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二十七、亜樹と舜平

 亜樹は珠生達の動向が気になって仕方がなかったが、帯刀の稽古は厳しく、他に気を散らしている暇はなかった。  あっという間に一日が終わり、慣れない着物での慣れない舞の稽古に疲れ果て、亜樹はぐったりとその場に座り込んだ。帯刀は苦笑しながら、「お疲れ様です。亜樹さん、なかなか筋がいい」と、言った。 「ほんまですか? 別に気ぃ使ってもらわんでもいいですよ。正直に言ってもらったら」 と、亜樹は横すわりをして汗を拭った。 「いやいや、初めはどうなるかと思ったけれど、やはりいい血をもっておいでのせいかな、やはり光るものがある」 「……ならいいんですけど」  同室して亜樹を見守っていた葉山も、頷きながら軽く拍手をしていた。湊は外で待機している。 「うん、確かに午前中と比べてもかなり動きがきれいになってきたわよ。素人の私が見ても分かるくらい」 「ほんま?」 「ええ。素敵よ、亜樹ちゃん」  葉山の笑顔を見て、ようやく亜樹も表情を緩めた。帯刀が帰っていくのを見送りながら、亜樹は大きく伸びをする。 「あー……疲れた。お腹すいたぁ。もうご飯?」 「あらあら、さっきまでの色気はどこへ行ったのかしら」 と、葉山は楽しげに笑いながら腕時計を見る。 「そうね、もう七時半だわ。……みんな遅いわねぇ」 「……そういえばそうやな」  ふと、珠生たちを心配していた気持ちが再燃する。何かあって、また何かと戦闘になっているから帰ってこないのだろうか。珠生や彰の動きを間近で見た今だからこそ、彼らが容易くやられてしまうというような心配は薄れてきたが、それでも怪我でもしていないかと不安になる。  亜樹は立ち上がり、窓の外を見た。今日はずっと天気が悪く、今も薄ぼんやり朱に染まった厚い雲が、低い空を覆っている。  しかしそんな心配は杞憂に終わった。ぞろぞろと、黒装束の四人が広間に戻ってきたのだ。  弾かれたように振り返った亜樹は、皆の顔を見て心底安堵した。そして、珠生の表情がいつもと変わらず穏やかなのを見て、また安堵する。  亜樹の視線に気づいた珠生が微かに微笑むのを見て、亜樹はぱっと頬を染める。思わず目をそらすと、また窓の外を見やった。 「おかえり、みんな。疲れたでしょう、食事にしてもらいましょうか」  何も知らない葉山は笑顔で皆を出迎えると、厨房の方へと姿を消した。入れ違いに湊が広間へやって来るのを見て、亜樹も皆の方へと歩み寄った。 「……どうやったん?」 「うん、鳳凛丸のことは心配しなくてもいい」 と、彰が亜樹と湊に状況を説明した。 「……じゃあ、鳳凛丸は敵ではないっていうことなんですね」 と、湊。 「そうだ。警戒すべきは土毘古という妖だったみたいだね。また闇夜に紛れておかしなことが起きないよう、しっかり気を引き締めて見張る必要がある」 「分かりました」  湊がしっかりと頷くのを見て、彰は表情を緩め、亜樹を見た。 「昨日は怖い思いをさせて悪かったね。ここにいれば安全だ」 「……あ、はい……」  ふと、亜樹は珠生を見た。舜平と敦という大柄な男の間に立っている珠生は小さく見えたが、昨日自分を妖の手から掬い取ったあの力強い腕の感触が蘇る。  どちらかというと中性的な顔立ちや体つきをしているが、珠生は異性なのだ。亜樹は妙にそれを意識してしまい、まともに珠生の目が見れないでいた。 「舞の方は順調なの?」 と、当の珠生がそう尋ねてきた。亜樹はつとめて平静を装いながら、答える。 「当たり前やろ。うちはいい血を持ってんねんて」 「ふうん。そりゃ本番楽しみだ」 と、珠生が笑顔を見せる。その笑顔の眩しさに、亜樹は気恥ずかしくなって目をそらした。 「別に見んでいいし。てか見るな、恥ずかしい」 「なんで? たまには女らしくしてる天道さんも見てみたいもんだけど」 「はぁ? うちはいつでも女らしいわ、ボケ」 「どこがだよ。