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七十六、満たし合うもの

 舜平は目を開いて、カーテンの隙間から見える月を眺めていた。ベットに背中を預けながら、ぼんやりと眺める月は美しい。  高い霊力のせいか、舜平の傷の治りは早い。夜には、なんとか半身を起こせるくらいまで回復していたのである。  不意に、自分の手を握りしめて震えていた珠生のことを、思い出す。  夕方はつい、珠生を抱きしめたくとも抱きしめられない苛立ちで、意地悪な言い方をしてしまった。珠生の怒った顔を思うにつけ、それが少々悔やまれる。  ――珠生はあれから、家族と仲直りができたのだろうか……。 「……舜平さん」  珠生の声が聞こえた気がして、舜平ははっとして顔を巡らせた。当人のことを考えていたから聞こえた幻聴ではないかと思ったのだ。  すると、すっと部屋の隅の暗がりから、珠生が姿を現す。舜平は仰天した。 「た、珠生か?」 「はい。こんばんは」 「どっから入ってきたん? 葉山さんが結界張ってるって……」 「あの人の結界は何度も見ていますから、俺には通じません」 「……あ、そう。それにここ、五階やで」 「今の俺には、そんなことは関係ないよ」  珠生は事も無げにそう言って、舜平のそばに歩み寄ってきた。月光に照らされた珠生の茶色い髪の毛が、光に透ける。  舜平は珠生の服が泥だらけなのを見て、「藤原さんと修行か」と訊いた。珠生は頷く。 「今日は、だいぶと気を使いました。あ、気を遣うというといっても、空気を読むとかじゃなくて……」 「分かっとる分かっとる。お前、そういうの苦手な方やもんな。気だけを操るっていうのは」 「はい。でもだいぶ……分かってきたかな」 「ほう、五百年かかったわけや」 「そうだね」  珠生は舜平の軽口には取り合わず、疲れたようにそう言うとベッドサイドの椅子に腰掛けた。 「お疲れやな」 「……ちょっとね」 「こっちこい、珠生」 「え?」 「ええから、ここ座れ」  舜平は手招きをして、背中を起こしているベッドの方へ腰掛けるように促した。珠生はやや逡巡するそぶりを見せたが、舜平の隣に腰掛けた。  すぐに舜平の手が伸びてきて、珠生の身体を包み込んだ。大きな掌が、背中に添えられるのを感じる。  ――暖かい。  舜平は何も言わずに、ぎゅっと力を込めて華奢な珠生の身体を抱きしめる。舜平のため息が、珠生の耳をくすぐった。 「さっきも……こうしたかったけど、身体が言うこときかへんかってん」 「……そう、なんだ」  ぎゅっと握りしめた舜平の病院着も、その体温を吸って暖かかった。消毒液や湿布の匂いの中から、舜平の匂いを嗅ぎ分ける。  舜平は珠生の髪の毛に唇を寄せて、そのさらりとした感触を味わっていた。 「考えが甘いと、藤原さんに叱られたよ」 「……そうか。それで慰めて貰いにきたんか?」 「違うよ」  珠生は少しムキになったような声でそう言うと、舜平から身を離そうとしたが、舜平がそれを許さない。更に力を込めて、珠生を抱きしめる。 「昔も、業平様とは意見を(たが)うことがあったよな。でも、目指す方向はおんなじやから、大丈夫や」 「……はい」 「あの人の言うことは、いつも間違ってない。でも俺は、今日お前のしたことも間違ってないと思うで」 「……だといいけど」 「影龍のあの顔見れば、そう思うやろ」  正気に戻ったような影龍の瞳の色を思い出して、珠生は閉じていた目を開いた。舜平の言葉が、すとんすとんと、胸の中に直接染みこんでいくようだった。 「……ありがとう、舜平さん」 「別に……思ったことを言っただけや」 「うん……」  珠生は顔を上げて、舜平を見あげた。だいぶ力強さを取り戻したかに見える舜平の黒い瞳が、まっすぐに珠生の目を覗き込んでいる。  どちらからともなく、二人は唇を重ねた。  ベッドに腰掛けて、身体を捻るようにして舜平と口付ける。濡れた音が小さな病室に微かに響き、高まる心臓の音までも、闇の中に響くように感じる。  舜平は珠生の身体を引き寄せると、自分の膝の上に跨らせるようにして座らせた。 「ちょ……痛くないんですか? 脚……」 「ああ、脚はどうもない……身体はほとんどもう治ってる」 「本当かなぁ」  珠生は舜平の肩に手をかけて、ぐいと前に引いた。舜平の顔が歪んで、うっと呻く。 「ほら。