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20 クリスマス、それぞれの夜

 ドアが開き、彰が顔を出した。  グランヴィアホテル京都、最上階。  普段は藤原が使っているスイートルームには、今は葉山が滞在して仕事をしている。 「すまないね、こんなクリスマス真っ只中に」 と、彰はにこやかにそう言った。 「いいえ、そういうの関係無いですから」 と言い、珠生と舜平は室内へ入った。  デスクと応接セットの並んだ部屋では、葉山が忙しげにパソコンを操作していた。二人に気づくと、目を上げて少し微笑む。応接セットの手前にある黒革のソファには、すでに湊が座っていた。 「いらっしゃい。座って」 「お疲れ様です。あれから寝てないんですか?」 と、珠生。 「二、三時間は寝たから、大丈夫よ」  葉山は立ち上がって、伸びをした。  若い四人がソファに座るのを見て、葉山はデスクの前に立つ。 「天道亜樹さんの件だけど、彼女は恙無く宮内庁の元に保護されることになったわ」 「どこに住むんです?」 と、湊が訊く。 「烏丸丸太町に家を用意したわ。そこで宮尾 #柚子__ゆず__#さんという女性が彼女の実質上の保護者となって、修行とメンタルケアにあたります」 「宮尾柚子? 誰?」 と、舜平。 「彼女は私の前任で、この手の仕事を行なっていた職員なの。もう歳だからって、私がその後を引き継いだいというわけよ」 「へぇ、なんか変な感じ」 と、珠生が言う。 「そのへんはシステマティックになったものよ。……まぁとにかく、彼女の精神面が落ち着けば、駒霊は召喚されないし、鬼道も開かないわ。時間をかけて、彼女の持つ力をもっとうまく操作できるように練習してもらわないといけないしね」 「こないだまでの珠生みたいやな」 と、湊が言うと、珠生は苦笑した。 「君たちと同じ学校っていうのが驚きよね。三人とも、学校で何かあったら、すぐに何とかするのよ」 「はい」 と、珠生と湊は返事をする。彰は眠たそうにソファの肘掛けに肘をついていた。 「先輩、おつかれですね。大丈夫?」  珠生が気遣わしげに彰を覗きこむと、彰は重たげに目を開いて珠生を見ると、微笑んだ。 「大丈夫だ。僕は寝てないからさ、ちょっと眠いだけだよ」 「お前も夜通し動いてたんか」 と、驚いたように舜平がそう言った。 「うん、色々とね。僕は方々に顔が利くもんだから、葉山さんにこき使われていたって言うわけだ」 「感謝はしてるけど、あなたから申し出たんでしょ。誤解を招くようなことを言わないで」 と、葉山は彰を睨んだ。 「はいはい」  彰は観念したように両手を上げて、苦笑した。 「……ま、それはいいとして。明日、彼女を宮尾さんの所へご案内だ。湊と珠生は、同学年だし一緒に来てもらいたい。一度会ったこともあるしね」  彰にそう言われて、二人は顔を見合わせた。 「分かりました」 「彼女、珠生のことはよく覚えていたよ」 「そうなんですか?」 「千珠の活躍は、厳島においても伝説的に語り継がれているからな。何か惹かれるものがあったのかもね」  珠生の脳裏に、水龍の姿をした海神、厳島神社の大鳥居、白い衣に身を包んだ長い黒髪の少年の姿が蘇る。  安芸の守に操られるまま、海神を遣わした当代随一の力を持つ覡。己の運命以外の人生を知らない緋凪の、不機嫌な目つきは、どこか亜樹のそれと似ている気がした。 「彼女が……厳島の巫女の血を引く者、なんですね」 「あの天道がねぇ……」  湊は中学からの彼女を知っているため、信じられないといった表情を浮かべて天井を見ていた。亜樹の顔を思い出しているのだろう。 「クラスは違うけど、まぁそれとなく見てやってくれ。僕も注意は払っておく。何かと問題の多い子だからね」 「家庭環境が変われば、ちょっとは落ち着かはるんちゃいますか?」 と、湊が眼鏡を上げてそう言った。 「だといいわね。……さて、明日は十三時に集合して。よろしくね、二人とも」 「はい」  話がまとまったのを見て、葉山は再びデスクに向かった。  +  +  彰を残してホテルを出てきた三人は、ぶらぶらとクリスマスムードが収まりつつある駅の中を歩いていた。  