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五十九、京都駅にて
千秋は新幹線に乗って、西へ向かっていた。ぐんぐんスピードに乗って流れていく景色が、段々と色合いを変えていく。
逸る気持ちを抑えることが出来ず、口元が自然とほころんでゆく。
――もうすぐ、珠生に会える。
車内は混雑していたが、すみれが指定席をとってくれていたお陰で、優雅に京都に来ることができた。
米原を過ぎたというアナウンスの後、ずっと窓の外を眺めていた千秋は、小さく見えてきた東寺の五重塔に目を輝かせる。
――きれい……。
歴史の匂いが、今も残っているような感じ。千秋はホームに降り立って、深呼吸した。
珠生は新幹線の中央改札口で待っていると言っていた。千秋は小走りに階段を降りていく。
肌に馴染むゴールドベージュのフラットシューズが、とんとんっと規則正しい足音を立てる。スキニーデニムを履いたすっきりと細い脚で、千秋は軽やかに階段を駆け下りた。
駅のコンコースは大混雑だ。連休二日目、人々は楽しげに賑やかに、皆目的地に向かうのだ。
自動改札機に切符を通すと、千秋はきょろきょろと辺りを見回した。行き交う人、人。人ごみは苦手でないが、さすがにこの混雑ぶりはすごい。雑多に行き交う人の流れを何とか縫って歩く。
「千秋」
どこからともなく、珠生の声がした。驚いて振り返ると、珠生が微笑んでそこに立っていた。
「珠生!」
千秋は肩に下げていた旅行バッグをその場に落として、思い切り珠生に抱きついた。
「久しぶり!」
「や、やめろよ、こんなとこで……」
「あれ?ちょっと背が伸びた?それに、ちょっと痩せたんじゃない?」
「そうかな?」
千秋は身体を離して、まじまじと珠生を見た。同じ形をした大きな目が、じっと互いを見つめている。
――? あれ、何だろう……。これ、珠生だよね……。
ふと千秋は違和感を覚えて、眉を寄せた。珠生はきょとんとして、そんな片割れを見守っている。
「あんた……彼女でもできたの?」
「……はい?」
「なんか、色気が増してない?」
「色気? な、何言ってんだよ。彼女なんかできてないし」
「ふーん」
千秋はバッグをもう一度肩にかけると、じっと首を傾げてじろじろと珠生を見ていた。
珠生は内心穏やかではない。
千秋と離れていたのはほんの一ヶ月やそこらだが、その間に経験した不可思議な出来事や、珠生自身に起こった変化は数えきれない。それを千秋が嗅ぎ取るのではないかという不安は持っていたが、こんなにすぐに指摘されるとは思わなかった。
「ま、ゆっくり話す時間はあるしね。ねえご飯食べよう、お腹すいちゃった」
「うん、そうしよっか」
時刻は十ニ時半をすぎていた。千秋は珠生にバッグを押し付ける、ふたり並んで歩き出す。
千秋は大階段が見たい、京都タワーに登りたい、地下のショップで買物がしたい、帰るときはここでお土産を買わなくちゃ、等々賑やかに喋りながら、珠生を連れ回して歩き回った。
マイペースでハイペースな千秋に久しぶりに付き合わされている珠生は、苦笑しながらもそれが懐かしんでいる。
中学の頃は、このマイペースさに腹が立つばかりであった。しかし、久しぶりに体験する千秋のワガママは面白くもあった。
それに、千珠の記憶を取り戻した珠生にとって、千秋の存在を幼く思えるようにすらなっていた。多少のことは、許せるような気がしているのである。
今日は京都駅をしっかり堪能してから帰るのだと言い、千秋は荷物をコインロッカーに仕舞いこんで身軽になった。二人で京都駅をうろつく。
昨夜、藤原との修行を終えて帰宅すると、時刻は夜の十時過ぎだった。さすがに健介に咎められるかと思っていたが、健介はまだ帰宅しておらず、珠生は胸をほっと撫で下ろしたのだった。
疲労しすぎてその後も眠れなかったせいで寝不足の珠生は、京都駅の人ごみを歩き回ってすっかりくたびれてしまった。
「千秋、休憩したい」
「え? もう? 相変わらず体力ないなぁ、あんた」
「五月蝿いな。あ、駅ビルの空中径路行きたいって言ってたよね、そこで休もう」
「ああ、それならいいよ」
二人は自動販売機で飲み物を買い、比較的人の少ない駅ビルの中にある、空中径路へと向かった。ガラス張りの駅ビルの特徴を生かし、京都の風景を楽しむことができる展望台のような小道が、駅ビルの中に設置されているのだ。
ひと通り歩いたが、そこもかしこもカップルが占領して座り込んでいたため、二人は結局大階段のあたりまで戻ってきた。
