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六十四、休息
寝不足の珠生を尻目に、千秋は健介と楽しげに植物園を散歩していた。千秋って、あんなに素直に笑う子だったっけ、と珠生は思った。
そういえば、母親の手に引かれるよりも、父親と手を繋ぎたがるような子どもだったっけ、とかすかな記憶を思い出す。
しかし、千秋と父の後ろ姿を思い出せても、その時の自分がどうしていたかということは思い出せない。むしろ、今思い出されるのは千珠の記憶がほとんどだ。
「珠生! どうしたの? のそのそ歩いて」
健介の腕を引きながら、楽しげに笑っている千秋が振り返って珠生に声をかける。健介は相変わらずにこにこと目尻を下げっぱなしだ。
珠生は苦笑した。
「ううん、絵が描きたいな、って思いながら見てたから」
「ふーん、相変わらず、絵が好きね」
「うん。気にせず行っていいよ」
「そう? お父さん、あっち、噴水が見たい」
「はいはい」
まったく、でれでれしちゃって。とため息混じりにそう思いながらも、仲睦まじい二人を見ているのは楽しかった。
――母さんが見たら、怒るかな。……千秋は、本当は父さんに付いて行きたかったんだろうし。
父親が出ていってすぐの、打ちひしがれた千秋の表情を思い出す。
強がって泣かなかったが、その目を見ていれば彼女の気持ちなど手に取るように分かった。でも、何も言えなかった。
「……良かったね、千秋」
珠生はつぶやいて、邪魔をしないようにのろのろと二人の後を追った。
「あれ? 君……珠生くんちゃう?」
ふと、背後から声をかけられて、珠生は振り返った。
そこには、健介の研究室で見かけた男が立っていた。ジャージ姿でゴム長靴を履き、何やら作業をしていたところらしい。
「あ……どうもその節は」
「やっぱそうやな。先生もいてはんの?」
「はい。向こうにいます」
「娘さんも来てはるんやんね? そっか、家族水入らずで散歩してんねやな」
「はい」
珠生はこの生真面目そうな青年を見て微笑んだ。何度か舜平から名前を聞いたことがあったが、思い出せない。
「なにしてるんですか?」
「ああ、俺ここでバイトしてんねん。研究も兼ねて」
「そうなんだ。植物が好きなんですね」
「まぁね。なかなか可愛いもんやで」
「舜平さんは一緒じゃないんですか?」
「舜平? ああ、あいつはバイク便のバイトしとるからな、ここには来ぇへん」
「へぇ」
そういえば、舜平のアルバイトのことを聞いたことがないことに気づく。拓は長靴をガポガポと言わせながら歩きまわり、手を洗っている。
「お、屋代くん」
「ああ、先生。お、ということはその子が……」
手を洗って戻ってきた拓が、三人並んだ親子を見比べては感心したようにため息をついた。
「いやぁ、ほんまきれいな双子さんですねぇ。先生、でれでれやないですか」
「へへ、そうかな。こっちは千秋。こっちは珠生。珠生は見たことあったっけ?」
「はい、一度研究室に来たもんな?」
「はぁ……」
千珠の影に怯えて、思わず研究室に走ったあの日のことが、遠い昔のようだった。しかし、それはあまり思い出してほしくない事実でもある。
「もう京都には慣れたん?」
「はい、すっかり」
「そっか」
と、拓は笑った。
「この子は屋代拓くん。僕の研究室の学生さん」
と、健介は二人に拓を紹介した。千秋は大きな目でじっと拓を見上げて、ぺこりと頭を下げた。
「はじめまして。父がお世話になっています」
「いやいやこちらこそ。……しっかりしたお子さんですね。先生とは大違いやな」
「あはは、こういう親だと子がしっかり育つみたいだね」と、健介はまた目尻を下げて笑った。
「せや、先生、昼からの実験やめて河原でバーベキューでもしましょうよ。研究室に一揃いあるじゃないですか」
「えっ」
「わぁ、面白そう!」
と、千秋は直ぐに目を輝かせた。
「せっかく千秋ちゃんもこっち来てはんねんし。なぁ、珠生くんも」
「はぁ……」
「あ、うちの男どもは出不精なんで、こういうの苦手なんです。でも私、したいなぁ」
「はは、そうか。舜平も午後から大学出てくるって言ってたし、ちょうどいいわ」
拓は尻ポケットから携帯電話を取り出して、さっさとメールを打ち始めた。
珠生もふと思い立って、羽織っていたパーカーから携帯を取り出すと、湊に電話をかけた。
聞けば一日中暇だというので、バーベキューに誘ってみると、「行く行く」と楽しげな返答が帰ってくる。
「あの、俺の学校の友達も来たいって」
「おお、ええよ。好きなだけ呼んだらいいで」
と、拓は健介を説得しながら笑顔でそう言った。
「珠生、こういうことに誘う友達できたんだね」
千秋は目を丸くして、意外そうにそう言う。珠生は少し得意げに笑ってみせると、「まぁね」とだけ言って、彰と正也にも連絡を入れた。
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