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七十、脅迫
昼前から、彰は学校へ出てきていた。
学校が休みのうちに、珠生を守るための結界を張っておこうと考えたのだ。
もっと早くに行うべきだったと後悔しながらも、やれることは早々にやっておこうと考えたのだ。自分がそばにいない時に、珠生をあんな目に二度と遭わせてはならない。
校門をくぐると、彰はふと、眉を寄せた。
――……この気配。なんだろう。
学校の中に、良くないものがいる。彰は少し緊張した。
先にこれを排除しなければならない。彰は急ぎ足で匂いのする方へと走った。
部活動を行なっている部もあるため、職員室や専門授業の教室、生徒会室等のある西校舎は鍵が開いており、ちらほらと生徒の姿も見える。
彰は西校舎に近寄ると、白い壁の四階建て校舎を見上げた。
――ここから……匂いがする。これは、佐々木衆の誰かだ。
彰は息をついて、すっと目を鋭くした。校舎に入り、辺りをうかがう。
職員室には、数名の教師がいるだけで、その他に人の気配はない。
階段を登るにつれ、ますます強くなる気配を肌で感じながら、彰は進んだ。
「ここか……」
見上げた先のプレートには、生徒会室と書かれている。ここは、教室の次に通いなれた場所だった。
――どうして、こんな所に……。
彰はドアノブに手をかけて、くるりと回した。
*
自宅のソファに寝転がって本を読んでいた珠生は、鋭く刺すような感覚を覚えて、弾かれたように身体を起こした。
脳の裏側を、細い針が突き刺すような痛み。警告される、感覚。
珠生は立ち上ると、右手で頭を押さえるようにしながら、その緊迫した気の行方を辿る。
「……!」
脳裏に閃くイメージは、彰の苦痛に歪む顔だった。制服姿の彰が、壁に思い切り叩きつけられて、血を吐く映像が見えたのだ。
「……佐為……!」
珠生はいても立ってもいられず、靴を履いて玄関を飛び出した。こんな真昼間に派手に飛び回るわけには行かず、仕方なく道路を走りだす。
* *
生徒会室の壁にしたたかに背中を打ち付けた彰は、ずるずると床に腰を落とした。
痛みに顔を歪めながらその相手を見上げる。
「なんで……間宮先輩が……」
いつもは穏やかな間宮敬吾の顔が、今は醜く歪んだ笑みを浮かべている。蔑むように彰を見下ろして、さも楽しげに舌なめずりをした。
「……この男、お前のことが目障りらしい」
「なんだって?」
「……この男の努力を、いつもお前は無にするような行動を取る。お前は頭も良く、見目も良く、カリスマ性もある……そういう所が、気に食わないらしい……ぞ!」
ゆっくりと彰に歩み寄り、立ち上がりかけた彰の胸ぐらを掴み上げると、間宮は思い切りその頬を殴りつけた。
がっしりした間宮に体格では劣る彰の身体は、もののみごとに横に飛ばされた。タイルの上に手を着いた彰が、きっと鋭い目を向けた。
「誰が憑依している?」
「……誰でもいいだろう? 佐為、お前は相変わらず、人を小馬鹿にするナメたツラをしているな」
彰が印を結んだ。
しかし、何も起こらない。その上、力が沸き上がってくる気配もない。彰は愕然とした。
そんな彰の表情を見て、間宮はにやりと笑った。
「お前が来るのを、ただ何も準備せずに待っていたと思うか?」
「……なんだと?」
「この学校全体に、陰陽道が気道を操れぬよう、結界術を施した。数多の術を知っているお前でも、力が使えねばただのガキだ」
「それを言うならば、お前だって同じ状況だろう」
彰はゆっくりと立ち上がって、じっと間宮の目を見据えた。間宮は彰を憐れむかのように首を振る。
「見ろ」
間宮が窓からグラウンドを見下ろした。警戒しながら、彰も下を見る。
「……これは!」
うぞうぞと、何か黒々としたものが学校内を闊歩している。草薙を奪おうとした時に現れた、あの黒い妖魔である。普通の人間には見えないのか、グラウンドで走りこみをしているサッカー部員たちは何の反応も示さない。ぬらぬらと光るどす黒い色をした、人間とほぼ同じ大きさをした妖魔たちが、涎を垂らしながら校舎内に入ろうとしていた。
「数人、教師が来ていたな。職員室を食い荒らす、というのはどうだ?」
「……何を」
「外は人目につく。まずは校舎内にいる人間から喰わせようかと思ってな」
「……何を知りたい」
彰が抑えた声でそう尋ねると、間宮は突然高笑いを始めた。
「さすが、業平殿の右腕だ、話が早い。佐為……そうだな、回りくどいのは面倒だ」
間宮はポケットからバタフライナイフを取り出すと、刃を閃かせて彰の首につきつけた。隙のない動きに、彰は動きを止めた。
間宮はぐいと、ナイフの刃を彰の長い首に押し付けた。つう、と赤い糸のように血が一筋流れ落ちる。
「……前世では失敗したがな……今回、俺はまた猿之助様に呼び戻していただけたのだ。お役に立ちたいと思っている。分かるだろう?」
「……猿之助のことなど、知るか」
彰がつんと横を向くと、間宮はぐっと彰の胸を押して壁に押し付け、更にナイフを突きつける。
「裏切り者のお前が、猿之助様の名を軽々しく口にするな」
「……お前、影龍か?」
はっとしたように、彰は間宮の目を覗きこんだ。間宮の眼の奥に、ぐるぐると紫色の暗い光が見えた。
「いかにも、俺は佐々木影龍だ。お前の裏切りのせいで、猿之助様からの信頼を失った」
影龍は憎々しげに顔を歪めると、ずいっと彰の細面に顔を近づけた。
「お前を殺す。そして、十六夜結界を破壊する」
「そんなこと、お前らなどにできるものか」
彰は少し唇を吊り上げて、笑った。
「こんな状況のお前に、何を言われても説得力はないな」
突きつけられたナイフが、更に少し、彰の首の皮膚を傷つけた。彰の顔が、微かに動く。そんな微妙な反応を見て、影龍はほくそ笑んだ。
「何も出来まい。昔はよかったな、沢山の仲間がいて」
「……昔も今も、変わらないよ」
「そうかい? タイミングよく、誰かお前を助けに来てくれるのかな?」
「どうだろうね」
彰は糸目になっていた目を、すっと開いて影龍を睨みつけた。そして、影龍のナイフを持った腕を、ぎゅっと掴む。
「なんだと」
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