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5 距離
「Hello?」
『もしもし? 舜平?』
「なんや、おかんか」
『ごあいさつやなぁ。元気でやってんの? 全然連絡も寄越さへんし、心配するやん』
「元気やで。結構忙しいから連絡なんかできひんわ」
『忙しいん?』
「日常会話も必死やのに、先生の助手もあるから、専門用語も覚えなあかんし……もう頭が回らへんわ」
『へー、大変やな』
「思ってへんやろ。で、なんか用?」
『そうそう、あんたの高校ん時の友達の北崎くんからな、しょっちゅう手紙が送られてくんねん。大きめの封筒で……何が入ってんのか分からへんけど』
「北崎が? なんやろ。あいつ、俺がアメリカおるって知ってるはずやねんけど……」
『そうなん? 知らんのかと思った。急ぎやったらあかんなと思って、もうそっちに転送したんよ』
「え? 寮に?」
『そうそう。届いてない?』
「そういうのは管理人に聞かなあかんねん。分かった、ありがとう」
『ついでに味噌汁やら日本食のレトルトやら、入れといたから』
「はいはい、ありがとうな」
『あと、早貴の彼氏が変わったから一応言っとくわ』
「どうでもええわ」
『そうか? 大学生やって』
「……あっそ」
『あと、一応風邪薬なんかも入れといたから。そろそろ寒くなるやろ? 暖かくして寝なあかんで』
「分かってるって」
『あ、あとなぁ、母さん最近エステ行き始めてん。これがもう良くて……』
「あぁはいはい、分かった分かった。きれいになったんやな? 良かったな。あんまり長電話すんのもあれやし、もう切るで」
『えー? そうなん? 久しぶりに喋るのにつれないなぁ』
「はいはい、また年末直ぐ帰るやろ。またな」
『しっかり勉強するんやで』
「してるわ。ほんじゃな」
放っておくとわんわんと高い声でしゃべり続ける母親からの電話を切ると、舜平は軽くため息をついた。
荷物が届いているか聞きにいかなくてはと、健介・拓と共に現在の住処としている寮の、管理人の部屋へと向かう。
管理人と簡単な会話を交わし、舜平は自室にダンボールを抱えて戻った。
アメリカ、オレゴン州にあるヒースター大学バイオテクノロジー研究科へ一年間の出向を命じられた各務健介に同行する形で、舜平は交換留学生としてここへ来た。もうすぐ三ヶ月が経とうとしている。
慣れない生活と不得手な英語に苦しんだが、拓とともに必死で勉強して乗り越えてきた。一方健介は海外への出張も多いため、英語には苦労していない様子であり、普段は何かと頼りない教授を見なおしたりもした。
やっと今の生活に慣れ、学生たちとも馴染んできた。日々の研究の手伝いも、日本とは違う切り口でとても刺激的だった。
気づけば十二月。朝夜はぐっと冷え込む。舜平は部屋のストーブに火をつけて、べりっとダンボールのガムテープを剥がした。
母親からの簡単な手紙に目を通し、舜平はちょっと笑った。遠く日本にいる家族が、えらく懐かしく感じられる。
フリーズドライの味噌汁やレトルトパウチの和食などがごそごそと出てくる。あとで拓や健介にもお裾分けしようと考えていると、箱の底の方に北崎悠一郎からの封書が三通出てきた。
厚めの茶封筒には、あの風貌からは想像もできないような見事な楷書で、舜平の京都の住所が書かれていた。
鋏を持って来て封を開けると、中には何やら薄手のファイルのようなものが入っている。一枚、手紙が同封されていた。
『アメリカにいるのは知ってるけど、あえて日本に送ります。帰ってきたときに見てください。北崎』とだけ書かれた、愛想のない手紙だ。
舜平はファイルを取り出して、表紙をめくった。
ぴたりと、手が止まる。
中に入っていたのは、珠生の写真だった。
これは確か、鴨川でバーベキューをしたときに、初めて北崎が珠生を撮ったときの写真だ。
新緑と鴨川を背に、楽しげに笑っている珠生の顔がそこにあった。この時は、隣に自分がいたはずだ。きらきらとした鴨川の流れと、輝くような萌木の色が美しく、珠生は見事にその風景に溶け込んでいた。
その輝くような笑顔とともに、夏の訪れを期待させるような明るい写真だ。
「……珠生」
久しぶりにその名を呟くと、考えないようにしていた珠生の存在が、否応なく身体に蘇ってくる。
舜平は写真に触れて、唇を結ぶ。
思い立って他の封筒も開けると、また手紙とファイルが入っている。
