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二十八、もうひとつの再会

 明日は京都から藤原修一の弟である藤原徳人と、葉山の妹である葉山美波が京都から応援にやってくる手はずになっている。その打ち合わせのために、彰と墨田は葉山の部屋へ集まっていた。  主に、その二人は神事中における結界術の保護をやってもらうことになっている。山がざわついていることもあり、彰も墨田も自由に動けるようにしておきたかったからだ。  彰は葉山に、鳳凛丸と土毘古のことを話すことにした。勝手な行動を取った彰たちに葉山は渋い顔をしたものの、鳳凛丸が敵ではないということを聞いてほっとしたのか、腕組みをして黙っている。そして土毘古のことを聞きながら、葉山は少し浮かない顔をした。 「山の神の下僕ねぇ。山の中にいるのが不安になってくるわね。神事は山頂で行われるわけだし……」  葉山は最初の日に、大勢の妖が攻めてきたことを思い出しながらそう言った。今は土毘古の本体を彰が封じているとはいえ、またどんな手下を使って邪魔をしてくるかわからない。 「大丈夫ですよ。徳人さんと美波さんも来るんだ。十六夜の時に使った絶対防御結界術を使いますから、影響はないでしょう」 「うーん……」 「何か来ても、珠生も舜平も、僕もいる。敦だって攻撃に回れるんだ、心配ないよ」 「……そうね。また怪我しなきゃいいけど……」 「今回はえらく弱気じゃないですか、葉山さん」  彰にそう言われて、葉山ははっとした。  今回は藤原という頼れる上司もおらず、京都から遠く離れた鹿児島という土地で皆をまとめなければならないという責任が、葉山を慎重にさせていた。ただ神事の手伝いに、というわけにもいかなくなった今の状況は、葉山の神経をぴりぴりと尖らせているのだ。 「大丈夫だよ、僕がいる」  彰はもう一度そう言って、余裕たっぷりの笑みを葉山に見せた。そんな彰を見ていると、少し心が落ち着いてくる。 「……そうね」 「お前のその自信はどっからくるんじゃ」 と、敦があくびをしながらそう言った。 「実績から、とでも言っておこうかな」 と、彰はにこやかにそう言った。 「ま、とにかく。墨田は明日、お迎えの方よろしくね」 「はい」 「今夜はこれで解散しましょう。二人共、お疲れさま。ゆっくり休んでちょうだい」  葉山がそう言って書類を片付け始めると、敦はすぐに立ち上がって部屋を出て行こうとした。しかし立ち上がらない彰を見て、敦は足を止めた。 「あぁ、先に帰っててよ。僕はもうちょっと話があるんだ」 「そうか? ほんなら俺、寝る前にもう一回宿の周りを見回ってくるわ」 と、敦は生真面目な顔で外へ出ていった。  それを見て、葉山は「墨田は意外とまじめに動くわね……」と呟く。 「彼は使命感が強いからね。今回のことで、陰陽師としての自覚が湧いたんだろう」 と、彰は背筋を伸ばして湯のみの茶を飲み干した。 「あ、入れ直すわ」  葉山は急須を洗って戻ってくると、慣れた手つきで茶葉を入れて湯を注ぐ。浴衣姿でそんなことをしている葉山を、彰はじっと眺めていた。白いうなじに後れ毛が見え、それがとても色っぽいと彰は思った。 「……ありがとう」  葉山から湯のみを受け取ると、彰は熱い茶を一口すすった。目の前に座るすっぴんの葉山は、いつももより少し幼く見え、そして少し心細そうに見えた。 「業平様がいないのが不安なの?」 と、彰は尋ねた。 「……そういうわけじゃないけど。なんとなく、嫌な感じがしてさ」 「この山の気に呑まれてるんだね」 「呑まれてる? 私が?」 と、葉山は少しむっとしたように彰を見た。 「まぁ、無理もない。初日にあんな目にあった上、今もこの山はひどくざわついている」 「……あなたはいつでも冷静ね」  葉山はため息混じりに茶を飲んだ。 「そうでもないさ。実際、僕も舜平が現れてほっとした。彼の存在が心強いよ。……ということは、それまではどこか不安があったということだ」 「全く分からなかったわ」 「この地は特別な場所だ。神々が最初に降りた立った、神聖なる天孫降臨の地……何もなく終わるはずがなかったのかもしれないな」  いつになく真面目な口調で話す彰を、葉山はまじまじと見つめる。浴衣の袖から見える白い腕に、小さな黒い石でできた細い数珠が、いつもと変わらず絡み付いていた。 「……そのブレスレット、いつもしてるのね」 「あぁ、これ? 業平様にもらったんだよ。もっともっと小さい頃にね」 「そうなんだ。いつ、現世で再会したの?」 「僕が小学校に上がった頃だから、十年ほど前か。業平様はすでに宮内庁に入庁していて、当時は京都に住んでおられたんだ。僕は小さい頃、とても情緒不安定でね。