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二十二、役目

 彰は葉山に亜樹を任せた後、一足先に珠生を追っていった湊と敦を追いかけた。  あの速度だ、かなり遠くまで行っているに違いない……彰は草履履きでひたすらに走った。 「湊! 敦!」  妖の臭いが濃くなってきたところで、彰は二人に追いついた。湊は走りながら彰を振り返る。 「天道は?」 「大丈夫だ。珠生が取り戻して、今は宿に。先に行くよ」  彰は更に速度を上げて二人から離れようとしたが、直ぐにぴたりと脚を止めた。  妖の気配が霧散したのだ。 「……消えた」 「珠生がやったんかな」 「そうだね……それにしても……」  彰はまた小走りに走りだす。懐かしい匂いが漂ってくるのを感じたからだ。彰はその正体を確認するために走った。  カーブを曲がった所に、一台の車が止まっていた。  ヘッドライトはハイビームになっており、眩く白い光が遠くまで明るく照らしている。その光の先で、誰かが佇んでいるのが見えた。 「……あれ、まさか」  懐かしい霊気の気配を感じ取り、彰は嬉しくなって歩調を早めた。 「舜平!」  彰の声に、舜平が振り返る。そして、眩しさに目を細めながらも、その声の主を判別して笑った。 「おお、彰か。えらいカッコになってんで」  山の中を浴衣で走ったため裾が割れ、白い太ももが露わになってしまっている。乱れた姿になっている自分を見下ろしてから、彰は少し居住まいを正した。  「どうしたんだい? こんな九州くんだりまで。アメリカじゃなかったの?」  彰は嬉しそうに笑いながらそう言った。そして、珠生が舜平に抱きしめられているのを見て、はたと口をつぐむ。舜平は珠生の頭だけを抱いたまま、「帰国はもうちょい先やってんけどな、藤原さんから連絡もらってさ。学校も終わってて、特に手伝う仕事ももうなかったから、はよ帰ってきてん」と言って笑った。 「そうなんだ。実にいいタイミングだった。珠生、大丈夫?」 「……苦しい」 「え?」 「離してよ!」  珠生が、苦しげに息をついて身体を離す。少しばかり怒ったような顔で舜平を見上げる珠生の目が、ライトに照らされて明るく光った。 「珠生、泣いてたの」 と、彰が赤くなった珠生の目元を見てそう言った。 「……泣いてない」  珠生がばつが悪そうにそう言うと、舜平は笑って、珠生の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。  「またまたぁ、意地張んなって。俺との再会に感激して泣いてたんやろ?」 「そんなんじゃないし、違うし」 「やれやれ。可愛いね、珠生は」 と、彰も珠生をからかった。珠生は頬を赤くして、少しうつむく。 「おお、舜平やん!」  たったったと軽い足音とともに、湊もそこへ駆け寄ってきた。あまり顔には出ないが、湊もどことなく嬉しそうだ。 「おお、湊。お前もおったんか」 「当たり前やん! お前、どっから湧いてきたん?」 「虫みたいな言い方すんな。関空から直で来たんや。時差ボケでふらふらやで」 「え? 帰国してすぐ?」 と、湊が驚く。 「そう。黒いスーツの人が鹿児島行きのチケット持って待ってて、すぐにそのまま搭乗手続きして。着いたらレンタカーがすでに用意されてて、このナビに従っていけって言われて……」 「さすが藤原さん」 と、珠生が目元を拭いながらそう言った。  その時、誰かがゆっくりとこちらに近づいてくる足音がした。舜平が視線を巡らせると、えらくいかつい大柄な坊主がそこに立っているのが見えた。影になってはっきりと顔は見えないが、どことなく歓迎ムードではない様子が伝わってくる。 「えと……誰?」 「こちらは葉山さんの後輩の墨田敦、二十五歳」 と、彰が紹介した。 「あぁ、てことは。宮内庁の……」 「そう。……敦、こいつが舜海の生まれ変わり。相田舜平、二十一歳」 「別に年はいらんやろ」 と、舜平。  皆が楽しげに舜平を囲む中、敦はじっと舜平を見据えた。 「はじめまして。墨田と言います」  一応丁寧に、敦は挨拶をした。舜平もきちんと会釈をして、「相田です」と名乗る。 「俺が運転して宿へ帰ります。キーはついてますか?」 「あ、はい。