全然口の悪いとこ治んないな」  むっとした顔になった珠生が、亜樹につっかかる。亜樹もじろりと珠生を睨み、 「五月蝿いねん、この男女! もやし!」と言い放った。  珠生はぐっと口をつぐんで、ぴき、とこめかみに青筋を立てる。そんな二人を見て、舜平が笑った。 「やれやれやな。もやしやって、あはははっ」 「舜平さんまでひどい」 と、珠生がふくれっ面で、楽しげに笑っている舜平を見上げた。 「最強の男をつかまえてもやしとは、今回の巫女さんは大物じゃねぇ」 と、敦も腕組みをしてにやりとした。 「沖野が最強? まさか、ありえへん」 と、亜樹はつんとそっぽを向く。 「まぁ珠生は亜樹にびびってるから、どっちが最強か分かんないよね」 と、壁にもたれて座っていた彰が笑いながらそう言うと、てきぱきと食事に備えて机を並べている湊がさもありなんといった顔で頷く。珠生は慌てて湊を手伝いながら、「みんなして俺をいじめるんですね」と恨みがましげにそう言った。 「どうせ俺はもやしですよ」 「いや……、お前はもやしというよりエノキっぽいな」 と、珠生をかばったつもりなのか、真面目くさった顔で湊はそう言った。 「……湊、それ全然フォローになってないから」  珠生が呆れた顔でそう言うと、皆が笑った。  夕食の時間は、昨日と同様和やかである。  +  +  亜樹の警護も兼ねて見回りに出た敦と彰以外は、皆が同じ時間帯に温泉に入ることとなった。  相変わらずすぐにのぼせてしまう珠生は、一足先に風呂から上がり、部屋へと戻っていた。舜平は湊と久しぶりにゆっくりと話をする中で、鳳凛丸が猫の姿であることを教えてやった。  湊はそれが舜平の冗談であると思い込んでいるらしく、大して驚くふうでもなく、あまり相手にしていない。 「見たら絶対びっくりすんで! 猫が喋ってんねんで!」 「はいはい。そらおもろいなぁ」 「ほんまやって、何で信じひんねん」 「そんな漫画みたいな展開、あるわけないやん」 と、湊はにべもない。舜平はつまらなそうにため息をついた。 「明日吠え面かいても知らへんからな」 「はぁ? そんなもんかくかい」 と、小馬鹿にしたように舜平を見ている湊の顔は、柊のそれとよく似ていた。  長湯の湊を置いて先に風呂から上がった舜平がロビーへと出てくると、窓の外を眺めてベンチに座っている亜樹の背中が見えた。きちんと話をしたことがないことを気にしていた舜平は、自動販売機でスポーツドリンクを二本買って、亜樹の方へと歩み寄る。 「疲れたやろ」  不意に差し出されたスポーツドリンクを見て、亜樹はびっくりしたように舜平を見上げる。しかし素直にそれを受け取り、亜樹は小さく礼を言った。 「ちゃんと話したことないなと思ってさ」 「……そうですね」 「別に敬語で喋らんでええで」  少し距離を開けて座り、美味そうにスポーツドリンクを飲む舜平を見て、亜樹は少し笑った。 「仲いいですよね、皆。前世からの付き合いって、どんな感じなん?」 「せやなぁ……。今となっては普通やけど。最初はそりゃ、頭おかしくなったんかと思ったで」 「そうなん?」 「まず珠生と出会って……その次に彰がが来て……。あいつ、初対面からあんな感じやったからさ、不気味でしゃあなかったわ」  舜平がそう言うと、亜樹は頷きながら笑った。舜平も笑いながら、亜樹の素直な笑顔を見ていた。 「でも、すごい人なんやろ? 斎木先輩」 「まぁな。陰陽道に関してだけはな。最強やった」 「最強、か。……沖野も、ほんまに強かったん?」 「千珠か……。せやな。あいつはほんまに強かった」  舜平は暗くなった窓の外を見遣りながら、遠い目をしていた。亜樹は表情ががらりと変化した舜平を見上げて、また一口スポーツドリンクを飲んだ。 「初めてあいつの戦う姿を見た時、一生勝てるわけがないって思った。力の差がありすぎてな。