『あれから、珠生くんには俺の専属モデルとして、作品に映ってもらっています。結構楽しそうにやってくれているから、安心してください。いくつか作品を送ります。学園祭にも出そうと思ってます。その頃、帰国しているようだったらぜひ見に来てください。北崎』
「専属モデル? 珠生が?」
思わず声が漏れる。がさがさとファイルを開くと、そこには四枚の写真が収まっていた。
まるでふかふかの絨毯のように重なりあって落ちた紅葉を踏みしめるスニーカーの写真と、紅葉に縁取られた青空の写真。
次の見開きには、紅葉に彩られた池の畔にしゃがみこんで、こちらをじっと物言いたげに見つめる珠生の写真。もう一枚は、舞い散る紅葉と、かすかに微笑んだ珠生の横顔。風が珠生の頬を撫で、髪を乱していく動きのある写真だった。
その色彩の鮮やかさと、その中で引き立てられる珠生の美しさに目が離せなくなる。
写真の中からこちらを見つめる珠生の眼差しは、舜平にだけ向けられた視線のように感じた。
もう一通の封書には手紙はなく、モノクロの写真が一枚入っているだけだった。
着流し姿の珠生が、少し首を傾げて袖を抜き、腕を組んでいる写真だった。まるで大正時代の文豪のような写真だと思った。
場所は京都の古い町家。そこによりかかり、気だるそうに顎を上げてこちらを眺めている目付きは、千珠の瞳そのものに見えた。こうして見ていると、五百年を経て、千珠がそこに立っているかのようで……。
舜平は思わずファイルを閉じた。
――駄目だ、これ以上見ていると……。
舜平は手早くファイルをまとめて抱えると、部屋を出て隣の部屋のドアをノックした。時刻は二十一時、まだ訪ねて行ってもいい時間だろう。
「相田くん? どうしたんだい?」
各務健介は舜平を部屋へ招き入れると、ごちゃごちゃと書類やデータが積み上げられた机に戻った。居住空間のはずが、すでに大学の研究室と同じような風景になっている。
「あの……これ、先生にと思って」
「え? 何?」
舜平からファイルを受け取った健介が、それを見て目を見開く。
「これ、珠生か?」
「はい。俺の高校の同級生が大学で写真をやってて……」
「へぇえ!……いい写真だな。ちっちゃい頃はあの子は写真を嫌がるタイプだったんだけど……ほほう」
「京都の実家に送られてきたのを、母がこっちに送ってきたんです。先生、持っていてください」
「ああ、ありがとう。飾っとかなきゃ」
健介はにこにこしながら嬉しそうに何度も写真を見ていた。
「僕は珠生の写真なんか撮ったことないもんなぁ。嬉しいな。しかし、綺麗な色だねぇ」
「ああ……北崎、そのカメラマンですけど、あいつは光に拘って撮りたいとか言ってるやつなんで」
「なるほど。いや、実にいい写真だ。ありがとう相田くん」
「いいえ……」
舜平は少し笑ってみせると、部屋を出ていこうとした。それを、健介が呼び止める。
「あのさ、昨日学校から電話があって」
「え? 大学ですか?」
「いや、珠生の高校の先生から……。僕がこっちへ来てから、生活態度が崩れてるみたいなんだ。無断で休んだり、遅刻したり、服装も乱れがちだって」
「えぇ!? あの真面目な珠生くんがですか?」
「うん。気になってねぇ……。きっちりしているとはいえ、まだ高一だし、せっかく僕を頼って京都に来たのにと思うと申し訳なくなってさ。きっと、寂しいんだと思うんだ。あの子が頼りにしていた君まで連れてきてしまったし」
「いや……俺のことは関係ないですよ」
にわかには信じられないことだ。真面目な珠生の生活の変化に、舜平は戸惑った。健介は机の上に肘をついて、頭を抱えるようにして呻いた。
「電話してもでないし、メールしても返ってこないもんで、もう心配で。時間も合わないし……。担任には、マイルドに『あなたが息子ほっぽって外国に行ったのが良くないんですよ』って怒られるし……。本当、駄目な父親だよ僕は」
「はぁ……でも、珠生くんに背中押された感じやったでしょう?」
「そうだけど……強がってたんだろうな。そこを見抜いてやれなくて……。でも今日写真を見て、身体は元気そうなことが分かって、良かった。ありがとう」
「いいえ……」
舜平は部屋に戻ると、珠生のことを思った。
アメリカに行くと告げた時の、動揺を写した瞳が蘇る。
健介が海外長期出張になることが決まってから、二週間ほど後に決定した舜平の留学の話だった。一年だけ、というのを聞いて少し安心したような顔を見せたが、珠生の目は不安でいっぱいだった。
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