お願いします」  敦は至極事務的にそう言うと、先に立って歩き出した。  突然現れた男を中心に、皆が笑っている。敦はそれを見て、複雑な気分になっていた。  舜平が来た途端、彼ら皆の持つ空気が高揚してゆく様が伝わってきたからだ。  ――舜海、か。ただの生臭坊主だったくせに、京の陰陽寮で修行していたという、あの偽陰陽師。  少しばかり面白くない気持ちを感じたが、舜海という僧もまた、伝説的に語り継がれる存在なのだ。自分がつまらぬ感情を抱いていい相手ではない。  敦は胸の片隅に巣食った小さな苛立ちから無理やり目をそらすように、荒々しく車を発進させた。  +  +  結局、血まみれ泥まみれの珠生と彰は、温泉に入り直すことにした。ここへ来て数日も経っていないのに、随分と妖を斬った。  きっと、鳳凛丸は怒っているんだろうな……と珠生は浴衣を脱ぎながらそう思った。 「今度はのぼせないようにするんだよ」 と、彰がまるで子どもに言い聞かせるようにそう言うと、珠生はふくれっ面をした。 「大丈夫だよ」  洗い場で血を洗い流すと、赤い小さな水の流れが岩の床の上を滑っていく。自分を食おうとした妖の血など、気持ちのいいものではない。  さっぱりとしてから再び温泉に入ると、生き返るような気持ちになった。隣で彰も、ため息をついている。 「まさか舜平が来るとはね。おかしな事ばかり起こっていたし、心強いな」 「そうですね」 「もっと素直に喜んだら?」 「……別に……」  彰は笑って、源泉の出ている方へと行ってしまった。あんな熱い湯をよく浴びれるなと珠生は思った。  がらりと脱衣所の戸が開く音がして、当の舜平が腰にタオルを巻いて入ってきた。 「おう、お前らもおったんか」  舜平の裸など見慣れているはずだったが、こういう場で全身を見るのは初めてだった。バランスよく引き締まった筋肉に覆われた舜平の身体を、珠生はしげしげと見つめてしまった。湯船に浸かる珠生の前を通過していく、長い膝下とくびれた足首。そして洗い場に置かれた木の腰掛けに腰を下ろした舜平の広い背中から、目が離せない。 「舜平って意外といい身体してんだね」 と、洗い場にいる舜平をからかうように、彰がそう言った。 「意外とってなんやねん。失敬なやつやな」 「サッカーやってたんだっけ?」 「そうやで。お前は?」 「僕は中学からバスケ部だったよ」 「え!? 意外やな。茶道部とか書道部とか、そんなんかと思ってた」 「珠生にもおんなじ事言われたよ」 「そっか。お前に現代スポーツは似合わへんもんな」 「失敬な。これでも中三の時は主将候補だったんだよ」 「へぇ、お前はほんまになんでもできるんやな」 「まぁね」  二人の軽いやり取りを聞いていると、平和だなぁと思う。少しぴりぴりしていた彰も、舜平が来たことでリラックスしているように見えた。 「葉山さんと話してきた。色々あったんやな。大変だったやろ」  湯船に浸かりに来た舜平が、珠生と彰を見ながらそう言った。珠生はすでにぼんやりしてきた頭で、舜平の顔を見た。 「まるで人格が変わったみたいだったって、葉山さん言ってたで」 「……うん、そーだね……」   気の抜けた返事をする珠生を、彰はちらりと覗きこむ。 「珠生、のぼせてんならもう上がりなよ」 と、彰がたしなめる。 「そうする……」  珠生はよろ……と湯船から上がると、岩の上に置いていたタオルを取って腰に巻く。つややかな白い肢体が目に入ってしまい、舜平は即座に顔を背けた。 「湯あたりしてんちゃうか」 と、珠生が脱衣所に消えた後で、舜平が心配そうにそう言った。彰はにやりとして、舜平ににじり寄る。 「君がくれば、珠生に何があってももう大丈夫だな」 「おい寄るな、気持ち悪い。近いねん」 「相当危うかったんだよ? まるで、現代に千珠が蘇ったようにも見えたな」 「千珠が……?」  舜平はなんとも言えない表情で、湯船の中を見つめていた。ゆらゆらと揺れる透明な水の中で、彰の白い脚が歪んで見える。 「可愛いね、珠生は。千珠とはまた違う魅力がある」 「……何を言い出すねん」 「君が夢中になるのも分かる」 「……ほっとけ」 「ふふ」  彰はにやりと笑って、ざばりと湯から出て脱衣所へと消えていった。舜平はため息をついて、湯煙に霞む星空を見上げた。    