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百二、澄み渡る朝

 珠生と千秋は手をつないで、ふらりと大宮御所の外へと出た。  昨晩とは打って変わって爽やかな朝の空気を、二人は同時に胸いっぱいに吸い込んだ。  少し、淀んでいた気が晴れるような気がした。 「はぁ……自分で息ができるって素晴らしいわね」 と、千秋が深呼吸してそう言う。珠生は微笑んだ。 「そうだよね。ほんと、よかった……」 「珠生、舜平さんが好きなんだね」  大宮御所の外へ出て、少し道を歩きながら千秋がそう言った。珠生はぎょっとして千秋を見たが、すぐに赤くなって俯いた。 「……分からない。そういう気持ちじゃない……とは思う、けど」 「無理しなくていいのに。見てたら分かるわよ。あたしを誰だと思ってんの?」 と、千秋は笑った。それには、珠生も苦笑するしかない。 「前世では、ものすごく縁が深かったみたいだから、それに引きずられてるだけだよ。落ち着いたらきっと、なんとも思わなくなる……と思う」 「そうかな?」 「そ、そうだよ」 「ふうん……。まぁ、珠生の気持ちだからね。大事にしたらいいと思うな」 「……うん」 「あたし、こないだ正也くんと遊んだんだけどさ。これからもちょこちょこ連絡とってみようかと思ってんだ」 「ふーん……え!? なんで!?」 「何、そんなに意外?」 「だって、千秋は舜平さんがいいのかと思ってたから」 「あぁ、まぁね。そりゃ、舜平さんはかっこいいし楽しいし……でも、珠生を見てる舜平さんの目付き見てたら、そんな気失せるから」 「目付き?」 「可愛い子犬を、慈愛に満ちた瞳で見つめるような感じかな」 と、少し考えて千秋はそう言った。 「なんだよそれ」  珠生が吹き出すと、千秋も笑った。 「つまり、舜平さんはあんたのことしか見えてないのよ」 「なにそれ、気持ち悪いなぁ」 「嬉しいくせに」 「嬉しくないよ」 「素直じゃないんだから」 「やめてくれよ、キモいから」 「あははは、舜平さん可哀想」  げんなりした珠生の顔を見て、千秋は声を立てて元気に笑った。 「戻ろっか、送ってもらわなきゃ」  千秋はふう、と息をついて珠生の手を握り直した。珠生は微笑んで、頷く。  二人は手をつないで、大宮御所の方へと戻ることにした。  * * 「どこ行っててん? はよ帰るぞ」  二人が手をつないで戻ってくるのを、舜平と湊は車の前で待っていた。 「仲直りしたみたいやな」 と、湊が舜平にささやく。舜平も、安心したように笑みを浮かべた。 「すみません、ちょっと散歩」 と、千秋。 「すっかり元気そうやんか、千秋ちゃん」 と、舜平は笑顔を見せた。 「はい。色々とありがとうございました。変な誤解も解けたしね」  千秋は笑顔で珠生を見る。二人は目を見合わせて笑った。  こうして見ていると、美しい双子が手をつないで笑い合っている絵はとても和やかだ、湊はふっと微笑んだ。 「あ、舜平くーん!!」  ふと、遠くから女の声がした。黒い法衣姿の葉山美波が、舜平たちを見つけて駆けてくるのが見えて、舜平がたじろいでいる。 「ここにいたんだぁ! 大宮御所にいないから、どこ行ったのかと思った!」 「あ、いや……。お世話になりました」 「あ、いいのいいの。修一さんから、いーっぱいお褒めの言葉ももらったし、無事に結界術を成せたし、もう最高の気分だよ」  夜通し起きているからテンションが高いのか、元来こういうテンションなのか分からないが、美波は舜平の腕に自分の腕を絡ませて身体を擦り寄せてくる。高校生達が目を丸くしていることもお構いなしだ。 「ねぇ、さっきのデートの話、いつにする? どうしよっかぁ?」 