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二十五、黒装束
舜平が亜樹を見たのは、あのクリスマスイブの夜。立花菜緒佳によって傷めつけられ、暗闇に閉じ込められていた痛々しい姿。それが舜平の記憶の中の亜樹だった。
しかし、久しぶりに見た亜樹はとても元気そうだった。表情は活き活きとしていて、気の強そうな、凛とした目つきには力がある。
食事どき、舜平と亜樹はその時初めて挨拶をすることになった。亜樹は舜平を初めて見るのである。
「久しぶり……ってのは変やな。どうも、相田舜平です」
黒いTシャツにジーパン姿の大柄な男に、亜樹は一瞬気圧されたような顔をしたが、素直に「天道亜樹です」と名乗り会釈した。
眉の上で揃った前髪が揺れる。亜樹は私服ではなく、まだ浴衣姿だった。そのことを湊に指摘されると、亜樹は仏頂面でこう言った。
「うちの動きがあまりにも雑やから、和服で過ごせって船井先生に言われてん」
「へぇ、ほんならちょっとは性格もしとやかになるんちゃうか」
と、湊は器用に魚を箸でつつきながらそう言った。
「ったく……うちのどこが雑やねん」
と、亜樹は湊を無視して、居心地悪そうに正座したまま食事を摂っている。
「まぁ確かに、ジャージよりは色気があっていいんじゃない?」
と、珠生が湊をフォローしようも横から口を出すと、亜樹はじろりと珠生を睨んだ。
「五月蝿いな。スケベ」
「……そればっかり」
と、珠生はじとっと亜樹を見る。
「なんであんたも浴衣やねん」
「私服が血まみれになると困るから。京都に帰る時の服まで、血みどろだと困るだろ。船井先生が和服を貸してくれるって言うから甘えることにしたんだ」
珠生が味噌汁をすすりながらそう言うと、亜樹は少し気味悪そうな顔をした。
「なんか、血まみれに慣れてるような口ぶりやな」
「まぁね」
「あんたまで和服やったら、なんかおそろみたいで気ぃ悪いわ」
「大丈夫、みんな和服になるから」
と、今度は彰がそう言った。亜樹が驚いて彰を見る。
「え、なんで?」
「和服は身体に密着しない。ここのところ、山中での戦闘が多いし、ああいう布地に余裕のある服装のほうが身体を保護しやすいんだよ。枝なんかで切り傷が出来たりすると、地味に痛いからね。ちょうど、工事現場のニッカポッカと同じ要領さ」
「風情のないたとえやな」
と、食事を食べ終わった舜平が、茶を飲みながら口を挟む。
「こういう場では、そちらのほうが動きやすいさ。それに、皆和装には慣れてるからね」
「へぇ」
と、亜樹が素直に頷いている。彰にはあまり口答えできないのだ。
「どうせなら、黒装束がいいなぁ。血の汚れなんかも目立たないし」
と、彰。
「俺は忍装束のほうがええですけどね」
と、湊。
「あ、俺もどっちかっていうとそっちのほうがいいな」
と、珠生。
「結局みんなおそろかいな」
と、亜樹。
「お前ら、割りと緊張感ないねんな」
と、舜平が皆をぐるりと見回してそう言った。
葉山と敦は、文化保存協会のメンバーを迎えに出ており、席を外している。珠生は、葉山も和服になるのかな……と考えつつ、茶を一口飲んだ。
彰はすでに珠生と亜樹から鳳凛丸の話を聞いている。「宮内庁の二人がいない間に……」と前置きして彰は箸を置き、てきぱきした口調でこう言った。
「昨日毒々しい瘴気を出していた石碑。あれが鳳凛丸の封印場所かどうかはまだはっきりしていない。だから、それを確かめに行きたいと思う。けど午前中は、珠生は亜樹の護衛だからここを離れられない。変な動きすると、葉山さんが五月蝿いからね」
「……はあ」
と、珠生。
「午後は、珠生が見回りで、僕と敦は結界術のチェックで外回りだ。鳳凛丸を探しに行く絶好チャンスだな。亜樹の警護は葉山さんと湊だから、しっかりここに釘付けにしておてくれよ」
彰は湊を見て、頷きながらそう言った。
「任して下さい」
「舜平はローテーションに組み込まれていないけど、今後は珠生とセットで動いてもらおうと思ってる。今日は舜平も珠生と午後の見回りに出ろ。結界のチェックが終わったら、敦と僕もそっちへ合流するよ」
「敦さんは……その、大丈夫なんですか? 葉山さんみたいに、鳳凛丸を探すことには反対なんじゃ……」
と、珠生は尋ねた。
「あいつは君の役に立ちたいと思っている。多少のルールは曲げるだろうさ」
「へぇ……」
と、舜平は腕組みをして呟いた。
「君は舞の稽古に専念してくれたらいい。不安になることはないよ」
と、彰は心配そうに皆を見ている亜樹を見た。
亜樹はつんとして、「別に、不安になんかなってませんし」と言った。
「天道さんって、顔に出やすいんだね」
と、珠生が言うと、また亜樹にじろりと睨まれる。
「何見てんねん、スケベ」
「だからもっと他に言い方ないわけ? 学年二位にしては語彙力がなさすぎだろ」
と、珠生はむっとして言い返す。
「二位って言うな、ボケ!」
人知れずほくそ笑んでいる湊を見て、亜樹は今度はそちらを睨んだ。
「何笑ってんねん、柏木」
「別に」
「お前もや沖野、この三十八位が!」
