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五十三、迸る霊力
「なんだ、どうした!!」
「珠生!?」
大人の男の声と、湊の声がした。脂汗を流しながらゆっくりと顔を上げると、愕然とした表情を浮かべる担任教師の若松と湊が、美術室に駆けつけたところだった。
「珠生! なんてことや……!」
駆け寄った湊が、自分のジャケットを珠生に羽織らせて半裸の身体を覆った。そして、がくがくと震える珠生と、その真っ赤に染まった目に気づく。
「お前……これ……」
「か……はっ……あ……」
「息できひんのか? もう、大丈夫やから! 落ち着け、珠生。俺を見て、息をしろ!」
震える手で、湊のシャツを握り締め、必死に息をした。あまりに強く握りしめたため、湊の腕に血が滲んでシャツを赤く染めた。それでも湊はじっと珠生から目を背けず、落ち着いた声をかけ続けた。
「大丈夫、大丈夫やから。落ち着いて、息するんや」
「……はっ……はっ……はっ……」
「そう、それでいい。珠生、怖かったな……」
「沖野……? これは……。こいつら、二年の真壁じゃないか。いったい何が……。ガス爆発か……?」
教室のあまりの惨状と、ほとんど裸の珠生の姿に混乱した新任教師の若松は、あたふたと教室を見回すばかりであった。
湊ははっとして、散らばっていた珠生の制服をかき集め、その身体をジャケットで覆ったまま抱き上げた。
「先生、沖野は準備室に運びます。こんなカッコ、見られるわけに行かへん」
「え。ああ……そうしてやってくれ。すぐに他の先生方も来るだろうから……」
美術準備室は美術室とドア一枚を隔てて繋がっている。湊はその扉を蹴り飛ばすと、バキッと鍵が壊れてドアが開いた。さっとその中に入ると、背中でドアを締める。
その直後、すぐに複数の足音が外に集まってくるのが聞こえてきた。湊はじっとその気配を窺っていたが、尚も苦しげな珠生を床にゆっくりと降ろす。
「こんな……酷いな」
引き裂かれたシャツと、半裸の身体を見れば、何をされていたかは一目瞭然だった。湊は悔しげに唇を噛んで、珠生に服を着せてやった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「珠生、珠生?」
「あ……みな……と」
「意識あるな? 大丈夫か?」
「……うん……」
「ちょっと待っとけ」
湊は立ち上がると、ドアの前に立ってじっと教師たちの会話に耳をそばだてた。
担任教師は珠生のことは伏せておいてくれている様子で、教師たちはひたすら、そこにいる真壁たちの存在を問題にしていた。
「またこいつら……。まさか学校を爆破しようとするなんて……信じられないな」
「救急車は呼んだか!?」
「はい!」
「消防はどうします!?」
「呼びました!」
「こんな不名誉なニュースが流れたら……」
「でも隠せませんよ。グラウンドで部活していた生徒も外で見てますし……いくら何でも生徒の口まで塞げません」
教師たちが口々に言っていることを聞きながら、湊は少し安堵した。
どうやら、真壁たちの仕業ということになっているらしい。珠生の姿も見られていない。
湊は珠生の脇に膝をつくと、じっとその顔を覗きこんだ。眼を閉じて荒い呼吸をしている珠生は苦しげだ。
「珠生……」
ここにいるのも危険だ、と判断した湊は、珠生に小声で問いかけた。
「珠生、歩けるか?とりあえず、ここから離れるで」
「……ああ、うん」
「ほら、つかまれ」
湊はふらつく珠生を立たせると、グラウンドに面した側の出入り口を開けて、暗がりに紛れて早足に外に出た。野次馬が美術室を覗きこむようにわらわらと集まっていたが、かろうじて二人は誰にも見咎められずに美術室を離れた。
とりあえず、湊は弓道場へ珠生を連れていき、はあ、とため息をつく。
「ここなら誰も来うへん……珠生、何があった? 話せるか?」
「……あいつら、猿之助の部下だった男だ。黄泉の国から、呼び戻されたと言っていた……」
「何やと?」
「草薙を奪えなかったこと、怒ってるって……力が戻らないうちに、俺を潰すつもりだって……」
「くっそ……あの野郎……」