そらそうやんな、相手は戦闘種族の鬼なんやから」 「……怖くはなかったん?」 「それはなかったな。普通に話をしている時のあいつは、生意気なだけのただのガキやったし、喋ってると結構おもろいやつやったから」 「へぇ。そうなんや」 「そうは思わへんやつもまぁおったけど。戦が終わって……あいつは、自分が人の中にいていいんかって迷ってた時もあった。俺らの前から姿を消そうとした時もあった」 「……へぇ」 「強いくせに悩みぐせの治らへん奴でな。そういうところは人間と変わらへん。……そういう優しいところもあるやつやから、自然と人が惹きつけられて、あいつの周りには人がたくさん集まった。間違いなく、あいつの居場所はあそこやったんや」 「……」  亜樹は、舜平の言葉に耳を傾けながら、じっとその横顔を見上げていた。そんな亜樹の視線に気づき、舜平ははっとしたように笑顔を浮かべる。 「亜樹ちゃんの居場所も、見つかったか?」 「え?」 「あいつらといて、楽しいやろ?」 「……うん、そうやな」  亜樹は妙に素直な気持ちで、正直な気持ちをつぶやいた。窓にかすかに映る自分の浴衣姿をなんとなく眺めながら、面々の顔を思い出す。 「うち、こういうふうに皆でどこかへ行くとか、あんなふうに友達と……柏木や沖野とつまらん口喧嘩したりするんとか、初めてやねん。だから学校も楽しくなったし、人といるのが苦じゃなくなってきた」 「おお、ええことや」 「つい喧嘩腰になってまうけど……楽しいねん。皆、いいやつやなって思う。うちみたいなんと、ああやってちゃんと向きあってくれるんやもん」 「うちみたいなんって……そんなこと思う必要ないやん。あいつらのこと見てたら、みんな亜樹ちゃんのこと、ちゃんと認めてるんやなって思ったで」 「……ほんま?」  亜樹は舜平を見上げる。舜平は安心させるように笑顔を見せて、頷いた。 「俺も、あいつらと知り合ってまだ一年ちょいやけどさ、珠生や湊が君と言い合ったりなんかしてんの、めっちゃ楽しそうやで。前よりいきいきしてると思う」 「……そうかな」 「ああ、そうやで」 「そっか……」  亜樹は微笑みを浮かべて、少し恥ずかしそうに俯いた。胸の中がふつふつとくすぐられるような感じがして、嬉しかった。  舜平に皆が懐いているのが分かった気がした。舜平は全てを包み込んでくれるような懐の深さがある。兄弟のいない亜樹にとって、自分を認め素直に励ましてくれる舜平の存在は、まるで実の兄のようにも感じられた。 「うち、今は家族もおらへんし、兄弟なんかいたこともないけど……」 「ん?」 「兄貴がおったら、こんな感じなんかな」 「あはは、兄貴か。俺も妹おるけど、たしかに気ぃ強いとこは亜樹ちゃんに似てるかもな」 「妹いるんや。いくつ?」 「高三。まぁ、君らとは違ってアホやし恋愛の事しか頭にないような浮かれたやつやけど、まぁ可愛い妹や」 「へぇ、いいなぁ」 「なんやなんや、俺のこと、兄貴と思ってくれて構わへんで」 「ほんま?」 「ああ、なんか嬉しいもんやな。そんなふうに言ってくれるなんて。あいつらとは大違いや」  舜平の爽やかな笑い方に、亜樹は楽しくなって声を立てて笑った。 「妹になんて呼ばれてんの?」 「もう一人兄貴がおるからな、俺は舜兄(しゅんにい)って呼ばれてる」 「へぇ、ええなあ。うちもそう呼んでいい?」 「おお、ええよ、ちょっと照れくさいけどな」  舜平は手を伸ばすと、亜樹の頭をぽんと撫でた。亜樹も照れくさそうに、にっこりと笑う。  自分を認め、励まし、背中を押してくれる大きな存在。    ――皆、この人が好きなわけや……。沖野のあの寛いだ表情も、分かる。    亜樹は舜平にもらったスポーツドリンクを飲みながら、しばらくおしゃべりに花を咲かせた。  

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