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二十三、ふたりの時間

「……はい?」  ノックの後に顔を出した珠生は、寝起きなのかぼんやりとした顔をしていた。珍しく髪の毛が乱れてもつれている。 「もう寝てたんか、すまんかったな」 「ううん……どうぞ」  珠生はのろのろと奥に入っていくと、布団を軽く整えてから、座布団を出した。そして冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、ぐびぐびと飲んでいる。 「あんまり、元気じゃなさそうやな」 「……うん。人前ではなんとか気が保てるけど、一人になるとちょっとね……。なんか消耗が激しくて」 「そっか。……ここ、千珠の祖先がおるらしいやん。その影響かもしれへんねんな」  布団の上に座る珠生に向かい合う格好で舜平は座布団に座り、隅に寄せてあるテーブルに肘をついた。浴衣姿の珠生は座っているだけで色っぽく、ちらりと覗くふくらはぎの白さが妙に艶かしい。舜平はゆるく首を振って、目をそらした。今はそんなことを考えている場合ではない。 「千珠を見ているようだったって、彰も言ってたな」 「……うん。なんていうか……鬼の血に呼び覚まされて本能的な部分……そうだな、千珠としての自分が甦ったって感じがした」 「ほう」 「血が沸き立って、全細胞が妖気で活性化するような、興奮する感じが最初はすごく気持ちよかった。俺は無敵だって、何でもできるって思った。でも……妖を斬って血を浴びていると、だんだん目の前が真っ赤に見えてきたんだ。……すごく、苦しくなってきて」 「そうか……」  珠生はふと顔を上げて、まじまじと舜平の顔を見た。あまりにもまっすぐに見つめられると、舜平もたじろいでしまう。 「……なに?」 「いや……舜平さんがいるな、と思って……」 「何言ってんねん。さっきからおるやん」 「……うん。でも……半年ぶりだからかな、何か変な感じ」  珠生は四つ這いになって舜平に近づくと、おずおずと手を伸ばして舜平の頬に触れてきた。指先から伝わってくるその体温は本物だ。 「本物、だね」 「当たり前やん」 「あれ、お酒のんだ?」 「ああ、下であの墨田ってやつとちょっとな」 「へえ。仲良くなったの?」 「いや……別に」 「ふうん……」  手を引っ込めようとする珠生の腕を、舜平は掴んで引き寄せた。珠生は舜平にしなだれかかるような格好で素直に抱きすくめられ、じっと舜平の胸の中でおとなしくしている。  愛おしげに自分を抱き締める舜平の吐息が、珠生の耳をくすぐる。力強い鼓動と、少し高い体温を肌で感じていると、涙が出そうなほどにほっとした。 「……舜平さん……おかえり」 「おう、ただいま」 「気持ちいい。触れてるだけで、霊気が戻ってくる感じがする……」  実際、珠生の身体からはほとんど霊力が感じられない。妖気のみがぐるぐると珠生の体中を巡り、妙な不安定さを呈しているのを、舜平は感じ取っていた。 「気を高めてやろうか?」 「……えっ? あ……はい。お、お願いします」  真面目くさった声で返事をする珠生に、舜平は少し笑った。 「何を緊張してんねん」 「してないよ」 「してるやん。体が固いぞ」 「してないってば」  珠生はぐいと腕を突っ張ると、舜平から身を離して、むっとした表情を見せる。そんなむきになる顔を見て、舜平は思わず微笑んだ。  ――やばい、可愛い……。  成長のない自分がつくづくいやになるが、そんなことはどうでも良くなるくらいに、珠生は変わらず美しく、そして愛らしいと舜平は思った。  「なに……?」 「……い、いや。またちょっと痩せたんちゃう?」 「そうかな。でも、ちょっと背が伸びたんだよ」 「お、そうか」 「うん」 「でももっと食わなあかんで。力つかへんぞ」 「うん……」  再び布団の上に座り込んだ珠生が、じっと舜平を見つめる。その目に引き寄せられるように、舜平は珠生の頬に手を伸ばした。  暖かく柔らかい、滑らかな肌に触れると、珠生が目を閉じて舜平の手にもたれかかる。心底自分を求めている珠生の思いが、どっと流れこんでくるのが分かった。  舜平は布団に近づき、そっと珠生に唇を重ねた。唇でつながった二人の身体が、どくん、と呼応する。  からっぽの身体に染み渡るように、舜平の力強い気が流れ込んでくる。力を失っていた珠生の心臓が、生き返るように拍動した。  珠生の両手が自然と伸びて、舜平の浴衣の襟をぐっと掴んだ。引き寄せられ、バランスを崩した舜平は珠生の上にのしかかる格好になってしまう。珠生はそれを望んでいたかのように舜平の首に腕を絡ませ、自分から更に深く舜平に口付けた。  これ以上続けていると、いつ彰や湊が入ってくるとも分からないこの場所で、珠生を抱いてしまいかねない……舜平は、理性をフル稼働して珠生から身体を離した。しかし珠生は物足りなそうに舜平を見上げて、朱く艶めいた唇で囁く。 「やめないでよ……」 「えっ……」 「舜平さん……もっと……ちょうだい」  珠生は舜平の首を引き寄せて、下から舜平の唇を塞ぐ。