座り込んだ場所は、JRや新幹線の線路の見える場所だ。大階段の右手に位置する、なんということのない階段だが、なかなかに景色はいい。
珠生はぐったりして座り込むと、はぁ、とため息をついた。千秋は涼しい顔をして、走りだす新幹線や電車を眺めつつコーラを飲んでいる。
「寝てないの? なんか疲れてるね」
「え? ……ああ、うん。ちょっと勉強してたから……」
術の訓練とは言えず、珠生はそう言った。千秋は目を丸くすると、
「連休にまで勉強するの? 信じらんない。やっぱ名門校は違うわね」と首を振る。
「あたしなんか、木曜くらいから連休が楽しみすぎて、勉強したことひとつも覚えてないよ」
「それもどうかと思うけど」
珠生は苦笑して、ごくりと缶コーヒーを飲んだ。そして足元に並ぶ紙袋を眺めては、更にため息をつく。
「ねぇ、まだ買うの?」
「何言ってんの、珠生のも選んであげてるから時間かかってんじゃん。珠生はあたしが買い物連れて行かないと、ずっと同じもの着てるんだから」
「……別に服なんかなんだっていいよ」
「ダメよ。あんた元がいいからって、手ぇ抜き過ぎ! 母さんから軍資金いっぱいもらってんだから、全部使って帰るって決めてるの」
「……あ、そう」
「あんたのこともよろしく言われてんの。しっかり付き合って」
「はいはい……」
とはいえ、疲れた。帰りたい、眠りたい……。珠生は後ろに手をついて、空を見上げた。
すると、階段の下から、きゃいきゃいと賑やかに言い合いながら上がってくる男女の声がした。五月蝿いなぁ……と珠生は思う。
隣にいる千秋は携帯電話をいじっていて、そんなことには耳も向けていない様子だ。
「何でやねん、ええやん別に! 何で舜にぃにそんな事言われなあかんねん!」
「お前まだ高校生やろ! 大学生と合コンなんてあかん! 危ない! 大学生なめたらえらい目あうで」
「自分かて大学生やろ! なんなん? 舜にぃも合コン行ったら毎回お持ち帰りとかしてるわけ? 信じられへん、最低、不潔」
「そんなことせぇへんわ! だいたい合コンなんかいっぺんもいってへんし」
聞き慣れた声が、徐々に近づいてくることに気付いた珠生は、仰向けていた頭を元の位置に戻した。
階段を上がってくる男の方は、どう見ても舜平だった。
「あ」
「うわ!」
先に気づいて声を上げた珠生を見て、舜平はぎょっとしたような声を上げた。千秋もそれに反応して、舜平と、その隣りにいる自分たちと同じ年の頃の少女を見比べている。
「珠生。何でこんなとこにいんねん」
「いや、京都駅ですから。俺がいたっていいじゃないですか」
「舜にぃ、誰? 誰?」
隣にいた少女が、目を輝かせて珠生を見ていた。舜平によく似た、勝気なはっきりと目をした少女だ。好奇心の強そうなはっきりとした顔立ちに、ショートボブの黒髪がよく似合う。ひらひらとした袖のレモンイエローのカットソーに、ホットパンツから惜しげも無く晒す脚はむっちりとしていて健康的だ。足元は高いヒールのサンダルを履いている。
「え?えーっと……俺のついてる先生の息子さん。沖野珠生くんや。ってことはその子……」
「へぇ、父さんの学生さんなんだ。初めまして、沖野千秋です。珠生がいつもお世話になってます」
千秋も興味深そうに舜平を見上げて、にこやかにそう言った。しかし、その隣りにいる派手目な少女には、目もくれない。
「ああ、やっぱり千秋ちゃんや。ほんまによう似てんなぁ。あ、これは俺の妹や。自己紹介せぇ」
「どうも、相田早貴 す。舜にぃ、こんなカッコイイ子友達なん? 何で早く紹介してくれへんの?」
「やかましい。お前、これから合コン行くんやろうが」
「ちょ……何でこの子らの前でそんなん言うねん! アホ!」
早貴は顔を赤くすると、舜平の腹を思い切り拳で殴りつけた。もろにそれを食らった舜平は、思わず膝をついて呻く。
「アホ兄貴! うち、もう行くからな!」
「ちょ……待て、ボケ……!」
高いヒールでさっさと走り去っていった早貴の背に手を伸ばしつつも、舜平は腹を殴られた痛みで立ち上がれないようだ。
目を丸くして二人を見守っていた珠生と千秋は顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「あはははっ! 何今の? 漫才? 関西の人って、おもしろいね!」
と、千秋は涙目になりながら腹を抱えて笑った。
「舜平さん、妹の前じゃ弱いんだね」
と、珠生も笑っている。
二人に笑われた舜平は、憮然とした顔をしながら、どっかりと珠生のとなりに腰掛けた。