落ちた時、背中で屋根をぶち抜いてましたからね」 「……ってぇ」  舜平は痛そうに顔をしかめて、肩を押さえた。珠生は呆れた顔をして舜平の肩にそっと触れた。 「腕、上げちゃだめですよ」 「へいへい……くそ、まだあかんかったか」 「まったく」  珠生は病院着の舜平を見ていたが、すっとその手を服の合わせ目に差し込んだ。鎖骨を撫で、舜平の裸の肩に触れた。  少し熱を持ち、腫れている様子が指から伝わってくる。 「腫れてる」 「……まじか。まぁ、そうやろう……な……ってお前、何してんねん」  珠生が病院着の合わせ目を開いて、肩口に唇を寄せている。それを見て、舜平は仰天した。珠生の唇が、柔らかく鎖骨や首筋に触れるのだ。  珠生の唇の柔らかさに、全身がびくっと反応してしまう。舜平は珠生を押し返した。 「治らないかなと、思って」  左肩を裸にされた舜平は、上目遣いに自分を見上げる珠生の目付きにどきりとした。その目に、獣のような光が微かに見え隠れしている。 「治らへんわ。やめろ」 「もうちょっと、やってみてもいい……?」  珠生はさらに、舜平の身体に唇を這わせる。首筋から耳のあたりにも珠生の吐息がかかり、快感のあまり背筋がぞくぞくする。珠生の白い指が、舜平の脇の下から腰へと降りてゆく。 「……んっ」  思わず声が漏れて、舜平は赤面した。珠生が微かに、動きを止める。 「どうしたんです」 「えっ」 「気持ちいい?」 「……ばっ、違うわ」  珠生は赤い唇を釣り上げて笑った。その表情はまるで悪魔のようだ……と舜平は思ったが、悪魔じゃなくて鬼だっけ、と思い直す。  珠生はもう一度、舜平の唇を覆う。舜平は珠生の上着を脱がせて、床に落とした。  上着の下は長袖のシャツ一枚だ。珠生は腕を舜平の首に絡みつかせて、さらに自分から舜平に舌を絡めた。 「……た、まき……やめろ」 「いやです」 「今、やめへんかったら……止められへんくなる」 「いいよ……それで」 「外に……葉山さんもいんねんぞ」 「静かにするから……」  熱い吐息とともに、珠生はそう言って舜平の目を見つめた。そんな表情にも、舜平の心臓は大きく跳ね上がる。  舜平は珠生のシャツの中に手を差し込むと、しなやかな腰や背中に手を滑らせた。それだけのことにビクリと反応する様子に、以前珠生を抱いた時の快感が蘇る。  もどかしげにシャツを脱がせると、月明かりに艶とした白い肌が浮かび上がる。舜平は珠生の胸元の突起に舌を這わせながら、小さく引き締まった尻を撫でた。 「あっ……はっ……」  珠生が声を漏らす。舜平は舌先で珠生の胸を転がしながら、頬を赤く染めるその顔を見あげた。 「声、出てるで……」 「んっ……だって……」 「静かにしな、聞こえるぞ」 「あっん……んっ……」  珠生は必死で声を抑えようと、ぎゅっと唇を結んで堪えていた。そんな健気な表情も、舜平の欲望に火をつける。  舜平のものはすで大きく盛り上がって、早く珠生の中に入りたいと訴えているようだった。 「これくらいでそんな声出してたら……最後までできひんやろ」 「……舜平さんだって、もうこんなになってるじゃないですか」  珠生の指が、舜平の立ち上がったものに触れた。 「声が出せないなら……こうしよ」  珠生は布団をめくってズボンのない病院着をまくりあげると、舜平の下半身を顕にさせた。舜平はぎょっとして、身じろぎする。 「そんなんあかん、やめとけ」 「なんで……?」  珠生の白い指が、舜平のものに絡みつく。珠生は顔をそこに近づけると、小さく舌を出してぺろりと舐めて舜平を見あげた。  その妖艶な表情と淫靡な動きに、舜平はぞくりとした。 「……こんな大きいもの、俺に入れてたの?」  ちろちろと舌先で舜平を舐めながら、珠生はそう言った。舜平は真っ赤になって、言葉に詰まった。 「お前……どうしたんや」 「どうもしないよ……俺、欲しいんだ」 「はっ? 何言って……」 「妖力を使うとね、欲しくなるんだよ。舜平さんが」 「うっ……あ」  そう言うと珠生は、さらに充血して硬さを増した舜平のものをぱくりと口に咥え込んだ。ねっとりと絡みつく珠生の舌の動きに、舜平はたまらず声を漏らした。  猫のように四つ這いになり、自分の足の間に顔を埋める珠生の姿が、ひどくいやらしく見えた。手を伸ばして頭を撫でると、ちらりと珠生は目線を上げる。  その目が琥珀色に見えた。  縦に裂けた瞳孔が、月明かりに光る。 