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27、フィナーレ

 文化祭の締めは、グラウンドで行われるブラスバンド部のステージだった。  珠生たちのクラスの催しは大成功に終わり、斗真の仕入れてきたわらび餅は全て完売することができた。周りからの評価も上々で、クラスメイト達もひとまとまりになって喜んだ。  一般客達が引いていく十六時半以降は、片付けの時間である。そして、その片づけが一段落した十八時から、フィナーレのステージが毎年行われるのである。  ブラスバンド部を取り囲むように、生徒たちは自由にそのステージを見ていた。立って見ているもの、座り込んで見ているもの、教室の窓から見下ろしている者……開放的な空気の中で、皆が自由にその音楽に耳を傾けている。  湊は長袖のワイシャツにベージュのベストという制服姿に生徒会の腕章を付け、体育館のそばに立ってブラスバンド部のステージを眺めていた。不測の事態に備えるためだ。  特に何のトラブルもなく、無事に今日という日が終わった。催しとしての学園祭は大成功だ。生徒会副会長としては、満足のいく仕事ができたといえるだろう。今ここからステージ付近を眺めていると、皆が充実した顔をしているのが良く見える。  会長はどこにいるやら……と、辺りを見回すが彰の姿はない。珠生もどこでこのステージを見ているのやら。  湊が腕組みをして体育館の壁にもたれると、そばに誰かの気配が近づいてくることに気がついた。  どきりとした。戸部百合子が、一人でこちらに歩み寄ってくるのだ。 「あ……柏木」 「おう……。こんなとこで何してんの?」 「三年の先輩に、体育館裏に呼び出されて告白されて」 「……そうか」  内心驚いていたが、あまり表情に出さないようにすることに慣れている湊は、淡々とそう言った。百合子は唇に笑みをたたえて湊の横に来ると、同じように壁にもたれた。 「返事は?」 「オッケーしてたら、ここにはおらへん」 「……それもそうやな」 「柏木は? 好きな子おらんの?」 「……好きな子、か」  湊の心を見透かすような、大人びた百合子の目つきに、湊は心臓がいつになく高鳴るのを感じていた。百合子は、じっと湊から目を離さないのだ。 「……好きかどうかはまだ分からんけど、ちょっと興味のある女はおる」 「へぇ、誰?」 「……もう、バレてるんちゃうかな」  湊は百合子の試すような目つきに耐えかねて、眼鏡を押し上げながらそう言った。百合子はくすりと笑って、ブラスバンド部の方へ視線を移す。  きっと百合子は、湊が自分に興味を持っていることを知っているのだ。湊にはそういう確信があった。 「……自分のことやって、分かってるんやろ?」 「分かってたわけじゃないよ。そうやったらいいなって、思ってただけ」 「……そうか」  湊は息をつく。これは、思いが通じあったといっていい場面なのだろうか。もっと男らしく、何か格好のつくことを言うべきなのだろうかと、珍しく湊は混乱していた。と言っても、見た目には何も変わらないのだが。 「戸部。……俺は」 「あぁやめてやめて、そういう照れくさいの、ええねん」 「え?」 「お互い何となく分かってたら、もうそれでいいんちゃう?」 「……さっぱりしてんな。さすが俺の見込んだ女や」 「あははは、偉そうに、なに言ってんねん」  百合子はばしっと湊の背中を叩いて、大笑いしている。湊は少し微笑んで、百合子の方を見た。  純和風美人の百合子。特にその目つきが好きだった。涼やかで知的な、大人びた目つきだ。そんな百合子がたまに見せるこどもっぽい仕草や、体育や球技大会の時などに垣間見せる熱血さが、湊にとっては好ましいものだった。  百合子は、湊に近寄ってその手を軽く握った。湊はどきりとして、頭一つ分背の低い百合子の横顔を見下ろす。 「まだ仕事中やろうけど。これくらいなら、ばれへんやろ」 「……そうやな」  百合子の手を握り返すと、百合子がくすぐったそうに少し笑うのが聞こえた。二人は互いに少しずつ、身を寄せた。  湊はふつふつと湧き上がってくるこのむず痒い感覚に戸惑いながら、ほんの少しだけ顔を緩めた。と言っても、見た目にはあまり変わらないのだが。  百合子はごくごく僅かな湊の表情の変化に気づいているのか、湊を見上げてまた少し微笑んている。  二人は隠れるようにぎゅっと手を握り合って、明るく快活な音楽に耳を傾けた。  +  + 「斎木くん、好きです。付き合ってください」  ブラスバンドの音と人ごみに紛れて、彰のシャツを引っ張るのは、空井斗真の恋する女子生徒であった。  彰はその女子生徒の方を見下ろすと、にこやかな笑みを浮かべ、その女子生徒の手をそっとシャツから外す。 「ごめん、僕、恋人がいるから」 「えっ……そうなの?」  