いつしか時刻は十七時前。日暮れの早いこの季節、外はもう真っ暗で、気温もぐっと下がっている。芯から凍りつくよう寒さに、珠生はぶるっと身体を震わせた。 「……寒い」 「千珠さまも寒がりやったけど、お前もなん?」 と、隣を歩く湊がそう言った。厚着をしているふうでもないのに、湊はいつもと変わらない表情だ。 「なんか千葉より寒い気がする」 「京都は夏は熱くて冬は寒い、最悪の気候やからな」 「へぇ、そうなんだ」  珠生はマフラーに顔をうずめて、手をポケットに突っ込んだ。  二人の後ろを歩いていた舜平は、携帯電話が震えるのに気付いた。メールだ。  北崎悠一郎から、フットサルへの誘いだった。二時間後にいつものコートに来いという。  急な申し出ではあったが、明日は舜平の出る幕がない様子でもあり、舜平はそのメールに参加の意志を送った。 「……俺、ちょっと用事できたから。行くわ。一旦帰らなあかんし、お前らも乗って行くか?」  舜平の言葉に、二人が振り返った。 「なんや舜平、女か」 と、湊がさらりとそんなことを言う。舜平は首を振って、 「ちゃうわ。フットサルや」 「この寒いのにようやるわ。でも、乗ってく。珠生もやろ?」 「あ、うん」  マフラーで顔半分を隠しながら、珠生も湊と舜平についていく。  ホテルの契約駐車場へと、三人は足を向けた。     +  +  その日の夕食を、珠生は湊の家でごちそうになった。  湊の母親は珠生をいたくお気に入りで、突然の申し入れにもかかわらず、二つ返事で了解してくれたのだ。  湊には一人、弟がいる。彼は中学一年生だ。  大きくなった息子二人のいる家庭だ、クリスマスムードなどは微塵もないごくごく普通の食卓だったが、デザートに湊の母がケーキを出してくれた。和やかな夜を過ごさせてもらった珠生は、いつもより多めに笑顔を振りまいた。  初めは、人の家で食事をすることに慣れていないせいで、緊張のあまりまるで食べた気がしなかったが、湊の家族には徐々に慣れてきた。 「珠生くんも彼女いぃひんの?」  こたつでケーキを食べながら、湊の弟、柏木隼人がそう尋ねてくる。隼人は湊と違って勉強が大嫌いなスポーツ少年であり、夏でも冬でも肌は真っ黒だ。 「うん、いないよ」 と、珠生は苦笑した。 「ふーん、顔かっこいいのにな。あ、そっか。女どもが気後れするんやな、こんな人の隣歩いたらあたしが霞むわって」 「……いやそんなことないんじゃない?」 「それか、遊んでそうって思われてるとか……」 「俺、そんな風に見えないだろ?」 「……いや、遊んでそうや。なんか、年上の女たぶらかして、いやらしいこととかしまくってそう」 「……」  中一のたくましい想像力に、珠生は沈黙するしか無い。無言で紅茶をすする。 「もうええやろ、隼人。こいつはくそ真面目やねんから、あんまりいじめてやるな」 「兄貴は分かるけどね、見るからにしゃべりにくそうやし」 「やかましいわ」 「そんなことないよ、昨日だってさ……」  珠生が昨日のクラス会の様子を隼人に話して聞かせると、隼人は目を丸くして湊を見た。 「あー分かった。兄貴はいい人止まりなんだな」  隼人は得たり、という顔で頷きながら、コップに入った牛乳を飲み干す。寒がりの珠生からすれば、見ているだけで腹を下しそうだ。 「こいつ、最近急に色気づきよってな。くっそめんどいねん」  牛乳をおかわりしにいった隼人を見ながら、湊はため息混じりにそう言った。微笑ましい悩みに、珠生は笑った。 「そうなんだ」 「友達呼んだらAVの鑑賞会やで。もう、ええかげんにして欲しいわ」 「はは……大変だね」  リビングの壁にある凝った作りの鳩時計が、二十一時を告げた。珠生はその音に顔を上げる。 「さて、そろそろ帰ろうかな。あんまり遅くまでいるのも悪いし」 「そうか?まぁ、もっと寒くなってもあかんしな」 「うん、明日もあるしね。……おばさん、ごちそうさまでした」  珠生はリビングのこたつから出ると、食器をキッチンへと持っていく。ダイニングで新聞を読んでいた湊の父が顔を上げ、洗い物をしていた湊の母が微笑んだ。  「あら、もう帰るん?」 