冷静な湊の顔に、怒りの表情が浮かんだ。ぐっと奥歯を噛み締めて、ぎゅっと目を閉じる。
「珠生、身体は?」
「……大丈夫。ぎりぎりセーフ……」
「そうか……。ごめんな、すぐに気づいてやれなくて」
「何言ってんだよ。一番に、来てくれたじゃないか」
「せやけど……」
湊は悔しげに、珠生の顎や首、脇腹に覗く痣を見て表情をゆがめる。珠生はボタンのないシャツの前をかき合わせ、肌を隠した。
「あ、いたいた……柏木、ここにいたのか」
担任教師の若松が小走りにやって来て、弓道場に上がってきた。若松は弓道部の顧問である。一応後ろを確認して、誰も居ないことを確かめてから、その扉を締める。
若松が現れたことで緊張した珠生は、はっと身を硬くした。
「沖野、お前、あいつらに……」
「……俺は、大丈夫です」
珠生は俯いたままそう言った。隣に正座した湊が、「あいつらはどうなりました?」と、質問を返す。
「真壁たちは救急車で運ばれた。消防の人も来たけど……爆発の原因が分からないといって、今詳しく調べているよ」
「そうですか……」
「沖野、何があったんだ? お前のことは伏せておきたいと思っているが……あの爆発とお前との関係が俺には分からん。何があったのかだけは、教えてくれないか」
「……俺、分かりません。怖くて……」
珠生が潤んだ瞳で若松を見上げると、若松の頬にさっと朱がさす。
「……そうか。そうだよな……。お前は怪我、してないのか? 病院に行くか?」
「いえ……大丈夫です」
「親御さんに、迎えに来てもらうか? ちょっと、言い難いと思うけど……」
珠生の脳裏に、健介の顔が浮かぶ。健介が今の珠生の姿を見たら、卒倒を通り越して本当に死んでしまうかもしれない。珠生は首を降った。
「いいです。一人で帰れます」
「いや、そうはいかんだろう。その格好じゃ……」
「あ、俺らの知り合い、呼びますわ。車出してくれるはずやから」
「え?」
「ほら、沖野んち、離婚してはってお父さんもお忙しいでしょ。いろいろ面倒みてくれてはる人がおるんやんな?」
「……え? あ、うん……」
湊は携帯を取り出して、どこかに電話をかけはじめた。
「もしもし? 舜平? 俺らの学校、分かるやんな。すぐ来て。珠生が大変やから」
『はっ?おい……! 何やそれ、どういう、』
舜平の声を無視して、湊は通話を切った。珠生と若松はぽかんとして湊を見ている。
「舜平さん……?」
「ああ。あいつならすぐ来てくれるやろ」
「……」
正直、今の姿を舜平に見られたくはなかった。しかし、無性に彼が恋しくなったのも事実だ。珠生はぎゅっと、かき合わせていたシャツを握り締める。
若松はそんな珠生の横顔を、ぼんやりと見つめていた。その視線に気付いた珠生と目線がぶつかり、若松はさっと目をそらす。
「……お前は、あいつらを訴えることもできる。そうなると、色々と隠し立てはできなくなるが……」
「いいです、もういいんです。未遂ですから……」
「……しかしなぁ」
「先生」
珠生は必死な目をして若松を見た。若松はどきりとして、目を瞬かせながら珠生を見返す。
「先生も、忘れてください。こんなこと」
「……あ、ああ……」
「俺……早く帰りたいんです」
珠生の悲しげな表情に、若松は胸が高まるのを感じて、戸惑っていた。こんなにも色香の漂う男子生徒が、今までにいただろうか……と思うほどに、珠生の何もかもが色っぽく見えた。
そしてすぐにそんなことを思ってしまった自分を、不謹慎だと戒める。
沖野珠生。教師の間でも、美少年が入ってくると話題になっていた生徒だったが、若松は特に気にかけていなかった。成績は全てがほどほどで、素行も問題なく、家庭環境が少し変わってはいるものの、保護者面談での父親の印象は良かったため、問題視されなかった。
それが、このような状況だ。とんでもない秘密を抱えることになってしまった。
二年の問題児たちによる性的暴行未遂、その被害者は若松の担任する美少年、そして謎の大爆発……。まだ教師になって一年目の若松には、いささか重すぎる内容の秘密である。
しかし、こんなにつらい目に遭った生徒を、更に苦しめる気にもなれなかった。若松は、仕方なく頷く。
「わかったよ」
「ありがとうございます……」
