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十四、千珠の面影
拝殿の中に入った一行は、ひんやりとした薄暗い殿内の窓を、すべて開け放して風を通した。
敦は畳張りの広間に珠生を寝かせると、手に持っていたスーツのジャケットを珠生の身体の上に掛けてやる。
珠生は浅い呼吸を繰り返し、苦しげに目を閉じている。敦はそっと珠生の頭を撫でて、拝殿内を動きまわっている皆の仕事を手伝った。
拝殿の中は広い。
床には打ち直されたばかりの真新しい畳が敷き詰められていて、い草の香りが漂っている。入り口に面した扉を開くと、そこから本殿を見通せる造りになっているため、拝殿には何も置かれておらず、殺風景な空間だ。掃除は行き届いているらしく、古めかしさの割には壁にも天井にも埃はなく、人の手が定期的に加えられていることが分かる。
寝ている珠生の傍らに皆が座り込み、弓之進と名乗った少年を見つめた。
皆にじりじりと見つめられ、少年は気まずそうに頭を掻いた。
「あの……私は今、業平様の式として、新たに生を頂いております」
「何だって? 業平様の?」
彰が驚いたようにそう言った。葉山を見ると、彼女も知らなかったらしい、彰を見てゆるゆると首を振っている。
「はい。あの日……影龍さまが滅ぼされた日、私はもう虫の息でした。貴方様の弓に貫かれ、今にも消えそうな命でした」
弓之進は湊を見て、苦笑した。湊はいつものように無表情で、そんな弓之進を見ている。
「この少年は、陰陽師衆の親類の者です。了解を取って身体を借りております。私普段は霊体で、業平様のオフィスの文鳥に取り憑いております」
「はぁ……」
亜樹はぽかんとして、弓之進の話を聞いていた。実感を伴って理解はしていないのだろう。
「さて、昨日の葉山さまから連絡を受け、私は業平様によってここへ遣わされました。お伝えしなければならないことができたからです」
「それは?」
と、彰が先を急かす。弓之進は少しばかり怯えたような顔をしてから、ごほんと咳払いをして続けた。
「千珠さまが生まれ育った白珞族の里は、現在で言う三重県熊野市にあります。ちょうど、那智の滝などで有名な場所……あそこも神気の高い場所です」
「三重県と鹿児島県と、なんの関係があんねん」
亜樹も急かすように、そんなことを言った。弓之進はまたびくっと肩を揺らして、続けた。
「千珠さまの祖は、ここで生まれたということなのです」
「……どういうこと?」
と、葉山。
「歴史には残っておりませんが、かつて瓊瓊杵命 がこの地へ舞い降りた時に、この地の高名な妖と一夜の契を結んだと言われています。その時生まれた子は強大な力を持った鬼となり、白珞族の祖となったのです。つまり、千珠さまは神の系譜の一部であるということです」
「何だって」
彰が思わず声を漏らす。そして、ふと何かを思い出すように、指で自分の唇を撫でた。
「だから、あんなにも草薙の剣と相性が良かったってことか……?」
「はい、おそらくは」
「……神の血か」
と、湊が呟く。
「白珞族の祖となった鬼の名は、鳳凛丸 。この地を長く治めている、偉大な妖であるといいます」
「過去形なん?」
と、亜樹。
「五十年前のこの神事で、鳳凛丸がこの地に災いを成すと、神は予言を託されたのです。そのため、彼はこの地中深くに封じられてしまいました」
「災だと? ずっとこの地を治めてきた妖がか?」
と、彰。
「あの頃は、このあたりの開拓が進み、度重なる火事で霧島神宮はあちらこちらへと移動され、鳳凛丸は随分怒っていたといわれています。放置すれば、きっと人にとって災をもたらす存在になりうる……と、いうことだったのでしょう。鳳凛丸はこの地に封じられ、ずっと、ずっと、静かに力を貯めてきた」
あまりに壮大な話に、皆が顔を見合わせる。敦は、じっと俯いたままその話を聞いていた。
「ここへ来て、鳳凛丸は千珠さまの気を感じているはずです。子孫が自分の元へやって来たことを、喜んでいるのかもしれません。千珠さまもそれに強く影響を受けているのです」
「……そういうことか」
と、彰。
「この五十年でかなりの力を蓄えた鳳凛丸は、自分を封じた人間たちへの復讐を望んでいる可能性が高いーーこの山の妖たちは、そう考えているようです。そして、復讐のために、珠生さまを己の手中に収めたいと考えているのやもしれません」
