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五十八、蘇る妖力
藤原の運転する黒いセダンに乗って、珠生は再び比叡山延暦寺を訪れていた。
比叡山ドライブウェイのゲートは、全て閉まっており、そこかしこに警備員が配置されていた。藤原が窓を開けて顔を見せると、警備員はゲートを開く。
延暦寺の敷地面積は広い。
今も人払いをしてあるらしく、立入禁止の立て看板や車止めがあちこちに設置され、どことなく物々しい様子だった。
「比叡山全部が、立入禁止……ですか」
「そう、術式までは猫の子一匹通さないようにと言ってあるんだ。中央省庁にいると、方々にそういうお願いがしやすくていいね」
と、藤原は事も無げに笑った。
時刻は十五時を過ぎているが、当然のごとく日はまだ高い。しかし、整備されたドライブウェイを奥へ奥へと進んでゆくごとに、深い木々によって視界は暗くなる一方である。
車が軽い衝撃とともに止まる。藤原はサイドブレーキを引いてエンジンを切った。
「さあ、降りようか」
降り立った場所は、深い森の中だった。ざわざわと、木々の葉が風にざわめく音が、満ち満ちている。
珠生はそこの空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
清涼な空気、高い霊威。頭の中が、クリアになっていくような感覚だった。
少し歩いて斜面を登り、雑木林を抜けると、そこには砂利を敷き詰められた広大な空間があった。よく見ると、各所に五芒星の描かれた札が地面に打ち付けられている。
「これは、外に妖気を漏らさないようにするための結界だ。葉山がやる」
それを見ていた珠生に気づいてか、藤原はそう言った。奥に小さな社と鳥居があり、その階段に葉山がスーツ姿で腰掛けていた。珠生を見て手を振っている。
「珠生くん、草薙を護った時の感覚を思い出すんだ。君は宝刀を、その身体から取り出すことができたね」
「……はい」
「目を閉じて、イメージするんだ」
珠生は言われたとおりに目を閉じて、あの日のことを思い出した。自然と手が持ち上がり、胸の前で合わさった。
ざっと強い風が吹き、珠生の髪を乱す。
藤原の合図で、葉山は印を結び、結界を張った。
「白雷光!」
いきなり藤原はそう声高に唱えると、珠生に向かって術を仕掛けた。高く掲げられた藤原の手から、白く細い矢のような光が、珠生に次々と襲いかかる。
「……うわ!!」
咄嗟にそれを避けた珠生は、体勢を整えきれずに膝をついた。砂利が膝頭に食い込むちりりとした痛みがある。
「邪魔をされても、イメージすることをやめてはいけない。敵はひとりとは限らないし、どこからくるか……分からないからな!」
「えっ……!」
先ほど避けたはずの矢が、今度は背後から珠生に鋭く襲いかかってきた。珠生は目を見開いてその軌道を読むと、ふわりと地を蹴って飛んだ。
珠生の足元すれすれを飛び去っていった矢は、藤原の足元に鋭く突き刺さり、霧散して消えた。
「なかなかいい動きをするじゃないか。……次行くよ。剣はどうした?」
「……!」
――両方に集中なんて、無理だよ……! でも、でも……!
「白雷光!!」
矢を避けるのは、すこしずつ慣れてきた。
ただただ、信じられなかった。自分の身体じゃないみたいに、全身がとても軽い。今までこんな動きをしたこともないのに、手足はどのように動いたらいいのかをよく知っているかのように、反射的に動くのだ。
珠生はひらりと後ろに一回転すると、片手で地面を弾いて着地する。さっと藤原を見上げると、じっと冷静な表情で印を結んでいる。ゆらゆらと陽炎のように、薄黄金色の霊気が立ち上っているのが見えた。今までは感じることさえ出来なかった藤原の霊気が、今ははっきりと見える。
「少し大技で行こうか。……波術紅火閃 !! 急急如律令!」
そう言い終わるか終わらないかのうちに、藤原の身体から紅蓮の炎が立ち上る。そしてそれは、地面を焼き払いながらまっすぐに珠生に向かってきた。
「……何だ、これ!」
珠生は目を見開いた。薄茶色の瞳に、真っ赤な炎が映って揺れた。
どぉん!! と火柱が立って、黒く焦げた砂利が辺りに降り注ぐ。
結界を張っていた葉山は、あまりの衝撃に思わず立ち上がった。
少し先に立っている、藤原のワイシャツが激しい風にばたばたとはためき、その向こうには黒煙を上げる火柱。
少しずつ収まり始めた黒煙の中に、きらりと白く閃く物が見えた。
宝刀が、藤原の術を切り裂いたらしい。藤原は目を見開き、そして低く笑った。
珠生の手には、千珠の宝刀がしっかりと握られている。顔の前で横一文字に構えた白い太刀が、再び外に出ることができたことを喜ぶかのごとく、一層まばゆくきらめいた。
珠生の目は静かだった。
膝をついていた珠生はゆっくりと立ち上がり、宝刀を無形の位に構えた。
ふわ、と珠生の身体から青白い妖気が立ち上り、周りに立ち込めていた黒煙が掻き消される。
全身を取り巻くこの力が、至極身体に馴染んで心地いい。千珠の妖力が、確実に珠生の身体に蘇りつつあるという手応えがあった。
珠生は自分でも気付かぬうちに、勝気な笑みを浮かべていた。
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