にある首筋に、少し唇を触れてみる。唇を通じて感じられる、暖かく脈打つ珠生の身体は心底心地良かった。  少しからかってやろうと、触れた唇で首筋から耳のほうまで撫で上げてみた。すると、珠生の身体がびくっと反応して、声が漏れる。 「あ……っ」  珠生の感じの良さにぎょっとした舜平は、慌ててすぐに唇を離した。駄目だ、こんな声を聞いていては、また我慢ができなくなる。 「……もう、勘弁してくれ。降りろ、珠生」 「はい」  珠生はさっと舜平から離れた。そしてさっさと背を向けてドアの方へ行くと、振り返って言った。 「朝ごはん、食べますよね」 「え、あ、うん」 「すみません、変なことして」  珠生は苦笑して見せると、すぐにドアを閉めて出ていった。  取り残された舜平は、がっくりと頭を落とす。否応なく、じんじんと熱を持った下半身に目が行った。 「ほんまに拷問や」  舜平はため息混じりにそう、つぶやいた。

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