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六十、垣間見る

 舜平は少し回り道をして、千秋に京都の町並みを見せてくれた。珠生は後部座席に深々と座り込み、うとうとしながら二人の会話を聞いている。  千秋は楽しそうだった。舜平の話を聞きつつ自分で仕入れてきた情報などを披露しては、二人で笑い合っている。 ――千秋のやつ、舜平さんのこと好きになっちゃうかもな……。  今まで千秋から恋愛の話など聞いたことはなかった。彼女はそういうものには興味がなかったからだ。  しかし、今日の千秋はいつになく女の子らしい。後でからかってやろう……と珠生は思った。 ――舜平さんと俺の関係なんて、千秋にはとても言えやしない……珠生はそうも思った。  いつしか珠生は舜平の気に満ちた車内に安心しきってしまい、とろとろと眠り込んでいた。 「あー、珠生寝ちゃった」  静かになった後部座席を振り返って、千秋はそう言った。首をかくりと折って眠り込んでいる珠生は、無防備で幼い。  そんな珠生の様子をバックミラーでちらりと見て、舜平は思わず微笑んだ。珠生のやつ、最近車ではいつも寝てんな……と思ったからだ。 「仲いいねんな」 「まあね。親が離婚してから、二人で過ごすことが多かったからかな」 「そっか。親父さんと会うの、いつぶりなん?」 「お父さんは離婚して出ていってから、一度も会いに来なかったから……もう五年ぶりくらいじゃない?」 「えっ、そんなに?」 「珠生から聞いてない?私、びっくりしたよ。五年ぶりに珠生が父さんと暮らすって言い出してさ……それが案外うまく行ってるっていうんだもん」 「まぁ……わりと問題なくやってはるみたいやなぁ……」  珠生は珠生で忙しいからな……と、舜平は胸の中でそう呟く。健介がいつも帰宅が遅くて助かっていると、珠生はいつも言っていた。 「珠生は淡々としてるけどさ……。私は久しぶりに会うの、ちょっと緊張する。まぁ今更だけどね」 「……そっか」  舜平はそれだけ言って、車窓の外に見える鴨川を指さした。いつもここはカップルだらけで、必ず一定間隔を空けて並んで座るのだということを説明すると、千秋は笑った。 「舜平さんは彼女いるの?」 と、千秋に尋ねられ、舜平は少し詰まった。  解決できていない梨香子のことと、珠生の顔がちらついたのだ。 「……いやぁ、別れ話が中断中、の彼女がおる……かな」 「中断中? なにそれ」 「……ちょっと、ごたごたしてんねん」 「ふうん」  恋愛話に不慣れな千秋は、それ以上舜平に何も尋ねることが出来なかった。なんとなく沈黙が流れる。 「千秋ちゃんは?」 「えっ、いないよ。私、そういうの苦手なんだ」 「ふうん。そら、周りの男がしっかりしなあかんな」 「そうかな」 「まぁ、とはいえ……俺も高校んときは好きな子がおっても、全然声掛けられへんかったけどな」  舜平は苦笑しながらそう言った。千秋はまた、胸がどきどき高鳴るのを感じていた。 「そうなんだ」 「まぁ、うちの妹みたいに変な男に引っかかるよりは、それくらいのほうがええんちゃうか。千秋ちゃんは心配せんでもひそかにもててるやろし」 「……だといいけど……」  千秋は照れてしまい、おとなしくなって俯いた。  その後程なくして、舜平の車は珠生の自宅に到着した。助手席から降りた千秋は、珠生の座っている側のドアを開いて、珠生の肩を揺らす。 「ねえ、着いたよ。起きて、珠生」 「……うぅん……」  珠生は呻いたが、全く起きる気配は見られない。随分と疲れていたのか、ぐっすり眠り込んでいる。  荷物を下ろしていた舜平が、そんな珠生に気づく。 「まぁ、無理に起さんでも、上まで連れてったるよ」 「え? でも、重たいよ?」 「大丈夫や。慣れて……」  舜平は思わず口をつぐんだ。変な顔をしている千秋を見て、舜平は取り繕うように笑うと、 「あははは、俺、酔った各務先生のこと、よう連れて帰ったりしてるから……珠生くんなら余裕やろ」 と、言った。千秋は納得したような顔になる。 「じゃあ私、自分で荷物運ぶから大丈夫だよ。鍵、開けておくね」  千秋はがさがさとバッグと紙袋を抱えて、エントランスに入っていった。  舜平はため息をついて、汗を拭う。 ――危ない……迂闊なことを言ってしまうところやった。  舜平は珠生を抱えだそうと、その寝顔を覗き込んだ。いつになく深く眠っている様子の珠生の顔からは、完全に力が抜けていて、なんとも幼い。 ――可愛い……。  思わず手が止まり、じっとその顔に魅入ってしまってから、舜平ははっとして首を振った。 ――おいおい、千秋ちゃんもおるのに、滅多なことしたらあかん。あんまりべたべた触ってもあかん。  珠生の腕を持ち上げて自分の首に回す。千秋の手前、抱きかかえていくのは少し抵抗があったからだ。 「う……ん……」  数歩歩いてエントランスに入った所で、珠生が身動ぎした。 「舜平さん……? 俺、寝てた……?」 「ああ、ぐっすりな。もう家やから、ベッドで寝ろよ」 「いや……もう、大丈夫……」  珠生は舜平の腕を振りほどこうとしたが、舜平はぐいと珠生の腰を抱き寄せた。そんな舜平の動きに、珠生は目を瞬かせる。 「あの……」  舜平は何も言わず、珠生を家まで連れて帰ってきた。物音に気付いた千秋が玄関に出てくると、珠生はぱっと舜平から離れた。 「起きた? 大丈夫? そんなに疲れたんだ」 「ううん、もう大丈夫」  珠生はそう言って靴を脱ぐと、舜平を振り返った。 「上がっていきますか?」 「いや、いいわ。千秋ちゃんもおるんやし、しっかりもてなしてあげんとな」  舜平はちょっと笑って、軽く手を振った。珠生の少し寂し気な顔が、舜平をまたどきりとさせる。 「……そうだね」 「ほな、俺行くわ。千秋ちゃん、またな」 「はい、ありがとうございました」  千秋も玄関口に出てくると、舜平に手を振って笑顔で見送った。珠生も少し微笑む。  バタン、とドアが閉じられて、千秋は何の気なしに珠生を見た。 「……え?」  その横顔が、まるで見たことのない男の顔に見えた。真っ白な肌、銀色の長い髪……千秋はふらついて、どんと壁に背中をぶつけていた。 「千秋、どうしたの?」  こっちを向いた珠生の顔は、いつもの珠生の顔だった。驚いたような表情で首を傾げている。 「……あんた、今……あれ?」 「何? 千秋も疲れたんじゃないか?」 「……あ、うん……そうなのかな」  珠生は首を傾げたまま、先に立ってリビングへと入っていった。  千秋は玄関に取り残されたまま、不可思議に騒めく胸を押さえて、その背中を見ていた。

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