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七十四、双子の衝突
彰は腕を組んで壁に寄りかかったまま、珠生を見つめていた。
珠生の視線は、じっと舜平の顔に注がれている。
「……いいのかい? お父さんに大声出して」
「あ……」
珠生は目線を上げて、後悔を滲ませるように眉を寄せた。
「俺、つい……。絶対不審に思われたな」
「千秋ちゃんの顔、思いっきり訝しげだったよ」
「あぁ……しまった」
彰はふっと笑うと、首に手を当てた。
「君も、舜平のこととなると冷静さを欠くね」
「すみません……」
「責めてはないよ。ほんと、君たちときたら、現世でも離れられない間柄らしい」
「……そんなこと」
珠生は無意識に握りしめていた舜平の手をぱっと離して、少し頬を染めた。そんな珠生の行動を見て、彰はまた笑う。
「君は本当に分かりやすくて可愛いな」
「……やめてくださいよ」
「はは、ごめんよ」
彰は片手を上げて、病室の奥からドアの方へと進んだ。
「僕はちょっと間宮先輩の様子を見てくる。彼はなにかしら僕に良くない思いを持っているようだから、これを機に和解しておくよ」
「はぁ」
「また佐々木衆に取り憑かれたんじゃ面倒だからね。あと、宗円さん……舜平のお父上には僕から連絡をしておく」
「はい……ありがとうございます」
「宗円氏には、業平様から術式のことを伝えていただいているんだ。あの寺は比叡山の末寺だからね。何かと今後は協力してもらうことがあるかもしれない」
「そうなんですか?」
「うん、だからそう面倒な事にはならないだろう。こういった霊的な事件には、理解のある人のようだしね」
彰はがらりと扉をスライドさせて、廊下へと消えていった。
あんな怪我をしているのに、キビキビとなんでもこなす彰は、やはり只者ではないと思った。
俺も、しっかりしなきゃ……。珠生はふうと息をついて、舜平の胸の上に手を置いて呟く。
「……俺も、舜平さんの気を高めてあげられたらいいのにな」
掛け布団の上に置いていた手に、ふと暖かいものが被さる。舜平の手が、珠生の手を握っている。珠生は驚いて、舜平の顔を覗き込んだ。
舜平は目を開いて、じっと珠生を見上げていた。
「舜平さん……」
「……なんちゅう顔してんねん」
「え……」
「……自分のせいで俺が怪我してる、とか思ってるんとちゃうやろな」
図星をつく舜平の言葉に、珠生はぎくりとする。そんな珠生の反応を手の動きで察したのか、舜平は呆れたような気が抜けたような顔で眉を下げる。
「あほ。考えすぎる癖は治らへんみたいやな」
「……五月蝿いな」
珠生は少しふてくされたような顔でそう言った。舜平の手が、ぎゅっと珠生の手を握りしめる。
「……やってみるか」
「何をです?」
「俺の気をお前が高めて、この傷を治せるか……」
「えっ」
舜平は力のない笑顔で、じっと珠生を見上げている。珠生は少し赤面すると、「これくらいの打撲、自力で何とか出来るでしょ」と言った。
舜平は笑う。しかし、笑ったことでまた身体が痛んだのか、げほげほと咳き込んだ。珠生は慌てて立ち上がって、舜平の身体をさすってやった。
「……いってぇ」
「馬鹿だな、喋らないほうがいいよ」
「珠生」
「え?」
「とりあえず、いっぺん家に帰って、先生と千秋ちゃんにちゃんと笑顔見せてこい。別に謝らんでもええから、とりあえずあの二人、安心さしてこい」
「……起きてたんですか」
舜平はにやりと笑う。
「俺のそばにおりたいのは分かった。でも、今日はもう帰れ」
「……ちょ、調子に乗らないでくださいよ」
「そうしたいって言ってたんは珠生やん」
珠生は気恥ずかしさに顔を赤くして、舜平から目を逸らした。
「……分かった。帰るよ」
「そうし。いい子やな」
「もう、またそんな言い方して」
「お前がお子様やからやろ」
「む……」
珠生はむっとした顔をすると、やおら舜平の上に屈みこんで、自分から唇を重ねた。そんな珠生の行動に驚いた舜平だったが、柔らかく自分の唇をついばむ心地良い感覚に目を閉じる。
珠生は顔を離して、舜平の目を見つめた。今日の舜平の目は、いつになくとろんとして強さがない。
「……そんなお子様にこんなことされて、喜んでるくせに」
珠生の挑発的な言葉に、舜平は一瞬目を見開いたが、すぐにくっと吹き出した。
「言うようになったな。生意気なやつ……」
まるで千珠のようだと、舜平は思った。あの頃の、口の減らない生意気な千珠。
珠生の挑発的な目付きに、その姿がだぶって重なった。ぼんやりとしか重なり合わなかった二人の姿が、いまはっきりと一致したように見えた。
珠生は何も言わず、もう一度舜平に口付ける。舜平は手を伸ばして珠生の頭を包み込むと、下から更に深く珠生の唇を求めた。
――欲しい、舜平さんが……欲しいな……。
毎度のことながら、舜平の舌と唇の動きに意識を絡めとられるようだった。角度を変え強弱を変え、深く何度もキスを交わしていると、珠生の身体の中から、突き上げるように欲求が湧きあがってくる。
今朝方感じた千珠の思いが蘇り、珠生ははっと目を開いた。
「……んっ……やめっ……てください!」