「んっ……あっ、もう……ええ、やめろ、珠生」  もう堪えられない舜平はそう言うが、珠生は動きを止めなかった。むしろ今までよりも口をすぼめ、動きを早くして舜平を煽る。  湿った音が、病室の中に微かに響いた。絡みつく舌の感覚が、舜平を急激に高みへと押し上げていくようだった。 「……あかんって……お前……」  白い手が舜平の太腿に伸びて絡みつき、珠生が動くたびに揺れる前髪が、さらりと舜平の内腿に触れる。 「やめろ、珠生……っ」  一体どこでこんな淫靡な動きを覚えたのか、珠生の動きは舜平の快感のつぼをことごとく責め立ててくる。珠生の頭を撫でていた手が、震える。 「もう……あかんって、出る……!」  一気に高まった快感に全身が震え、珠生の喉に欲の全てを吐き出した。珠生はそれでも口を離さずに、ビクンビクンと痙攣するものを口いっぱいに含んで、少し苦しげな顔をした。 「珠生……も、離せって……」  ごく、と珠生の喉が鳴る。最後の一滴まで吸い尽くすかのように、珠生は舜平の精液を全て飲み干した。  舜平は荒い息をしながら、そんな珠生の行動を見つめていた。ようやく舜平を解放し身を起こした珠生は、指先で自分の口元を軽く拭って、舜平を見上げる。  珠生の目は、いつもの薄茶色だった。さっき見えた千珠の瞳は何だったのだろうか。  しかし、ぺろりと舌なめずりをして薄く笑う珠生の顔は、千珠そのものだった。 「ごちそうさま」 「……お前、エロすぎやろ」 「そうですか? ……俺をこんなふうにしたのは、舜平さんだよ」 「俺?」 「いつも俺にこうしてる」 「……」  舜平は赤面して、自分の膝の上に座っている珠生を見つめた。伸びた前髪が、珠生の目に掛かりそうなのを見て、指でよけてやる。  綺麗な目だ。上半身裸の珠生の身体も、まるで美術品のように美しい。 「千珠が舜海を美味だと言う意味が、分かりました」 「……。お前もすっかり色魔やな」 「どうかな」  肩をすくめる珠生の頬に触れる。珠生はその暖かさに微笑んだ。  ――可愛い……。  舜平は、また珠生を抱き寄せる。珠生の首筋に顔を埋めて、深く息をした。 「くすぐったいよ」 「お前は、気持ようならんでいいんか?」 「今日はもう、お腹いっぱいだから」 「……そ、そういう言い方すんなや」 「なんで?」  舜平の少し呆れたような口ぶりに、珠生はきょとんとして舜平を見返す。舜平は珠生の心地よい肌の感触に、また頬を寄せた。 「それに……もう帰らなきゃ。暗いうちに戻らないと、怪しまれる」 「せやな……」 「続きは……退院してからしてください」 「続き、か。ええんか? そんなことしても」 「……うん」  はにかむようにそう言った珠生の顔は、いつものどちらかというと控えめな珠生の顔だった。そんな変化には戸惑うが、胸の高鳴りはどうしようもない。  ――ホンマに可愛いな……。  珠生がベッドから降りようとするのをもう一度引き寄せて、キスをした。珠生はされるがままに、舜平の唇を受け入れる。 「もう……行かなきゃ」 「あ、そうやな……すまん」  珠生はシャツを拾って身につけると、上着を羽織って舜平を振り返った。ファーの付いたフードの向こうから自分を見つめる珠生の目が、ゆらりと光る。 「じゃあ、帰ります。病院は敵に狙われやすいっていうし、気をつけてくださいよ」 「ああ、分かってる。お前も気をつけてな」 「うん」  珠生はにっこりと笑って窓を開けると、そこから窓枠に足をかけてひょいと外に消えた。  ぱたぱた、と夜の風が病室に吹きこんでくる。珠生に触れられて火照った身体に、その風の冷たさが心地良かった。  ――妖力を使うとね、欲しくなるんだよ……。  珠生の言葉が思い出される。  以前藤原修一との修行を見ていた時も、珠生の様子は違って見えた。気が高ぶると、より強く千珠の色が見えるように感じた。  舜海の霊気を千珠が欲しがっていたように、珠生も自分の霊気を求めているのだろうか。  舜平は裸足で床に降りると、窓を閉めて夜空を見あげた。軽い痛みが身体を襲うが、大したことはない。  この一件が終わったとき、珠生との関係はどうなる。  俺はごく当たり前の友人のように、振る舞えるようになるのだろうか。  それとも、もう、会うこともなくなる……?  舜平はそんなことを考えながら、もはや見えない珠生の背中を闇の中に探した。

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