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四十六、治癒の力

 帰宅したマンションは、しんとしていた。時刻は二十二時すぎ。健介が戻るまで、まだ時間がある。  あのあと、一度舜平の実家に寄って、パーカーを借りた。今日着ていたものは、貫かれた上に血でべっとりとよごれていたからだ。  燃やしておく、と舜平は言っていた。こんなものは各務先生には見せられないと言って。  服はぶかぶかだったが、舜平の匂いがしてとても落ち着いた。マンションに一人でいても、不思議と前のように不安にはならなかった。  体中の痛みも、消えていた。  腹の傷も、ナイフの傷も、跡形もなく消えていた。  その代わり、舜平の愛撫の痕が微かに残っていた。鎖骨のあたりや、胸元、そして内腿の辺りに。  シャワーを浴びていると、否応なく赤い痣に目がいってしまう。鏡に映るそんな自分の身体から、珠生は目を逸らした。  ――ファーストキスも、そして初めての性行為も、相手が男だなんて。  つい先月まで、千葉で平凡に暮らしていた自分はどこへ行ったんだろう。  手から剣を出して、おかしな妖怪を斬ったり。その妖怪に腹を貫かれたり、治療で腹を捌かれたり……。  ふと、舜平の熱い眼差しを思い出す。  あの黒い瞳で真っ直ぐに見つめられると、身体の奥深くから熱が生まれ、身震いするほどぞくぞくした。  生まれて初めて感じた、意識を失うほどの快感。自慰行為すらしたことのなかった珠生の身体には、あまりに強すぎる性の快楽。  舜平は何度も珠生の名を囁いて、優しく優しく珠生の身体を扱ってくれた。それでも、つながった瞬間の痛みは耐え難かった。  それでも最後は、本当に意識がなくなるほどの快感に気が狂いそうになった。何が何だか、自分が何をされているのかも分からなくなるほどに。  ――何で、泣いてるんや……?  終わった後、舜平は気遣わしげにそう言った。そして、珠生の涙を親指や唇で拭ってくれた。  ――分からないよ……と、珠生は言った。  本当に、何が何だか分からなかったのだ。涙が溢れるほどに幸せで、切なくて、懐かしくて、苦しくて……珠生はしばらくのあいだ舜平の胸にすがって、涙を流し続けていた。  ――痛かったんやな、ごめんな。と舜平は珠生を抱きしめながら謝っていたが、珠生は首を何度も振った。  ――違うよ、違うんだ。何だろう、嬉しくて……。  五百年を経て、再び重なった二人の身体が、情念が、この心を震わせたのだと……珠生はそう思った。    頭を拭きながらリビングに出てくると、健介が帰宅していた。どきりとして、珠生は足を止める。 「珠生、ただいま」 「お、お帰り……父さん」  健介はボストンバッグからごそごそとお土産物を取り出して珠生に見せては、九州はなかなかいい所だったなど楽しげに話をしている。  そんな父親の存在が、珠生をようやく現実へと引き戻してくれた気がした。  今日の出来事は、あまりに非日常的すぎる。 「寂しくなかったかい?」  ソファの横に座った珠生の頭をぽんぽん撫でながら、健介はそう言った。珠生は苦笑する。 「まさか。高校生捕まえて何言ってんだか」 「そうだな。ははは。もう寝るか?」 「うん、明日からはまた通常授業だから」 「そっか。学校、どうだ?」 「うん、まぁ、まあまあかな」  真壁との一件などはあったものの、彰のおかげで概ね平和だった。 「来週の連休、千秋が来ること覚えてるよね?」 と、珠生は健介に訊いた。 「うん、えっと日曜から木曜日まで泊まるって言ってたね。楽しみだな」 「嘘つけ、ちょっとびびってるくせに」  ひきつった健介の笑みに、珠生は苦笑した。健介は頭をかいている。 「いやだって……久しぶりだからねぇ。会った途端に殴られそうだし……」 「まあそれも父親としての仕事だろ。甘んじて殴られなよ」 「……珠生、お前たまに、すごく大人っぽいこと言うよなぁ」 「そ、そうかな?……じゃあおれ寝るね。おやすみ」 「おやすみ」  健介の笑顔に見送られ、珠生は部屋に入ってベッドに横になった。  千秋は今の俺に会ったら、何かが変わったって、気づくかな?最後まで、ごまかして通せるかな。  きっと気づくよな、千秋なら。  そのとき、なんて話せばいいんだろう……。

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