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十三、異変

 一行が次に向かったのは、霧島神宮から更に奥へと進んだ山深い場所である。  舗装された道路から脇道にそれ、がたがたと車体を揺らしながら山道を進む。珠生は、窓から見える緑が更に濃くなってゆくさまを眺めていた。  細い山道を抜けると、急に開けた場所へ出た。  そこはまるで、山頂一体が境内であるかのような、(すす)がれた空気の張り詰めた空間だった。  砂利を踏みながら木陰に停車し、敦はエンジンを切った。 「着きましたよ。本物の、天孫降臨の地へ」  敦は皆を振り返って、誇らしげに笑う。  そこは円形に砂利の敷き詰められた広々とした空間である。その周りを、見上げるように背の高い霧島杉がぐるりと取り囲んでいた。その樹々の隙間に、そこから更に奥へと一行を導くかのように、古びた石の鳥居がひとつ佇んでいた。 「行きましょうか」 と、敦が皆を先導して歩き出す。鳥居はひとつ、ふたつと、行先を示すように一定間隔に並んで建っている。伏見稲荷の百連ねの鳥居に似ているな、と珠生は思った。  木立の中は涼しく、聞きなれない鳥の声が響いていた。珠生は亜樹と並んで敦の後ろを歩きながら、辺りの景色をじっくりと観察した。妖の気配はないが、先へ進めば進むほど、神気が濃くなっていくような気配がある。  先頭を歩く敦が、ふとこんなことを話し出した。 「……俺は小さか頃から、ようここで遊んどったんよ。爺ちゃんに連れられて、この山でかくれんぼとかしてな」 「いいの? 神聖な場所なんちゃうん?」  誰にともなく話し始めた敦の声に、すぐ後ろを歩いている亜樹が反応した。珠生も何となくその話を聞き始める。 「ああ、俺らの家系がこの土地をずっと守ってきたけんな。庭みたいなもんなんじゃ。俺は親の仕事の都合で、普段は広島で生活しとったけど、長い休みは絶対こっちで過ごしょうたんよ」 「へぇ」 「この奥にある社には、京都から分けられた陰陽師衆の古文書があるんじゃ。それを初めて見せてもらえたんが、中学生のときじゃった。そんときな、まだガキだった斎木彰と初めて会うたんよ」 「斎木先輩の……子ども時代……」  亜樹は彰の幼少期を想像しようとしているふうだったが、それはうまくいかないらしく、首を振っている。 「初めて古文書に触れた時、血が騒いだんを覚えとる。何百年も語り継がれた伝説や術式、全てが載っとる古文書じゃ、重みが違う」  敦の筋肉質な背中は、少し汗が滲んでいる。白いシャツが、微かに濡れているようだ。 「特に……業平様、佐為様……そして千珠様の記述、何回も読んだ。ぶちすごいって思って、小さい頃は爺ちゃんにその話ばっかしてもらっとった」  敦はちらと振り返って、珠生を見た。 「陰陽師の力が、自分にもちょっとはあるって分かった時、俺がどんだけ嬉しかったかが分かるか?あん人らとおんなじように、俺もすごいことができるんかもしれん。この力がこの国のためになるんじゃって、すごく誇らしかった」  敦の話はそこで切れた。最後の鳥居を抜けると、そこにはひときわ広い空間が広がっていたのだ。  真っ白な玉砂利の敷き詰められた土地に、見事な神楽殿が築かれている。ここは霧島神宮とは違い、かなり年季の入った丹塗りの建物が並んでいた。  神楽殿の奥には、またさらに大きな拝殿が佇んでいる。張り出した屋根の下には、見事な天孫降臨の図が浮き彫りにされていた。  ついさっき参拝した霧島神宮の社殿は丹塗りの朱が眩しく、どことなく真新しさを感じさせられたものだが、ここにある神楽殿や拝殿の色彩はどとことなくくすんでいて、歴史を感じる。目まぐるしく移り変わる歴史の片隅で、ひっそりと生き続けていた……そういう趣が感じられた。 「神事はこの神楽殿でやる。ほんで、拝殿の奥にあるんが本殿じゃ」 「……へぇ」  自然と皆が無口になる。その場を包み込む厳かな空気に、圧倒されている様子である。  これらの見事な社殿の周りは、先ほど見た樹齢八百年霧島の杉と同程度の大きさの木で取り囲まれている。どの樹木にも白いしめ縄が括りつけられていて、樹木たちがここを守るために結界陣をなしているようにも見えた。 