彰は腕組みをして、ため息をついた。葉山も同様だ。
「藤原さんは、そのことをどうやって知ったの?」
と、葉山。
「昨日の、珠生さまの不調についての知らせをお聞きになられた直後、私をこの地に遣わされたのです。そして私は、この地で永く生きている妖たちから話を聞きました」
それを聞いて、葉山は深いため息をつく。
「そう……。こちらのミスだわ。調べが足りないまま、珠生くんをここへ連れてきてしまった」
「……一刻も早く珠生さまをここから引き離すようにと、業平様はおっしゃっておいでです。身体の回復を待って、下山しましょう」
「そうね」
「ふふっ……くっくっ……」
不意に、笑い声が聞こえてくる。一同は珠生を振り返った。
珠生が横たわったまま、可笑しそうに笑っているのだ。
「珠生……?」
と、湊が立ち上がって珠生の元へ近づこうとした。そして、ぴたりと足を止める。湊を見上げるその目は、琥珀色の千珠の目だった。
「面白い……俺は神の血を受け継いでいるってことか」
「え……?」
あまりにも普段と口調が違うことに亜樹は驚き、思わず膝立ちになって珠生を見た。
「いいじゃないか、俺も会ってみたいな。そのご先祖様とやらにさ」
むくりと身体を起こした珠生は、唇に不敵な笑みを乗せて彰を見た。彰は驚いてはいない。
「珠生、それは危険だ」
「どうして? 心配しないで。もし危険が及ぶようならば、俺がその鳳凛丸って奴を斬ればいいだけの話だろ?」
「簡単に考えては駄目だ。君の肉体は昔のものとは違うんだぞ。鳳凛丸相手に勝ち目があると思ってるのか?」
「あぁ……そうか。これは人間の身体だもんね」
「僕が鳳凛丸をもう一度眠らせる。君はすぐに京都へ帰ったほうがいい。何も起こらないうちにね」
「そんなのつまんないよ。……それに、何も起こらないうちに、なんてもう無理だ」
「え?」
「感じないか。山がざわめいてる……。俺たちへの敵意を感じる。山中から禍々しい妖がここへ来るよ」
珠生はうっそりと笑って、身軽に立ち上がった。ぐるぐると肩を回して、邪魔くさそうに半袖のシャツを脱ぎ捨て、淡いグレーのタンクトップ一枚になった。
「そいつらは、俺が片付けておくよ。せいぜい、逃げる準備でもしておくことだな」
「……沖野……! あんた一体、何言うてんねん!」
突然亜樹が珠生に掴みかかった。細身な腕を掴んで、じっと珠生の目を睨みつける。
「どういうことなん……!? 沖野はどこに行ってしもたわけ? なんやねん、これ……!」
「……何言ってんだよ、俺は俺だ。時間がない、俺は行くよ」
珠生は亜樹をちらりと一瞥して、さっさと戸口の方へと歩を進めていった。
「僕も行くよ。さすがに君一人じゃ無理だろう」
彰も立ち上がって珠生に続いた。そのシャツの裾を、葉山は思わず掴んだ。
「ちょっと待って……!」
「どのみちこの場所から離れるには、その妖を退けなければならない。君は亜樹を守れ。湊は、さっきの石碑や、山の裏手に異変がないか探索を」
彰はきっぱりした口調でそう命じた。その目に逆らえない光を見つけた葉山は、シャツから手を離して頷いた。
「……分かりました」
「了解です。どっかに弓でも置いてへんかなぁ?」
湊は淡々とそんなことを言いながら立ち上がる。
「敦、お前はやれるだろう?」
呆然と珠生を見上げていた敦に、彰は声をかけた。敦ははっとして、彰を見た。
「あ、ああ、当然じゃ!!」
「じゃあ君もおいで、僕らを援護しろ」
「おう!」
彰は薄く微笑んで、すでに外に出ている珠生の後を早足で追った。敦もそれに続く。
亜樹は訳がわからないまま、険しい表情をした葉山を見た。
「……これ、なんなん? 一体何が起こるわけ?」
「亜樹ちゃん、大丈夫よ。彼らがいれば大丈夫、あなたに何も害は及ばないわ」
「でも……沖野は? あれ一体、なんなん?」
「珠生くんの中の好戦的な部分が強く出てきていだけ。あれは間違いなく珠生くんよ。大丈夫、きっと彼はもとに戻るから、ちゃんと待っててあげましょう」
「……うん」
亜樹は不安げに、じわじわと攻め寄ってくる妖の予感に身震いした。それと同時に、外に出ていってしまった皆の身を案じる。
しんとした拝殿の空気が、じわじわと冷えていっているように感じた。
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