前世の記憶が濃すぎて、環境のあまりの変化についていけなかったんだよ」 「そうなの……」 「両親は気味が悪かったと思うよ、言葉を喋り始めたかと思ったら時代がかった口調だし、子供の遊びになんか一切興味を示さないで、難しい本やニュースばかり見ている幼児なんてさ」  微笑みながら話す彰の口調は軽く、葉山は少し笑った。彰の苦労は忍ばれるが、そんな三歳児を想像すると笑えてしまう。 「この世の情報を早く得たいと思っていたからね。子ども番組やアニメなんかは興味なかった。子ども同士の遊びにも、全く関心がわかなかった。早く霊力を取り戻したいと、そればかり焦っていたんだけど……京都の町中にある小さな社や、ビルの谷間にひょっこり現れる小さなお寺なんかを見ていると、心が自然と落ち着くことに気づいたんだ。散歩して、神社なんかへ行くと、殺気立っていた心が凪いでいくのが分かった。僕は幼稚園児にして、すでに寺社仏閣巡りの虜だよ」 「……可愛いわね」 「そうかい? 幸い父はそういうことが好きな人だったから、よくあちこち連れて行ってもらったっけ」  彰は頬杖をついたまま微笑んでから、また茶を一口すする。 「小学生になった頃、僕には無性に行きたい場所ができた。陰陽寮土御門邸のあった場所だ。僕は学校をサボってそこへ向かった。でも、今はそこにはもう何もなくて、ただただ住宅やビルが立ち並ぶだけの殺風景な場所だった」  彰の目が、微かに淋しげに翳る。 「とてもとても、虚しい気持ちになった。僕はこの地に生まれ戻ってきたというのに、僕を知っている人は誰もいない。ここでかつて権勢を振るった陰陽師たちの姿も気配も何もない。ただ、無機質なものが目の前にあるだけだ。とても寂しくなって……こんな孤独を感じるくらいなら、もういっそ、死んでしまおうかなんて思ったんだ」 「そんな……」 「そこへ現れたのが、業平様だった。落胆のあまり、へたりこんで立ち上がれなくなっていた僕を見て、あの人は優しく微笑みながら頭を撫でてくれた。そして、一番呼ばれたかった名前で僕を呼んだんだ。”佐為、おかえり”って」  彰は懐かしそうに微笑みを浮かべて、自分の手首に巻き付いた黒い石を見つめた。 「”ずっと、お前を待っていたよ、佐為。よく戻ってきてくれた”……業平様は僕にそう言ってくれた。あの時、僕がどれだけ嬉しかったか分かるかな。僕は業平様の黒いスーツにしがみついて、初めて子どもらしく泣いたんだ。業平様は、僕をずっと抱いていてくれた」  微かに目を潤ませながら話を聞いている葉山に、彰は微笑んだ。 「この数珠はその時にもらったんだ。業平様の腕に巻かれていたものなんだよ。……そしてね、”見ろ、佐為。お前があの時為した(わざ)は、今も尚この地を護っている。そしてお前がまた、この地を再び護るのだ。この世界をちゃんと見ろ、お前の為すべきことを思い出せ”と、業平様はおっしゃった。”未来を見よう。ここにはもう何もないが、私達は確かにここに在る。その証に、この石をあげよう”って」  彰の白く長い指が数珠を撫でる。艶やかな石が、彰の白い腕の上できらりと光った。 「それからの僕は、ずっとこんな感じさ」 「そんなことがあったのね……」 「そう。珠生や舜平、湊……嬉しかったな。皆が僕の周りに現れて、ちゃんと記憶を取り戻すんだ。やっと、生まれ直したって気分だった」 「彰くんは、皆のことがほんとうに大事なのね」 「そうだね。皆が思っている以上に、そうかもしれない」  彰は立ち上がると、やおら葉山を後ろから抱きしめた。葉山の弾力のある暖かい身体に触れて、彰は息をついた。葉山は珍しく抵抗せず、自分を抱きしめる彰の腕に手を添える。 「……いい匂い」 と、彰は葉山の首筋に唇を寄せながら呟く。 「何してるの」 「そして葉山さんが思っている以上に、僕は葉山さんのことも大切に思っているよ」  耳元で聞こえる彰の声が、葉山の心を揺らす。耳元をくすぐる彰の柔らかい髪の毛が、心地いい。 「……彰くん」 「葉山さんが護られるだけの女じゃないことは分かってる。でも僕は、ちゃんとあなたを見てる」 「……」 「もっと僕に頼ってよ。いいね?」 「……」  葉山が小さく頷くのを見て、彰はすっと葉山から離れた。思わず振り返ると、彰はそれ以上は何もせずに葉山の部屋から出て行こうとしている。 「おやすみ。京都に帰ったら、続きをしようね」 「……続きって」 「我慢したんだ。そこは褒めて欲しいもんだね」  彰はまるで我慢などしていないような涼しげな顔で細く笑い、ひらりと手を振って部屋を出ていった。  どきどきと高鳴る胸を押さえて、葉山はしばらく、扉の方を見つめていた。

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