「奥に、ニニギノミコトが降り立ったと伝えられる石碑がある。そこまで参りに行くで」  敦は皆にそう言うと、神楽殿と拝殿の脇を抜け、さらなる山奥へと歩を進めた。  その時、不意に、珠生は胸苦しさを感じた。  無理やり心臓マッサージをされているような、自分の意志とは異なるペースで心臓が動かされるような、そういう感じがした。苦しさのあまりふらつくと、横を歩いていた湊の手が、咄嗟のように珠生の身体を支えた。 「珠生? どないした」 「……ごめん、何でもないよ……」  珠生は取り繕うように笑ってみせるが、自力で歩くのはもはや難しいほどになっていた。湊に腕を掴まれたままふらふらと進もうとしたが、足は重く、身体は熱くなる一方だった。 「おい、どうしたん? 大丈夫か?」 「ちょっと……あれだよ、夏バテじゃないかな」 「お前が?」  そうこう言っている間に、敦が立ち止まった。  そこには、ごつごつとした巨石があった。  灰褐色の岩肌にぐるりと結わえられた太い注連縄は、まだ鮮やかな白色を放っており、普段から大切に大切に人の手によって守られている様が感じられる。  高さ二メートル、幅四メートル、奥行きも二メートルほどはあるだろうか、圧倒的な存在感を持ってそこにあるその岩は、まるで魂をもつ生き物のようにも見える。    巨石を見つめていた珠生の心臓が、唐突に激しく跳ねた。  珠生は激しい呼吸を繰り返しながら、脂汗を流して地面に手をつく。太陽に熱された白い砂利の感覚が、掌にザラリと痛かった。 「……はぁっ……! うっぐ……ぅ……!」 「珠生!?」 「沖野、どうしたん!?」  湊と亜樹が、膝をついた珠生の脇を支えた。 「あっ……うぅっ……はっ……はぁっ……はっ……!」 「珠生……!? どうしたんだ。妖気が、燃えてるみたいに……」  駆け寄った彰も、珍しく少しうろたえているように見える。彰は珠生の気を探るように身体に触れたが、そのあまりの熱さに眉を寄せる。 「……何だ、これは」 「ぁうう……うぅ……」  珠生はうずくまり、獣のように唸り声を上げ始めた。そんな姿に怯えたのか、亜樹は思わず珠生から手を放す。 「敦、珠生を起こして、押さえてろ」 「お、おう……!」  皆に囲まれている珠生の前に、敦が割って入った。片膝をつき、うずくまっている珠生を力ずくで抱え起こす。 「……珠生? 目の色が……」  顔を上げた珠生の目は、琥珀色の千珠の瞳だった。疑問を含んだ湊の声に被さるように、珠生の絶叫がこだまする。 「あぁあああ!!! 離せぇええ!!!」 「うわっ……! くそっ、おとなしゅうせぇ!」  暴れだす珠生の力に圧倒されかけていた敦だが、ぎゅっと珠生を抱きしめて力ずくで押さえ込む。もがき暴れる珠生の爪で背中や首を傷つけられるが、敦は苦痛に顔を歪めつつもそれに耐えた。 「ぁぁああああああ!!! 離せ、離せぇぇぇええ!」 「鎮まれ、珠生!」  彰の指先が、鋭く珠生の額を突く。彰の指先から金色の光が迸り、その瞬間、珠生の身体がふらりと傾いだ。  熱を持った珠生の体が、敦にぐったりもたれかかる。汗ばんだ珠生の背中を支えている敦の顔は、さっきの怪力がこの細身な身体のどこから出現したのかと驚愕している表情だ。 「なんてこと……」  葉山はあまりのことに、表情を固くしていた。彰も湊も、そして亜樹も。 「どうして珠生くんが、こんなにも影響されているの? ここに、何があるというの」 「……分からない」  彰はじっと押し黙ったまま、敦に抱き抱えられた珠生を見つめていた。  ざぁぁっ……と強い風が吹く。 「それは、この地がほんとうの意味での千珠さまの故郷だからです」  ふと、子どもの声が聞こえた。  皆が仰天して後ろを振り返ると、野球帽を深くかぶったひとりの少年の姿がある。  皆からの訝しげな視線を浴びて、その少年は帽子を脱ぎ、苦笑した。 「……どうも。僕は、佐々木衆の生き残り、長壁弓之進です」  少年はスポーツ刈りの頭にきらきらと汗をにじませて、そう言った。

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