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26、恨みの矛先

 明桜学園高等部に足を踏み入れた時、微かにぴりりと電流のようなものを感じた。それは微かで、静電気が触れる程度の感覚だった。  水無瀬紗夜香(みなせさやか)は、宇治政商高校の制服に身を包み、この学園の文化祭へとやって来た。使い魔をことごとく撃破され、幽体剥離などの技を遣われてしまっては勝ち目がない。自分自身の手で、あの子鬼の蘇りを狩るしかないと思っていた。  文化祭は色々な人間が出入りしざわついている。多少のことが起こっても誰も気に留めないだろう。  しかし広い校内を歩き回っていると、この由緒正しき名門校に通う生徒たちの屈託の無い笑顔に、徐々に腹が立ってきた。  名実ともに優秀な生徒の集う、関西屈指の進学校。  京都市内のどまんなかにある、美しい校舎と行き届いた設備。  スタイリッシュな制服と、それを着こなす洗練された男女。  そして、その校名や制服に誇りを持ち、優越感を漂わせた不遜な表情。  紗夜香の通う宇治政商高校とて、決して入りやすい高校ではない。しかし、明桜学園とは比べるまでもなく、ぱっとしない学校ではある。  制服だって、重た苦しい紺色のブレザーと四角いスカート、細いリボンと黒いローファー、まるで事務員だ。学校自体伝統はあるがひどく古く、こんなにも明るい文化祭など行えないのではないかというほどに薄汚れている。  富山から転校してきて数ヶ月、まだ京都という土地に馴染んでいない紗夜香は、自分の周りの環境すべてを受け入れられないでいた。  住み慣れた土地を追われた紗夜香にとって、周りは全て敵としか思えなかった。  イライラしながら校内を歩いていると、えらく人気のない場所に迷い込んでしまっていることに気づいた。  立ち止まって周囲を見回し、教室にかかっているプレートを見上げると、そこには”生徒会室”、”視聴覚室”等の文字が見て取れた。ここいらはお祭りには使ってないらしいと理解した紗夜香は、珠生を探すべく取って返そうと踵を返した。  しかし、そこには見えない壁があった。 「!」  指を触れてみるとバチバチッと鋭い音が爆ぜ、指先に激痛が走る。紗夜香の周りには、触れることすら許されない、透明な檻が張り巡らされていたのだ。  紗夜香は即座に辺りを見回したが、しんとしたその階には、誰もいないように見えた。 「……くそ」  紗夜香は歯を食いしばって、なんとかその術が破れないか、知ってる結界返しの術を試みてみたが梨の礫だ。焦りからか、汗が背中を伝う。 「ようやくかかったか」  男の声がした。どこから現れたのか、すらりと背の高い、狐のような目つきをした制服姿の少年が立っていた。隙のない目つきはそこはかとなく不気味で、紗夜香はじりりと後ずさる。 「……君が水無瀬って人? ふぅん、随分普通っぽい子が来たもんだな」 「……あんたは誰?」 「僕? 僕はこの学校の生徒会長だよ。うまくここへ誘われてきてくれたね」 「生徒会長……? 何でそんな奴がこんな術を……」 「君は千珠を狙ったらしいね。全く、馬鹿なことをしてくれる」 「……え?」 「人の力で、千珠をどうこうできるわけ無いだろう」  全てを見透かすような目つきをしたその少年に、紗夜香はじわじわと恐怖を覚えた。 「あんた、あの鬼の仲間なの……?」 「まぁね。……ふん、たった一人で、こんなことをしでかすとは、余裕がないな。仲間にでも裏切られたのかな?」 「……!」 「何故、京都に来た。今更千珠を付け狙って、どうするつもりだ」 「……それは」  怒りのためか、彰の周囲の空気がゆらりと歪む。紗夜香は、威圧的な彰の霊気にすっかり気圧されていた。しかも、今は結界術に閉じ込められているのだ。紗夜香の脚が、かたかたと小さく震え始める。  結界術ぎりぎりに歩み寄り、冷ややかな目つきで見下ろすその不気味な男が、途方もなく怖かった。 「やめなさい、彰くん。女の子をそんな風に睨んじゃだめよ」  落ち着いた女の声がして、男の背後から黒いスーツ姿で髪の長い女が姿を現す。すっかり怯えて縮み上がっている紗夜香を見て、その女はため息をついた。 「怖がってるわ」 「こいつは珠生を襲ったんだ。二度もね。うちの後輩にも手をかけたんだよ」 「女の子は脅して口を割らせるもんじゃないわ。私達に任せて、あなたは文化祭を楽しんでいらっしゃい」 「その通りだ、佐為」  コツ……と落ち着いた革靴の音。二人がすっと道を開けると、紗夜香の前に黒いスーツの男が立った。いかにも仕立てのいいスーツと、落ち着いた表情、微かに笑をたたえた余裕のある口元。明らかに、力と地位、そして権力を持っている男だと紗夜香は思った。 