ふと、ついさっき目にしてしまった、珠生の火照った艶肌を思い出す。 ――……大丈夫かな。様子、見に行こかな……。  舜平はざばっと湯から上がった。    +  +  浴場から客間へ向かう途中に、集会場として使っている広間がある。  更にそこを過ぎると広々としたロビー。そこには壁一面に大きな一枚ガラスが張られており、ライトアップされた広い庭の景色がよく見えた。  ロビーの端に自動販売機が置かれてることに気づいた舜平は、そこで飲み物を買おうと立ち止まった。そしてふと、財布を持っていないことに気付き、部屋へ戻ろうと踵を返した。 「なんか飲むんか?」  窓の側に並んでいる一番億のベンチから、誰かが立ち上がるのが視界の端に写った。立ち止まってそちらを見ると、敦が立ち上がってこちらに歩み寄ってきている。 「あ……いや、財布取りに行こうと思って」 「ええよ、俺が買うたるわ。……君、成人しとるんじゃろ?」 「はい」 「ほんなら、一緒に飲まんか? ビールならあるけん」 「お、いいですね」  久々のビールだ。普通にテンションが上る。舜平は、敦が買った500mlの缶を受け取った。  窓辺のベンチに並んで座り、缶を軽くぶつけあってビールを飲む。冷たく心地良い刺激が喉を駆け抜け、身体を潤していく。久々に飲む日本のビールはすこぶる美味い。舜平は気持ちよくため息をついた。 「くはぁ〜〜。最高や」 「美味そうに飲むなあ、君」 「日本のビール、久々やったもんで。美味いわ、やっぱ」 「ああ、留学してたんやっけ? そのままここへ来たんか?」 「ええ、まぁ」 「舜海……か。君がなぁ」 「ええまぁ、一応」  ぐび、と敦がビールを煽った。すでに何本か飲んでいるらしく、敦はどことなくトロンとした目をしている。浴衣の袷から覗く見事な筋肉には、うっすら汗が滲んでいた。 「ええな、君は。本物の陰陽師でもないくせに、昔も今も、あんなに皆に頼られて」 「……え?」  舜平は一瞬、ほとんど初対面の男が発した言葉の意図をつかみかねて、きょとんとしてしまった。敦はぐびぐびと残りのビールを飲み干して、やや剣呑な目つきで舜平を見ている。どことなく、恨めしそうな目つきだ。 「俺の一族は……西の陰陽師って呼ばれとったんじゃ。じゃけどな、歴史にはほっとんど登場したりせんのよ。古文書のどこを読んでも、都の陰陽師衆の記述と、それに関わる青葉の衆の記述ばっかりでな……俺らの先祖は、なーんも役に立たんかった間抜け集団じゃ」 「……いや、そんなことないやろ……と思うけど」 「平和が一番、何よりじゃ。けどなぁ、俺は今も……力を受け継いどったとしても、昔みたいに蚊帳の外って気分なんよ。今日、千珠さま……珠生くんや彰とやれて、ほんっまに俺、嬉しかったんじゃ。これで俺も、物語の登場人物として活躍できるんじゃないじゃろかって、思ったんじゃ。でも……」 「……」  敦は若干ろれつのあやしくなった口で、べらべらと舜平にまくし立ててくる。舜平は窓の外をを眺めつつ、静かに敦の言葉に耳を傾けていた。 「なーんかな、君が来て、また蚊帳の外って気分になったんじゃ。また美味しいとこ持ってかれるんじゃろなぁ〜ってな」 「……はぁ、なるほど」 「すごい霊力じゃもんな。……分かっとんよ、偽物だろうが、なんだろうが、力量の差は簡単には埋まらん。お前らは現世でも、世界に求められる能力者じゃ。俺は……せいぜい後方支援……」  敦は目をこすって大あくびをすると、幅の広いベンチにどさりと上半身を横たえた。 「羨ましいんじゃ……君が。俺も……千珠さまの、力に……」 「……」  突然、ぐうぐうと盛大にいびきをかきはじめた敦を見て、舜平はため息をつく。なんとなく、複雑な気分だった。  窓から見える暗い森の風景を眺めながらビールをぐいと飲み干すと、ベンチに引っ掛けてあったひざ掛けを敦の身体に掛けてやる。そして空き缶を片付けて立ち上がった。  ――羨ましい、か。でも、千珠の……珠生の力になるんは、俺の役目と決まってる。この役目は、誰にも渡せへん。  舜平は歩き出した。  珠生の顔が、見たくなった。  

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