積極的に求めてくる珠生に抵抗などできるわけもなく、舜平は艶かしく舌を絡ませてくる珠生の動きにされるがままになっていた。 「会いたかった……」 「俺も、会いたかった……。毎日毎日、お前のことばっかり考えてた」 「ん、ぁん……舜平、さん……んッ」 「珠生……」  キスと抱擁が深くなり、浴衣がはだけ、珠生の白い肌が露わになる。割れた裾から剥き出しにるつややかな太ももに掌を滑らせると、珠生の口から切なげなため息が漏れた。 「ん、はァ……っ」 「きれいやな、お前は」 「ん、ンっ……」 「珠生……」  耳元で低く囁く声だけで、ぞくぞくっと全身を快感が駆け抜ける。身震いするほどに猛々しい目つきで見下ろされ、珠生の身体は一瞬にして熱く潤んでしまう。 「舜平さん……したい。……ねぇ、しよ……?」 「……でも」 「ねぇ、抱いて……。舜平さん、俺……おれ、」  泣き出しそうな顔で懇願され、舜平の情欲は沸点に達しそうになった。しかし、何の準備もなく男同士でセックスは出来ない上、この部屋にはいつ誰が入ってくるか分からないのだ。 「……あ、あかん……! 今はあかん」 「何で……?」  舜平は身を起こして、途方もなく色っぽい目つきでこちらを見上げる珠生の目元を拭った。しっとりと濡れたまつ毛が、珠生の潤んだ瞳を縁取っている。 「充分霊気も戻ったやろ、これ以上は……今は、やめとけ」 「……」 「この件が終わったら、ゆっくり……な。それまで、おあずけや」 「おあずけ……?」 「そう。……俺かて、ほんまは今、お前を抱きたいけど……今は、あかん」  徐々に冷静になってきたのか、珠生の目に理性が戻ってくる。そして少しばつが悪そうに舜平をちらりと見上げ、「それもそうだね」と言う。  舜平ははだけた浴衣を直すと、ため息をついて珠生を見た。 「ずいぶん素直になったやん、お前」 「そ、そんなことないよ」  珠生がむっとしたような顔で舜平を見上げた。ころころと表情の変わる珠生がことさら可愛く思える。  ぼりぼりと頭をかきかき、舜平は部屋を出ようと立ち上がりかけたが、そんな舜平の浴衣の裾を珠生がしっかと掴んだ。舜平はつんのめって床に手をつく。 「うおっ!」 「あ、ごめん……」 「……あのな、お前は力加減ってもんを……」  膝をさすりながら振り返ると、珠生が淋しげな目で舜平を見ていた。舜平はどきりとして、身動きをやめた。 「ど、どうした?」 「ここに、いてよ」 「……珠生」 「何にもしないから、ここにいて」  今の状態で珠生といる事自体が、舜平にとっては拷問のようなものだったが、こんな不安げな目をされては断ることもできない。舜平は眉を下げて、ため息をつく。 「……分かった」  目に見えて安堵する珠生がまた可愛らしく、舜平は目眩を感じて眉間を押さえた。 「頭痛いの?」  布団に潜り込みながら、珠生は布団をもう一組敷いている舜平を見上げている。 「……時差ボケでちょっとな」 と、舜平は適当なことを言った。 「……父さんは、いつ帰ってくるのかな」 「先生は盆前には戻るって言ってはったで。早くお前に会いたくてしゃーない感じやったな」  舜平は思い出したように少し笑って、そう言った。珠生も少し照れたように微笑む。 「どうだか。研究してるほうが楽しいくせに」 「そらそうかもしれんけど。お前が来てから、先生の表情、めっちゃ張りがあんねんで」 「そうなんだ」 「俺が一回生の頃は、今よりずっと頼りなかってんけど……ってこんなこと先生に言うなよ」 「分かってるよ」 「一緒にアメリカ行ってみたら、日本に居る時より頼もしくて見直したわ。まぁ寮に戻ると珠生がメールをくれないだの、やれ返事が来ただの、千秋が全国大会へ行っただの……お前らの話ばかりしてた」 「……そうなんだ」 「先生は自分を駄目な親やってしょっちゅう言わはるけどさ。俺にはただの子煩悩にしか見えへんな」 「……俺は駄目だなんて思ってないけどな」 「ま、そういうことはちゃんと伝えてあげたらどうや?泣いて喜ばはんで」 「本当だね。父さん、意外と涙もろいから……」 「お前もやけどな」 「……」  電気を消した暗い部屋で、二人はそんな話をしていた。舜平があくびをする。 「千珠も泣き虫やったししゃあないか……」 「泣き虫とか言うなよ」 「お前に泣かれると……俺は……」  眠たげに重くなってくる舜平の声。珠生は横向きに寝転がると、薄暗がりの中、舜平の横顔を見た。  目を閉じて動かない舜平は、すでに眠ってしまったように見える。見慣れた舜平の横顔だが、こんなにも早く寝入ってしまうところは初めて見る。 「……俺を泣かすのは、舜平さんじゃないか」  ぽつりと呟き、珠生は天井を見上げた。舜平の気に満たされ、細胞が安堵して緩んでいくのを感じる。珠生はもぞもぞと舜平の布団に忍び込み、舜平の傍でそっと目を閉じた。  どっと襲ってくる眠気が、心地良く珠生を闇へと誘う。舜平がいるだけで、こんなにも安心する。  小さく寝息を立て始めた珠生を、舜平はちらりと見た。 「困ったやつ……」  舜平もそう呟くと、珠生の身体を抱き寄せて、そのまま眠りに落ちていった。

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