女子生徒は不意を突かれ、酷く傷ついたような顔で彰を見上げていた。彼女は学内でも人気のあるお嬢様風の女子生徒で、実際かなり綺麗な顔立ちをしている。 「……この学校の人?」 「ううん。社会人だよ」 「えっ……あ、そうなんだ……」  同級生であれば勝ち目があると思ったのか、少しばかり挑戦的な目つきをした彼女であったが、”社会人”という言葉を聞くや戦意喪失する様子が、手に取るように伝わってくる。 「……年上か。そっか、でも何となく、納得できる」 「そうだろ?」 「きっときれいな人なんだろうね」 「うん、すごくいい女だ。大人は違うよ」  彰が彼女を完膚なきまでに遠ざけるべく、敢えて含みのある言い方をすると、女子生徒は目を瞬かせて真っ赤になった。 「へ、へぇ……すごいね」  その女子生徒は、曖昧に笑顔を見せてそそくさといなくなってしまった。彰は人知れず笑うと、踵を返して校内へと戻っていく。  +  +  一方珠生は浴衣のまま、生徒会室の窓からブラスバンド部の演奏を聞いていた。今日は動きまわった上、見知らぬ女子や男子から写真を求められ、それに応じたり逃げたりしているだけでも気を使って疲れてしまった。  今まであまり人付き合いをしてこなかった珠生が、こういう学校行事に積極的に関与し、協調性を発揮していたことを千秋が知ったら、きっとすごく驚くだろうと珠生は思った。  ガチャ、と生徒会室のドアが開く音がした。珠生が振り返ると、そこには彰が立っていた。珠生の姿を見て微笑みを浮かべると、ドアを閉めて室内に入ってくる。 「お疲れ、珠生」 「先輩も、お疲れ様でした」 「君を襲ったあの女子高生の身柄を押さえた。今は業平さまが色々と事情を聴いている頃だよ」 「あ……そうなんだ」 「業平様のことだ、きっと彼女をこちら側に引き入れようとするはずだ」 「えっ、でも、祓い人だよ?」 「力の使い方が違うだけで、僕らの持つ霊力の根本的なところは何も変わらないからね。現実問題、宮内庁特別警護担当課はいつでも人手不足だ。霊力を持つ人間は、やはり昔ほど多くはないからね」 「そうなんだ……」 「ああして単身君を狙ってくるやり口といい、身にまとう悲壮な空気といい……きっとよほどの事情があるんだろう。業平様はその辺をうまく利用して、彼女を懐柔するだろう。そして、今となっては消息の知れない祓い人たちの隠れ場所に関する情報を、彼女から抜き取るつもりなんだと思う」 「……」  口元にうす笑みを浮かべながら淡々とそんなことを語る彰の横顔を、珠生は無言で見上げていた。藤原も、彰も、現世に蘇ってからは幾分も穏やかな人格になったように思えていたが、こうして見ていると、陰陽師衆をまとめていた頃と同じ目をしていることに気づく。  手の内に堕ちた敵を懐柔し、こちら側の陣営に引き込み、敵の情報を得る。現世でも、そういう取引が必要であるということだ。  祓い人が、今もまだどこかに隠れて生きているということが、こうして判明したからである。  現世を生きる珠生にとって、人と人とが争い合うという構図を予感するこの出来事は、漠然とした不安を掻き立てられるものであった。 「……そんな顔しないで。全面戦争……ってことにはならないだろうし」 「……だといいけど」 「ところで、珠生はやっぱり和服が似合うね。その色味、すごくいい」 「あ、ありがとう」 「舜平も来てたんだろ? 一緒に回ったの?」 「う、ううん。俺、忙しかったし……さ」 「なんだか歯切れの悪い回答だなぁ」 「なんでもないよ。……この後、会うし」 「この後? あはははっ、そうか。君たちもようやく、穏やかな交際関係を築くことに成功した、というわけかな」 「交際……って。それはよく分かんないけど。……そ、そんなことよりさ、先輩は葉山さんと付き合ってたんだね」 「彼女が僕をどこまで認めてくれているかは分からないけど、まぁ、そういう感じかな」 「良かったね、佐為」  珠生の祝福の言葉に、彰は素直に笑みを返した。珠生の目を見ていると分かる。佐為としての人生をよく知る珠生だからこそ、今の彰に大事な誰かの存在があるという事実を、誰よりも嬉しく思っているのだということを。  彰は笑顔で珠生の頭を何度か撫で、穏やかな口調でこう言った。 「……うん。ありがとう。母に会わせられなかったことが、残念で仕方がないよ。彼女は素晴らしい女性だから」 「……そうだね。でも、お母さんも、きっと見ててくれるよ」 「僕もそう思うよ」  彰は珠生の肩を抱いて、賑やかな演奏の続くグラウンドのステージを見下ろした。  若者たちの華やかな活気で満たされ、いつになく賑やかにきらめいている学び舎は、いつもよりもずっと溌剌として見えた。

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