「……見苦しい所を見られたもんや。全く、生意気な妹で困んねん」
「高ニだっけ? 俺らの一個上かぁ」
「派手な子だねぇ、でも似合ってたな、ああいうはっちゃけた格好」と、千秋。
「……あいつ、彼氏と喧嘩して、腹いせに合コン行くとか言いよって。今日えらい気合入った格好してんなぁと思ったら……」
「何で一緒にここに来たの?」と、珠生。
「いや、京都駅まで送れって言うから……まぁ俺も大学行くとこやったし回ったらええかと思って。そしたらそんなこと言い出すから、つい……」
「お説教しながらついてきちゃったんだ、やっさしい」
と、千秋はにやにや笑いながらそんなことを言っている。
舜平は珠生越しに、千秋を見た。
早貴とは対照的なスレンダーな体つきだ。すっきりと身体のラインに沿ったベージュのサマーニットと、すらりとした脚を強調させるようなスキニーデニムとフラットシューズ。無駄のない体型は、珠生とそっくりだ。さらりとした薄茶色の長い髪が、風に揺れる。
千秋は、自分の魅力をどう他人に見せればいいか分かっているように見える。垢抜けた大人っぽい服装は、さすがのようにおしゃれである。関東の子は違うな……、と舜平は思った。
それに、千秋は文句のつけようのない美少女だ。その手前にいる珠生と、ほとんど同じ顔立ちということは、珠生はどちらかと言うと女性的な顔立ちだということが分かる。
しかし以前珠生が言ったように、喋り方や体型からは、まるで女らしさが感じられない。やんちゃな子どもを、そのまま大きくしたような少女だと思った。
「しかしよう似てんなぁ、びっくりするわ」
「そうですか?」
「珠生に大学生の友達がいるなんてなぁ。あ、お名前は?」
「ああ、名乗ってへんかったか。相田舜平です。よろしく」
「舜平さん、か。ふーん」
千秋は興味深そうに、舜平を頭から爪先まで見下ろす。
「どこか行ってきたん?」
「いいえ……買い物に付き合ってただけです」
千秋はまじまじと、珠生と舜平を観察した。
二人で話をしている雰囲気を見ていても、珠生が舜平に心を許していることがよく分かる。警戒心の強い珠生が、すっかりこの男には懐いている。
珠生は舜平と話しながら大あくびをして、明日から千秋とどこそこへ行かなければならない……等々話をしている。あくびをする珠生を見て、舜平は優しく微笑んでいた。
「随分、仲いいみたいだね、二人」
なんとなく面白くない気分になった千秋は、むくれつつそう言った。珠生はぼんやりした顔で千秋を見た。
「そうかな。まぁ、慣れない京都で色々とお世話になったから……」
「ふーん。あんたにしちゃ、ずいぶん懐いてるじゃない。ってか、なんで急にそんなに眠そうなのよ」
舜平が現れて気が緩でしまったせいで、昨日からの疲れがどっと出てしまったのだった。珠生はしょぼつく目をごしごしとこすった。
「今日はもう帰ろうよ。人ごみで疲れた」
「もう、そんな子どもみたいなこと言って! ……っていってももう四時すぎかぁ。確かにお腹もすいてきたし……」
「はは、千秋ちゃんのほうが、姉ちゃんなんやな」
と、二人の会話を聞いていた舜平が笑いながらそう言った。爽やかな笑い方に、千秋は思いがけずどきりとした。
「生まれた順番では、私が先なんです。珠生はいつもぶつくさ文句ばっかり言うんだから」
「千秋がマイペース過ぎるんだよ」
「はあ? そんなことないよ」
同じ顔が喧嘩をしている様子を見ながら、舜平はまた笑った。珠生の片割れは、ずいぶんと気が強いようだ。
「俺、もう行くけど。帰るなら家まで送ったろか? 俺、車やから」
「いいんですか?」と、珠生。
「どうせこれから大学行くねん。お前んち回って行ったとしても、そう変わらへんしな」
「あ、そっか。よかったね、千秋」
「ラッキー、ありがとうございます。ついでに、名所とかあったら教えて下さいね」
「ああ、ええよ。行こか。俺、路駐したままやからはよ行かな」
舜平は珠生が持とうとした紙袋や千秋の荷物を、ひょいと持ち上げた。その行動の自然さに驚いているような表情の千秋が、舜平を見上げている。
「二人共疲れてんねやろ? ちょっとやし、持つわ」
「……ありがとうございます」
二人の声が重なる。それを聞いて、また舜平は笑った。
「すごいな、シンクロや」
珠生と千秋は顔を見合わせて、先を歩く舜平の背中を追った。
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