「俺の順位はどうでもいいだろ!」
「君たち、やかましいよ」
彰にたしなめられ、高校二年生たちがぐっと黙った。そんなやり取りを見ていた舜平が、楽しげに笑った。
「なんや、随分お前ら仲良うなったんやな」
「なってへんわ!」
「なってないよ!」
三人が同時にそう言うので、舜平はまた笑った。
「お前らの子どもらしい顔が見れて、俺は嬉しいぞ」と、舜平は隣にいた珠生の頭をぽんぽんと撫でる。
「ポンポンしないでくださいよ」
珠生は舜平の手をうるさそうに払いのけると、ため息をついた。
「ま、賑やかなのはいいことさ」
と、彰は立ち上がって伸びをしている。湊はさっさと食器を片付け始めた。後片付けは自分たちで行うのがきまりなのである。
「話を戻すけど、珠生は鳳凛丸の妖気を嗅ぎ分けることができるかい?」
「はい、できると思います」
「そうか。なら、余計な刺激は与えぬよう、僕と敦は離れた場所に待機する。何かあったら、後ろから援護するよ。だから舜平と接近して、様子を窺ってくれ」
「分かりました」
「おう」
「くれぐれも、午前中は大人しく、仲良くしとくんだよ」
彰に言い含められ、高校生たちはちらりと目を見合わせて、また直ぐに目をそらした。
舜平は微笑みながら、そんな皆の様子を見ている。
+ +
葉山が手配した着物は、全て黒衣だった。陰陽師衆が身につけていたものと、そっくりのものである。
彰は、懐かしそうに黒い着物を手にとって、微笑みながら生地の表面を撫でた。舜平にとっても、短い期間であるが、毎日のように袖を通した黒装束は懐かしい。
「俺はあんまり慣れへんなぁ」
と、湊はぼやいた。身体にフィットした形状の忍装束ばかりを身につけていた湊は、ぶつぶつ文句を言いながら袴を身に着けている。
「俺もあんまり、黒いのは着なかったから慣れないな」
と、珠生も帯を締めながらそう言った。
「いや、よく似合っているよ、二人共。すごく、懐かしい」
誰よりも黒装束がしっくりしている彰が、皆を見渡してそう言った。髪型や顔立ちは多少違えど、そっくりそのまま五百年前から佐為が戻ってきたように見えて、珠生は目を丸くする。
「……うわぁ、佐為がいる」
「そう呼ばれたほうがしっくりするな。こんな格好をしていると」
と、彰は嬉しそうに笑う。
「舜平も、昔から髪結うてへんかったし、まんまやな。なんや懐かしい感じするわ」
と、湊が言った。
「そうか?」
襟を正しながら皆を振り向いた舜平の姿を見て、珠生はまた目を見張る。
本当に、舜海がそこにいるようだった。
珠生がじっと自分を見つめているのに気づいた舜平は、苦笑いをして珠生を見る。
「恥ずかしいやん、そんなに見るな」
「……別に見てないし」
珠生は少し照れくさくなって目をそらした。そこへ、敦が顔を出す。
「うわ、お前らなんちゅう暑苦しい格好しとるんじゃ!」
ぎょっとしたような顔をしたものの、すぐ手前にいる珠生を見て、敦は目を瞬かせる。
「和服もよう似合うなぁ、珠生くんは。さすが千珠さまの生まれ変わりじゃ」
「はぁ……どうも」
「俺にできることがあったら、すぐに言 うてな。すぐ助太刀に行っちゃるけん!」
「あ、ありがとうございます……」
「助太刀なんかなくても大丈夫やで。この俺がいんねんからな。ま、ニセモノの陰陽師やけど」
「あ?」
「実戦慣れしてへんねやろ? ほな後ろで見学しとけ。初心者が調子乗ると危ないで」
「あぁ? なんじゃとぉ……?」
「こら、何ケンカしてんだよ。見苦しい」
そう言って彰が舜平と敦の尻を叩くと、ふたりはバツが悪そうに目を見合わせ、険悪な視線を交わしている。珠生は首をひねった。
「それはさておき……」
敦は肩をすくめると、皆を見回して言った。
「さて、そろそろ持ち場に別れてもおか。俺と葉山さんは、ここで結界術に使う護符を作るけん、なんかあったら直ぐ連絡してくれ」
「分かってるよ」
と、彰が手を上げた。
「さて、湊。見回りに行こうか」
「はい」
二人はすたすたと部屋を出ていく。
「ふーん、お前は珠生くんとセットか」
「あぁ。なんや、変わって欲しいんか?」
腕組みをしたまま睨み合っている二人を見上げて、珠生はため息をついた。
「あの……そういうのマジでやめて。気持ち悪いから」
「……」
不審者を見る目つきをしてそんなことを言う珠生を、二人は同時に見下ろした。
それだけ言い残すと、珠生はさっさと和室を出て行ってしまった。舜平と敦は顔を見合わせ、そしてまた睨み合う。
「お前のせいでキモがられてしもたじゃろが! どうしてくれるんじゃどアホ!」
「うっさいねん! お前が大人げなく絡んでくるからやろ!」
「あぁ? やんのかコラァ」
「は? やったろやないかい」
胸ぐらを掴みあっていると、襖が開いて葉山が顔を出す。舜平たちが掴み合っているのを見て、葉山の目つきがぎろりと剣吞になった。
「何遊んでんのよあんたたち! さっさと仕事しなさい!」
「す、すみません!」
二人は同時にそう言った。
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