舜平の舌が更に奥まで割り込んでくる事に逆らい、珠生は思わず舜平から身を離した。その拍子に、がらん、とベッドサイドに置いてあった椅子がひっくり返る。
「なんや……もう終わりか」
残念そうにそう言いながらも、舜平はにやりと笑った。珠生は真っ赤な顔をして、勢い余って倒れたスチールの椅子を起こす。
「こんなとこで……こんなの……」
「先にしたんは、お前やろ」
「……」
いつになく意地悪い口調の舜平に珠生は腹を立てたのか、眉を寄せて大きくため息をついた。治療のために脱いでいた長袖のシャツを掴んでドアの取っ手を掴む。
「帰ります。変なことして、すいません」
「……」
何も言わない舜平を振り返ると、舜平は珠生の方に頭を傾けて珠生を見つめていた。物いいたげなその目つきに、珠生はまたどきりとする。
「気をつけてな」
「……はい。また来ます」
珠生は後ろ手にドアを閉めた。どくどくと高鳴る心臓の鼓動が、やたらと苦しい。
***
帰宅した珠生は、おずおずとリビングを覗きこんだ。
ダイニングテーブルに、千秋と健介が座っている。珠生が帰宅した物音に反応して、二人はぱっと振り返った。
「……ただいま……」
「珠生。……おかえり」
と、健介は珠生に負けず劣らずおずおずとそう言った。
「ごめん、さっきは……あの。大きな声だして」
「いや、いいんだよ。そんなことより、通り魔って一体どういうことだ。お前は何されたんだ?」
戸口に佇んで謝る珠生にゆっくりと歩み寄って、健介は息子の肩に触れた。父親の暖かく遠慮がちな手つきを感じて、珠生は父の顔を見上げる。
心配そうな顔だ。不安げな健介の表情を見て、珠生の気が緩む。どっと疲れを感じた。
「……俺はちょっと、突き飛ばされて背中を打っただけだから」
「怖かったろう? 座るといい」
健介は珠生の背にそっと手を添えると、千秋の斜向かいに座らせた。千秋はじっと、何も言わずに珠生を見つめている。
「警察には?」
「いや……緑川先生が、とりあえず今日は帰れって。身内の不祥事も見つかってトラブルが重なってるから……って」
「しかし……通り魔事件なんて、大事だ。相田くんだって怪我をしたんだろう? あの斎木くんって子なんか、大怪我だったじゃないか」
「その斎木先輩が、言わないで欲しいって言ってるんだ……俺にもよく、わかんないよ」
「……そうだな。ごめん。珠生がどうもなくて、父さんは安心したよ」
珠生の横に座ってそう言った健介は、ぽんぽんと頭を撫でた。健介を見上げて、珠生は少し微笑む。
「珠生。あんた、舜平さんと何かあるの?」
「えっ?」
千秋が自分の番とばかりに、珠生に対してそう尋ねた。千秋の探るような目付きに、珠生はたじろいだ。
――やばい、父さんより千秋が問題だ。
「俺のせい、って言ってたじゃん。さっきも手なんか握っちゃって、なにあれ?」
「……あぁ、あれは……。舜平さん、間宮先輩を庇って転落したけど、その前に俺のことも庇ってくれてて……」
「ふうん……そうなんだ。っていうかさ、今日もあんたは舜平さんと一緒にいたの?」
「千秋、どうしたんだ。珠生は疲れてるんだぞ、そんな尋問みたいな口ぶりじゃ可哀想だろ」と、見かねた健介が千秋をたしなめる。
「お父さんは黙ってて!」
ぴしりと千秋に睨まれて、健介は黙り込んだ。
「一緒にいたっていうか……たまたま連絡取ることがあっただけ」
「連絡? どんな?」
「……千秋、舜平さんのことがえらく気になるんだね」
食い下がる千秋の表情に、珠生は戸惑いながらそう言った。千秋はハッとして、口をつぐんだ。
「そんなことないよ」
「だってそうだろ? なんでそんなにあの人のことを聞きたがるんだよ」
「……あたしは、別に……」
千秋は悔しげな顔をして黙りこむ。千秋も恋愛などには疎い方だったため、自分の気持がまだ分からないのだ。
わが子達が自分のゼミ生のことで喧嘩をしているらしいという事実が、健介を困惑させていた。しかしこれ以上黙っているわけには行かず、健介はそっと子どもたちの肩に触れた。
「……ふたりとも、今日はもうやめときなさい。慣れないことが起きて、ふたりとも疲れて混乱してるんだよ」
健介の静かな声が、二人の間に割って入る。珠生は立ち上がると、くるりと踵を返して部屋へ向った。
「ごめん、俺、ちょっと寝るわ。二人でご飯でも行ってきて」
「珠生……!」
千秋が何かを言いかけるのを、珠生は視線だけで押し止める。千秋ははっとしたように、口をつぐんだ。
「ごめん、千秋。父さんの言うとおり、ちょっと俺は混乱してる。……買い物、付き合えなくてごめん」
「……」
「じゃ、寝るよ。おやすみ」
珠生は二人に背を向け、部屋へ入ってしまった。健介と千秋は目を見合わせる。
「……もう、一体なんだって言うの……?」
「千秋。落ち着いて。ご飯でも食べに行こう。珠生のことは少しそっとしておいてやろうよ」
「……」
千秋は何も言わず珠生の部屋のドアを見ていたが、健介の促しによって立ち上がると、マンションを出た。
ようやく一人になった珠生は、寄りかかっていたドアに背をもたせかけたまま、ぺたりと床に座り込んだ。
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