「え! ほんまに言うてんの? 俺、そういうの当分遠慮したいねんけど」 「なぁんで!? いいじゃん、今回のあたしへのご褒美、ね!」 「ご褒美って、何で俺が……」 「せっかく仕事休みなのに、ずっとここに詰めてて気が張ってたんだよ、いいじゃない、ちょっとくらい」 「いや、意味が分からへんから……」 「あぁもう! 見苦しいわね!」  見かねた千秋が、舜平の空いている方の腕に抱きついた。舜平がまたぎょっとする。珠生と湊は、目を瞬かせて千秋の行動を見ていた。 「ちょっと、舜平さんは、あたしとデートすんのよ。おばさんは引っ込んでて」  級に出てきた文句のつけようのない美人に、美波はきょとんとしていたが、おばさんと言われたことでその目がぎらりと凶暴になる。 「はぁ? あんたみたいなガキと遊んでも、舜平くんは楽しくないと思うけど?」 「そんなことないし。あなたみたいな暑苦しい女、舜平さんは嫌いだと思うけど?」 「暑苦しいってどこがよ!」 「何よ人前でベタベタしちゃって! そういうとこが暑苦しいって言ってんのよ!」 「何ですってぇ!」  騒々しい女二人の戦いを苦笑して見ていた珠生だったが、ずきん、と鋭く痛んだ肩の傷に、思わずよろけて膝をついた。 「珠生!」  地面に手を着きそうになる直前で、舜平は珠生の身体を支えた。強引に手を振りほどかれた女二人は、呆気にとられている。そんな風景を、湊は腕組みをしながら興味深そうに見ている。黒縁眼鏡がきらんと光った。 「大丈夫か? ……また、血が」 「大丈夫です、これくらい……すぐ治る」  肩を押さえて舜平にすがる珠生の白い手が、艶めかしい。千秋は満足気に美波をちらりと見た。美波は少し我に返ったような顔をして、居住まいを正している。 「……失礼しました。珠生くん、大怪我してたのにはしゃいじゃって……」 「あ、いいえ……。お疲れ様でした、本当に……」  青い顔でにっこり微笑む珠生の顔を見て、美波はぽっと頬を染めた。千秋の冷たい視線に気付いた美波は、ツンとして顔を逸らした。 「じゃあ、また何かあったら、すぐ呼んでね。いつでも力貸すから」 「ありがとうございます」  舜平と珠生の声が重なる。美波は手を振って、再び御所の方へと駆けていった。  千秋は腕組みをして、そんな美波の背中を見送る。 「騒々しい女ね」 「千秋に言われたくないだろうな」 と、珠生。 「何よ、助けてあげようと思っただけなのに」 「完全に火に油を注いでただろ」 「はいはい、もう帰ろうな、ふたりとも」  珠生に肩を貸して、舜平が立ち上がった。 「舜平、お前、結構モテるんやな」 と、湊が眼鏡を上げながらそう言うと、舜平はうんざりしたような顔をした。 「もうええやろ。ほっといてくれ」 「はは、おもろかったわ。ほんじゃ、俺も帰るかな。珠生、千秋ちゃん、またな」  湊は珍しくいい笑顔で、手を振りながら帰っていった。  千秋はさっさと後部座席に乗り込むと、だらりとそこに横になる。 「あたし、眠たいから後ろ占領してもいいかな」 「ああ、ええよ。珠生は助手席でしんどないか?」 「うん」  別に気を回さなくてもいいのにと思いながら、千秋の顔をちらりと見る。しかし千秋は本当に眠たそうに大あくびをして、サンダルを脱いでシートに横たわっている。 「そんなに眠いんだ」 「ん? 行くぞ」 「あ、はい」  舜平はエンジンをかけて、車を発進させた。黒いスーツ姿の男二人が、恭しく蛤御門の扉を開いてくれる。  珠生と舜平はその男たちに一礼して、京都御苑を後にした。  一夜の戦いの、幕引きだ。

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