「水無瀬紗夜香さんだね」 「……何で知ってるのよ」 「君のお友達が包み隠さず私達に話してくれたよ。君たちに一体何が起こったのか」 「……あいつら」  紗夜香は体格ばかり上等な、瑛太と迅を思い出して舌打ちをした。結局何の役にも立たなかった。 「我々と一緒に来てもらおう。少し事情を聞きたい」 「……どこへ行こうっていうの」 「グランヴィアホテルだ。なに、快適な部屋だよ。眺めもいい」  男はにっこりと笑って、制服の少年に目配せをすると、その結界術を外させた。しかしすぐに女の手が紗夜香に触れ、紗夜香は両手首をがっちりと見えない手錠でつながれる。 「……あんたら、陰陽師なの?」 「ほう、よく分かったね」 と、スーツの男が驚くでもなくそう言った。 「お母さんに聞いたことがある。こういう術を使うって」 「お母さん、ね。君のご家族のことも、洗いざらい聞かせてもらうよ」  スーツの男は笑みを浮かべたが、その目は笑ってはおらず、紗夜香はひやりとした。女に肩を押されて不承不承歩き出す。 「お前はゆっくり楽しんでおいで。私達のところへ来るのは明日でもいい」 「しかし……」 「珠生くんや湊くんにとっても、こういった現世での付き合いは大事だろ。お前にとっても、この学園での最後の学園祭なんだからね」 「……ですが」 「命令だ。きちんと生徒会長の仕事を全うしておいで」 「……はい」  こちらも渋々な表情の彰の肩を藤原はポンと叩いて、悠然と階段を降りていった。水無瀬の肩を掴んだ葉山も、少し彰に微笑んで見せてから藤原の後に続く。彰はポケットに手を突っ込んで、軽い溜息をついた。 「やれやれ、命令か」  彰は少し微笑んで、軽い足取りで階段を降りていった。  +  +  すこぶる居心地のいいホテルの一室に連れてこられた水無瀬紗夜香は、借りてきた猫のようにおとなしくしていた。入ったこともないような広く明るいホテルの部屋を、チラチラと見回しながら黒いソファに座っている。  隣に座るのは葉山と名乗った女だ。紗夜香の前に置かれたティカップに紅茶を注いでいる。ちらりと左を見ると、一人がけのソファにゆったりと座った、藤原と名乗る男がじっと紗夜香を観察している。紗夜香は慌てて目を伏せた。 「……富山から来たといったね。ご家族は?」 「……」 「今は宇治の学校に通ってるんだね。住まいはあちらの方なのかい?」 「……」 「あのね、黙っていては。こちらも何もしてあげられないよ」 「……何かしてくれるって言うんですか」  紗夜香は低い声でそう言った。葉山が少し、身を起こす。 「……藤原という名、知ってます。陰陽師の血筋の人でしょ。私達の一族は、ずっと陰陽師を嫌ってきましたから知ってます」 「ほう、嫌われているか」 「私達の一族は徐々に衰退してます。力を持つ者も減って来ました。それぞれが自分たちの新しい生き方を見つけて、祓い人という仕事から離れていく人たちがほとんどです。でも……うちの家系だけは、力が衰えることなく脈々と受け継がれてきたんです。だから……向こうでも未だに祓い人と呼ばれて、汚い仕事を請け負ってきました」 「……なるほど」  紗夜香はぎゅっと膝の上でスカートを握りしめた。 「……あたしたちは気味悪がられてる。この今の時代に、こんな仕事は不気味に思われるだけなんです。力のないやつらは普通の人間ぶって、力を持つ私たちは変人扱いされて……。向こうの学校でも、あたしは居場所がなかったし、気持ち悪いっていじめられたりもした。それでも……それでも、両親に、この力は誇れるものだから大切にしなきゃいけないって、言われて育ちました」 「……」  葉山が痛ましげな表情を浮かべて紗夜香を見ていた。藤原も頷きながら、黙って話を聞いている。 「でも……ある日家のそばで小火(ぼや)があったんです。放火だと思います。あたしたち、もうそこに住めなくなりました。ずっとずっと、あたしたちはあそこで、祓い人の血と土地を守ってきたつもりだったのに、誰も認めてくれない。ただ、古い風習にすがるあたしたちが不気味だから、気持ち悪いからって、あたしたちをのけ者にして……!」  紗夜香の目から涙が溢れ出す。葉山はそんな紗夜香の背中を静かに撫でながら、そっとハンカチを差し出す。  ハンカチを受け取った紗夜香は、ぎゅっと目元を押さえて鼻をすすった。 「京都へは、父親の親戚を頼って引っ越してきました。母の力が強くて、あたしはその力を引き継いで生まれましたが、お父さんは普通の会社員をしていたんです。母さんと結婚してから、良くないこと続きで、会社をクビになって、家族のことでひどいことを言われて、お父さんは心労から体を壊しました……。今も入院しています」 「まぁ……そうなの」 と、葉山がため息を漏らす。 