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六十一、佐々木衆の魂

 彰は一人、一条戻り橋の付近を歩いていた。  そこから少し北へ進み、間口の狭い住宅地の居並ぶ通りを歩く。何の変哲もない、ただの古い住宅地だ。  長年の風雨で茶色く飴色に変化した家々の玄関を覆う格子の向こうから、ちらちらと視線を感じる。しかしそれには構わずに、彰はとある場所で足を止めた。  家と家の隙間に、小さな石碑があったはずだった。  それは、佐々木衆終焉の地、という文字が小さく彫られた慰霊碑があるはずだった。  しかし、つい先日までそこにあったその石碑は、今はぼろぼろに崩れ去っている。  彰の目が細くなる。  ここに佐々木衆の迷える魂を封じたのは、他でもない佐為だった。この地に眠らせ、無用な戦いを避けるために、術をかけた。  それが、破壊されている。そんなことをする人物は、一人しかいない。 ――佐々木猿之助。  この間珠生の前に現れ、真壁美一に憑依した清水保臣も、ここから現世へ放たれたのだろう。  彰はしゃがみこんで、(いしずえ)しか残っていない石碑をじっと見つめた。  猿之助の霊気は辿れない。ここには何も残っていない。  ふと気づくと、彰の背後に数人の人間が立っていた。老婆や翁、中年の女性、そして小学生くらいの子ども。  彰は立ち上がった。 「……何したはんの?」 と、老婆が口を開いた。彰がすっと目を細めると、その老婆の目の中にあの紫色の光があるのを見つけた。 「こんなとこでこんな若い人が、何をしてはんの?」 「別に。ちょっと迷い込んだだけですよ」 「早う立ち去れ。お前の気、どうも好かん」  歯のない口でぼそぼそとそう言う老婆の背後で、住人たちが同様に頷く。  佐々木衆とはいえ、その力量はピンキリだ。ここにいる者たちは、彰に手を出すほどの力はない。相手方も、彰の霊力の強さは感じ取っているようだ。 「……ねぇ、佐々木猿之助が、どこに行ったか知らない?」  彰はあえて一歩老婆に近づくと、ポケットに手を突っ込んで、彼女を見下ろしながらそう尋ねた。  老婆は一歩引いて、彰を恐ろしげに見上げた。 「なんという不遜な態度……我々は知らぬ。何も教えていただいてはおらぬ」 「静かに寝ていたのに、とんだとばっちりを受けたようだね、君たちも」  彰は少し微笑んで、そこに立ち並んでいる住人たちの顔を見比べた。皆が戸惑った顔をして、目を見合わせている。  行く先のない霊魂は、誰かの肉体に憑依しなければ生き長らえることはできない。石碑を破壊され、行き場の無くなった霊魂たちは、仕方なくここいらの住人の身体に宿っているようだ。 「……佐々木の血を持つからといって、我らをここに無理やり押し込めたのはお前だろう」  老婆の横に出てきた小学生の少年が、そう言った。彰はその子どもを見下ろした。 「何の力も持たない我らを、罪人たちもろとも、こんなところへ」  野球帽をかぶった少年が話す言葉にしては、えらく時代かかった口調だ。彰はふっと微笑んだ。 「……すまなかったね。当時はそうするしかなかったんだよ。恨むんなら猿之助を恨むといい」 「……毎度毎度、振り回される。我らは、もう、静かに眠りたいだけなのだ」  少年は一歩、彰に近づいて、泣きそうな顔で見上げてくる。彰はため息をつくと、肩に斜めがけしていた小さな鞄から一枚の札を取り出した。  少年の前に膝をついて目線を同じくすると、彰はその頭を撫でてこう言った。 「長いこと、この地に縛って悪かった。君たちを自由にしてあげるよ」 「本当か?」  少年は少し嬉しそうな顔になる。後ろにいる老婆たちを振り返ると、皆が少し安堵した表情に見えた。 「猿之助のこと、なにも知らないのか?」 「……」  少年は、野球帽の鍔の下からちらりと彰を見上げる。何も知らないというわけではなさそうな表情だ。 「知っていることは話すといい。どうせ君たちはここで成仏するんだ。今更咎められることなんてないんだから」  彰の言葉に、住人たちは顔を見合わせた。 「……いいだろう」  少年は野球帽を取って、短く刈り込まれた頭を出してぽりぽりと掻いた。真っ黒に日焼けしている健康的な少年だった。  少年たちから話を聞いた後、彰はにっこりと微笑んだ。  そして、石碑の上に五芒星の描かれた札を貼り付けると、右手の人差指と中指を立てて印を結ぶ。 「ありがとう。そして、すまなかった」  背後に位並んでいた者たちの気配が薄まっていくのを感じる。 「……浄」  彰の左手が、石碑の上に置かれた。  立ち上る薄黄金色の光に、辺りが柔らかく照らされる。彰が上空を見ると、空に光で描かれた五芒星が浮かび上がる。  そこに吸い込まれるようにふわふわと登っていくシャボン玉のような魂が、消えていく。  直後、どさどさと人の倒れる音が背後に聞こえて、彰は立ち上がった。 「……巻き込んで悪かったね」  意識のない住人たちを置いて、彰はたたっと駈け出した。彼らの現世での家族が、すぐに異変に気付くだろう。 「あら? おばあちゃん、どうしたの!? え、みんなどうしたん?」 と、背後で人々が騒ぎ出す声が聞こえてくると、彰はようやく安堵した。  猿之助の少しの手がかりを得た彰は早足に京の町を歩いた。  暗くなり始めた空には、重い雲が立ち込め始めている。

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