珠生は小さな声でそう言い、横に座った湊の腕をちらりと見た。湊の白いシャツには、血が滲んでいる。
さっき珠生が握りしめたとき、傷ついたのだ。
「湊……ごめん、腕……」
「そんなこと、気にせんでええ。俺、斎木先輩にも連絡するわ」
と、携帯電話を持って立ち上がった湊を、若松は不思議そうに見上げる。湊は電話をかけに外に出ていった。
「何で斎木に?」
と、若松。
「……えっと……。昔からの友人なもので……」
「あ、そう……」
よく分からないまま若松が曖昧に頷いていると、どこかで携帯電話のバイブレーションが作動しているかすかな音が聞こえた。その音源を探すと、湊が拾い集めてきた珠生のジャケットのポケットからだ。
珠生はジャケットを引っ張って携帯電話を取り出す。着信は舜平からだった。
「……はい」
『珠生! どうしたんや!? 俺、もうお前の学校内におるんやけど……なんやこの騒ぎは』
「えと……校舎の一番西の裏手に弓道場があるんだけど、そこにいます……」
『分かった、すぐ行く!』
ボタンを押して、通話を終了する。
「親戚の……人、かなにかか?」
と、若松。
「……いえ、あの……父の研究室の学生さんです」
湊が適当に言った嘘を、適当にぼやかして、珠生は本当のことを言った。若松は、狐につままれたような顔で、それにも曖昧に頷いた。
けたたましい足音と共に、弓道場の引き戸ががらりと勢い良く開く。そこには、鬼の形相をした舜平が立っていた。珠生の姿を見て表情を強張らせると、すぐさま珠生に歩み寄ってきて、その身体を抱きしめた。
「珠生……お前、何されたんや!」
「舜平さん、痛いです……」
「ああ、すまん……ん?」
背後にいた若松に初めて気がついた舜平は、ぎろりと若松を睨みつける。若松はその凶暴な目線にビクッとして、少し身を引いた。
「お前か? お前がやったんか?」
「え、ち、違いますよ!!」
「ほんなら、お前誰やねん。言うてみろやコラァ!!」
「うわぁあ!!」
舜平は立ち上がると、やおら若松のネクタイを掴み、ぐいと引っ張って自分の方に引き寄せた。大柄な舜平に無理やり引っ張られて立たされているような状態の若松は、酸欠の金魚のようにぱくぱくと口を動かしている。
「……舜平さん、その人は、俺の担任の先生です」
「え?」
「若松先生です」
「……そうならそうと、早う言わんかい」
舜平は尚も苛々した口調を若松に向けると、ぱっと手を離した。尻もちをついた若松は呆然として舜平を見上げている。
「珠生、行こう。怪我してるやんか」
「……はい」
舜平は自分が着ていたカーキ色のジャケットを珠生にはおらせると、フードを被せてその姿を隠した。そして、珠生の肩を支えて外に出こうとする。
「ちょっと待って……あの、先生。本当に、このことは誰にも言わないでくださいね」
フードの影から、珠生の目だけが若松を見下ろして、そう念を押した。
「あ、ああ……。分かった」
「……失礼します」
舜平と呼ばれた男に何故かひと睨みされた若松は、またびくりとして肩を揺らす。どうしてあの男に自分がこんなぞんざいな扱いを受けたのか分からぬまま、若松は呆然とそこにへたりこんでいた。
「……あれ、珠生は?」
電話を終えたらしい湊が弓道場に戻ると、そこには気の抜けた顔をしている若松だけが残っていた。
「彼の親戚? 学生? ……ってひとが来て、つれて帰ったよ。なんか、凄まれちゃったんだけど……」
「ああ、あいつ短絡的なとこあるから。すいませんね、先生」
まるですまなそうじゃない湊の口調に、若松はまた混乱した。いつもの柏木は品行方正で賢く、教師に対してこんな口の利き方をするような生徒ではないからである。
しかし今日の柏木湊は、美術準備室のドアは蹴り破るし、持ち込み禁止の携帯電話を堂々と使用しては、あのガラの悪い男を呼び捨てにして呼びつけ、今は担任である若松に向かってこの口調だ。
「……一体何が起こってるんだ」
思わずそう呟いた若松を見て、湊は苦笑した。
「あんまり深く考えへんほうが、身のためですよ」
脅迫じみた湊の言葉に、若松はまた、唖然とした。
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