「お母さんは、修行をし直すといって出て行ってしまって……私はお父さんの面倒を見ながら、何でこんなことになったのか、色々と調べたんです。……都の陰陽師衆が能登の国を平定し、青葉の鬼が、能登を食い荒らす大妖怪を倒したってことを知りました。その大妖怪が暴れたのは、祓い人のせいだって書いてあった。昔から、祓い人は忌むべき存在だって書いてあった。……先祖たちが悪事を働いたのは悪いことだと思います。でも……この現代でまで、その構図がそのまんま引き継がれてるなんておかしい。あたしはなんにも悪い事していないのに……!」  葉山に背中を撫でられながら、紗夜香はしゃくりあげながら続けた。 「この京都で、大きな結界術が動いたことは、うちの母も気づいてました。使い魔に、転生者のことを調べさせたとも言っていました……。あの書物の中にいた人物たちが、蘇っているって聞いて、私、またひどい目に合わされる、って思ったんです……だから……先に攻撃をしかけようと思って……」 「それで、千珠さまの転生者である彼を狙ったということか。……君は大分、過去の歴史に囚われているようだね……」 と、藤原は重い口調でそう言った。紗夜香は鼻をすすりながら藤原の顔を見る。  藤原は少しばかり微笑むと、紅茶を一口飲んだ。 「君は今のどうしようもない状況を、誰かのせいにしたかったんだね。誰かを憎んで攻撃することで、君は気持ちを保っていたんだろう」 「……」 「あの時代、祓い人たちへの強硬な取締は、能登守(のとのかみ)が行った政治の一つだ」 「……」 「当時は雷燕のことで彼の地は荒れていた。妖も人もね。私たちは能登守の依願を受けて、雷燕を抑えるために彼の地へ向かい、封印した。都の陰陽師が祓い人を攻撃したわけじゃない」 「……知ってます。あなたがたを恨む理由なんか、本当は無いんです」  紗夜香は消え入りそうな声で、それだけ絞りだすように呟いた。 「でも……あなた達だけが今も昔も時代の脚光を浴びて、ヒーローになって……何で私たちは、その影に隠れて生きていかなきゃならないんですか? 持ってる力は、変わらないはずなのに……!」 「そうだね、その通りだ。しかし、今も昔も、その力を悪事に使っている祓い人たちのやり口は、やはり認めがたいものがある。それは君にも分かるだろう?」 「……」 「しかしまぁ……君も一族のやり方には疑問を抱えているようだね。この現世になって、君という若者が私達に立ち向かってきたことは、ある意味運命的な何かがあるような気がするよ」 「……どういうことですか」 「君も、私達とともにこの国を守ってゆかないか? 私は日本政府の元、今もこの力を振るって生きているのだよ。君たちの力、ぜひとも国に貸してもらいたい」 「……え?」  きょとんとした紗夜香の顔を見て、藤原はにっこり笑った。 「今まで日陰のように生きてきたのなら、これからは君が一族を日向へと引っ張ってあげるといい。珠生くんに聞いたよ、様々な術を持っていると言うじゃないか」 「……本気ですか」 「あぁ、本気だよ。時代はどんどん近代化していくが、今も昔も、妖絡みの事件は起こり続けている。彼らに時代は関係ないからだ。こちらも人手不足でね、この広い日本全国を守っていくには戦力不足なのだ。ぜひ、我々と共に戦って欲しい」 「……あたしたちで、いいんですか……?」 「もちろんだ」 「千珠……様を攻撃したのに?」 「彼にとってはあれくらい、何という事でもないよ。強いからね」 「……はぁ」 「いまいち実感が沸かないかな?また、君のご親戚の元へも説得に窺うよ。お父様のことも、何も心配しなくていい」 「……え?」 「君のお父上は、こちらで色々とお世話をさせていただきたいと思う。入院費用についても、こちらが負担しよう」 「そこまで……してもらえるの?」 「当然だよ。その血を現代にまで伝えてくださった、君の大切なお父様だろう?」  ゆったりと椅子に座り、事も無げに微笑みながらそんなことを言う藤原がとても大きく、頼もしい男に見えた。紗夜香は父を一人で守っていかなくてもいいということと、経済的な不安が消えたという安堵とともに、ようやく仲間を見つけたことが嬉しく、先ほどとは違った意味の涙を流した。 「……ありがとうございます」  紗夜香は深々と頭を下げて、唇を噛んだ。 「……ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました……」  しかし、紗夜香の頭の片隅には、強硬に祓い人という仕事にこだわる母親の顔が浮かんでいた。  果たしてこんなありがたい申し出を、母親は喜ぶのだろうか……と。

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