「はい、遅くまですみません。今日も美味しかったです。ありがとうございました」  にっこりと笑って、礼儀正しくそう言う珠生を見て、湊の母は目尻を下げる。 「いいのよいいのよ、またいつでも来てちょうだい」 「そうやで。珠生くん来てると、この地味な家がえらい華やかになるからなぁ」 と、湊の父も笑ってそう言った。 「ありがとうございます」 「お父さん、いつ帰ってきはんの?」 と、湊・父が新聞を畳み、眼鏡を外しながらそう尋ねた。 「明日の夜になると言ってました」 「そっか。寂しかったやろ? 帰ってきたら、いっぱい甘えや」 「いや……うち、そういう感じじゃないんで……」  珠生が苦笑すると、湊母も笑いながら口を挟む。 「嫌やわ、お父さん。想像してみ、湊や隼人があんたに甘えてきたらどうすんの?」 「……そら……ちょい怖いな」 「そうやろ。男の子なんやで、珠生くんも」 「せやな。まぁ、お父さんにもよろしくな」 「はい、ありがとうございます」  柏木一家に見送られ、珠生はその家を後にする。  湊の家もマンションだが、珠生の自宅よりも少しばかり築年数が古く、人も物も多いため、少しごちゃごちゃとしている。  それでもこの家には、人の息吹と温もりがある。  珠生は柏木一家が好きだった。  +  +  二十一時過ぎ。  一仕事終えて、彰はベッドに倒れ込んだ。  葉山は報告書をパソコンで打ち込む作業にのめり込んでいる。画面を睨んでいる葉山の据わり切った目つきを見て、彰は苦笑した。  昨日、突然葉山を訪れたとき、彼女が自分を受け入れてくれるかどうかは賭けだった。  少しばかり強引な手を使って、彰は葉山と接近した。拒まれれば、いつもの様に笑ってその行為を中断しようと思っていた。葉山は怒っただろうが、怒られるのはいつものことだ。  しかし、彼女とキスを繰り返していると、徐々に自分の身体の高ぶりを抑えることができなくなってしまった。  それは葉山も同じであるように感じられて、彰はそれがとても嬉しかったのだ。  思いを遂げた後も、彼女が自分の腕からさっさと出て行かないことが嬉しかった。  彰はうとうとしながら、昨夜のことを想った。  パタン、とラップトップを閉じる音がして、彰は微かに目を開いた。葉山がぐるぐると肩を回しているのが見える。色気がないことこの上ない。  ベッドに横たわっている彰を見て、葉山が近づいてくる気配があった。 「彰くん、ここで寝るつもり?」 「……一、二時間くらい、いいでしょ」 「そうすると、朝まで寝ちゃうわよ」 「……駄目?」 「……ま、ここまでこき使って、駄目とはいえないわね」  葉山は意外とすぐに諦めた。ホテルのクロゼットから毛布を取り出してくると、彰の身体にかけてやる。 「……優しいんだね、今日は」 「お世話になったもの。これくらいいいわよ」  葉山は微笑んで、うつぶせに寝ている彰の背中をポン、と叩いた。  ベッドサイドにある調光用のツマミを回して、照明を少し落とす葉山の手を、彰はぎゅっと握って引っ張った。 「ちょっ……!」  毛布の中に葉山を引っ張り込むと、彰はその身体を抱きしめる。 「こら! 何やってんの、」  じたばたと暴れる葉山の身体に腕を絡みつけたまま、彰は葉山の耳元でささやく。 「何にもしないからさ、一緒に寝てよ」 「え?」 「……僕が寝るまででいいから」  まるで子どものような物言いの彰に、葉山は思わずきゅんとしてしまう。暴れるのをやめて、葉山は肘を着いて身を起こし、彰の顔を覗き込んだ。  薄暗い照明の中で、まぶたを閉じている彰の顔は穏やかだった。長い睫毛が、白い頬に影を落としている。  手を伸ばし、髪を梳いてやると、彰は目を閉じたまま唇だけで微かに微笑んだ。  しばらくそうしていてやると、彰はすぐに寝息を立て始めた。  あの隙のない完璧男が、自分の隣で無防備に眠っている姿は、それなりに貴重に思える。  ——なんだかんだ言って……まだ子どもね。  葉山は彰の頭を撫でながら、いつしか自分もうとうとしていた。

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