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二十一、助太刀
二人が遠ざかったことを確認しつつ、珠生はじっと妖を見上げていた。妖もじっと、珠生の出方を窺うように動かない。
珠生は腕を上げて、妖の尾の様な部分に突き立っている宝刀を見据えた。
「来い」
そう唱えれば、宝刀は一直線に珠生の手の中に戻ってくるはずだった。しかし、宝刀はピクリとも動かない。それどころか、妖の黒い身体がするすると刀身に絡みつき、ずずっとアスファルトから抜き取ったのだ。
「えっ、あれ?」
自分以外があの宝刀に触れることはできないはずなのに……珠生は訝しげな顔をして、じっとその妖を見上げた。
すると、影でしかなかった妖の頭部に、ぎょろりと目が生まれた。珠生はぎょっとする。
「これは……何だ」
――うまい……うまい……
頭に直接響くように、妖の声が聞こえてくる。珠生の宝刀から、妖気を喰っているのだ。
「こいつ……!」
珠生は裸足のまま道路を蹴ると、妖に絡め取られている宝刀の柄をぐっと握りしめ、そのまま妖を捩じ斬ろうとした。しかし、宝刀は抜き取れず、影が伸びて付いてくるだけである。影に妖気を吸われていくおぞましくも気持ち悪い感覚に、珠生はぞわっと身震いした。
「くそ……!」
珠生が怯んだ隙をついて、妖が突如牙を向いて襲いかかってきた。珠生は咄嗟に身をかわして後退したが、妖は超反応で狙いを変えると、着地したばかりの珠生に襲いかかる。
珠生は横に転がってうつ伏せになり、四つ足の獣のような姿勢で妖を見上げた。アスファルトを食い破った妖の鋭い牙と涎が、暗がりの中てらてらと光って見える。
――うまそう……うまそう……
また、妖の声が聞こえた。珠生は歯を食いしばって、妖を睨みつける。
「お前に喰われてたまるかよ……!」
珠生の瞳孔が、縦に裂ける。四つ這いになった珠生の身体から、ぶわっと青白い妖気が燃え上がり、瞳がじわじわと琥珀色に染まっていく。珠生の瞳を目の当たりにした妖は、びくっと巨体を震わせてたじろいだ。
妖気が燃え上がった瞬間、身体を焼かれるような痛みが走った。立ち上がりかけた珠生は顔を歪めて、がくっと膝を落としてしまう。妖の影から解放された宝刀で身体を支えながら何とか立ち上がったものの、珠生は襲ってくる目眩にもふらついた。
「くそ……こんな時に……!」
妖はすっと目を細めた。敵が弱っていることを察したのだろう。
大きな口を開き、糸状の涎をからませた鋭牙を振りかざして、珠生の頭から喰らいつこうと妖が飛びかかってくる。
――食う……食うぞ……!!!
珠生は目を見開いた。響いてくる妖の声は勝ち誇り、歓喜に満ちている。珠生が苦し紛れに宝刀を振り上げた瞬間、背後からカッと眩しい光が破裂した。
妖の動きがびたっと止まり、涎が珠生の顔にふりかかる。
「金色旋雷 !! 急急如律令!」
眩しい光の中からかまいたちが生まれ、珠生に襲いかかろうとしていた妖を数千の刃が襲う。思わず身を屈めた珠生の上に、妖の血が降り注いだ。鋭い悲鳴を上げ、かまいたちに身を斬り裂かれながら、妖は消えた。
突如しんとしたその場に、ざ、ざと足音が響いてくる。
「危ない危ない。間一髪やったなぁ、珠生」
消えることのない眩しい光の中から、懐かしい声がした。
ずっと焦がれていた声と力強い霊気を感じ、どくん……と珠生の心臓が跳ねる。
膝をついて上体を起こし、光のほうを見やる。車のヘッドライトが照らす逆光の中、すらりと背の高いシルエットがこちらに歩み寄ってくるのが見えた。
懐かしい微笑みを浮かべながら珠生に手を差し伸べる男を見上げたとき、珠生の頬を、一筋の涙が伝った。
「舜平、さん……?」
「なんや、泣いてんのか? 怖かったんか?」
気遣わしげな表情を浮かべて、舜平がその場にしゃがみ込む。暖かい指先が頬に触れたとたん、珠生の目からもう一筋、二筋の涙が溢れだした。珠生は首を振って、自分で涙をぐいと拭った。
「大丈夫か? えらいふらついてたから、思わず加勢してしもうたわ」
「……大丈夫。温泉に、のぼせただけ……」
「え?」
まさかそんな返答があるとは思っていなかったらしい。舜平は、一瞬きょとんとした後、気持ちよく笑い出した。
「何呑気なこと言ってんねん。気ぃ抜けるやん」
「……ほんとに、舜平さん、なの……?」
「はは、泣くほど嬉しいか。俺に会えたんが」
相田舜平は笑いながら手を伸ばして、珠生の頭を抱き寄せた。舜平の肩口に顔を埋め、目を閉じると、安堵のあまり堰を切ったように涙が出た。溢れ出る涙をすべて受け止めてくれる舜平の暖かい体温が、静かに静かに、昂った珠生の妖気を抑えていくのが分かる。
「舜平さん……遅い、遅いよ……!!」
「すまんすまん。……久しぶりやな、珠生」
舜平の腕が、ゆっくりと珠生の背に回った。大切な物を抱え込むように優しく、それでいて力強い、舜平の抱擁。珠生は舜平のシャツを握りしめ、深く深く息をした。
――暖かい……
ここへ来てからずっと、静かに乱れ狂っていた妖気が、安らいでいくのが分かる。
「舜平さん……」
「もう、大丈夫やで」
「うん……うん……」
――来てくれた。俺のもとへ……。
数カ月ぶりに感じる安堵感。珠生は舜平にしがみついたまま、しばらく声を殺して泣いた。
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