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二十、コラボレーションとは
芙二子のいびきが響く中、予想をはるかに超える美味な夕食を楽しみながら、悠一郎は写真のコンセプトについて話し始めた。日本酒も入ってほろ酔いの悠一郎は、楽しげに自分の思いつきを話している。
「珠生くんの表情を、俺はいっぱい撮ってきたけど、唯一まだ未知の世界がある」
「……」
「そう、それは官能……大人の階段や!」
「……意味が分からへん」
と、舜平。珠生はただ静かに、箸を口に運んでいる。
「俺は大真面目や! 珠生くんのちょっと大人びた、官能的な表情を自然の中で撮影するんや! それには舜平、お前の協力が不可欠や」
「はぁ? だから何でやねん。俺は嫌や」
「大丈夫大丈夫、上手いこと顔はわかんないように撮るからさぁ」
「お前、女子高生だまくらかしていやらしいビデオ撮ろうとするエロいオッサンにしか見えへんぞ」
「うるさい。俺はな、学生時代の集大成として、珠生くんの成長を作品に収めたいと思ってんねん。それには、ちょっと今までとは違ったテイストながら、俺の作風から逸れへんようなコンセプトが必要なんや」
「だからそれに何で俺が。芙二子でいいやん」
ひどい目にあったからか、すでに呼び捨てである。
「いいや、男女だとちょっと直接的すぎて魅力が半減や。それに、芙二子ちゃんには圧倒的に色気が足りひん」
「……色気。まぁ、たしかに」
布団でいびきをかいている芙二子には、たしかに色気の破片も見当たらない。
「珠生くんはただでさえ色気のある高校生や。それにまさる女は多分なかなか見つからへん。だからこそ、敢えてそこに男を持ってくるねん。プラトニックかつ、うっすらとしたエロス。それを爽やかに自然の中で撮影するんや!」
ぐっと拳を握りしめて吼える悠一郎を、舜平は呆れ果てたように見つめてため息をついた。
「珠生はどうやねん。お前、そんなん撮られていいんか?」
「俺は別に構いませんよ。相手がいるっていう状況は初めてだから、手探りだけど」
珠生は至って真面目な顔で、こう答えた。珠生の中では、撮影の状況をすでに想定しているのだろう。舜平は珠生が思ったよりもずっと高い意識を持って悠一郎に協力していることを目の当たりにして、今まで反論していた自分を少し反省した。
「さすが珠生くん、プロやな」
悠一郎が拍手をしながらそう言うと、珠生は笑った。
「悠さんの頭には、きっともうちゃんと構図ができてるんでしょ」
「当然や! 絶対綺麗な絵になるぞ!」
「それなら、俺は協力するだけだよ。舜平さんも、今回は頼むよ」
珠生に頼まれては、舜平も断れるはずがない。渋々頷くと、「分かった分かった。今回だけやぞ」と言った。
「サンキュー!! よっしゃ、明日は日が昇ったらすぐに下見に行ってくる。場所はここでなくてもええけど、せっかくの自然やし、ええスポットがないか探してくるわ!」
「道に迷わないでね」
「大丈夫大丈夫、大将に聞いてから出かけるから」
悠一郎は俄然やる気の漲った表情になると、くいっと日本酒を煽って席を立った。すぐにカメラを手に取ると、窓際の椅子の上にあぐらをかいて、手入れをはじめる。
「やれやれ、一直線な奴」
と、舜平はまだ大半が残っている食事をぱくぱくと食べながら、そう言った。
「まぁいいじゃん。そういう人だから俺はついていってるんだよ」
「それに……俺はどうしといたらいいわけ?」
「多分、手とか肩とか腕とか……そういう部分的なところだけ使うんだと思うよ。舜平さん、体格いいし手もきれいだしね」
珠生は指の長い舜平の手を見下ろしながらそう言った。手など褒められたことのない舜平は、自分の手を改めて見下ろしてみる。
「ふうん、お前はなんでも分かってんねんなぁ」
「まぁね」
「珠生くんの身体がもうちょっと男っぽくなったら、女性との絡みも考えてもええかもな」
と、カメラのレンズを外しながら悠一郎がそう言った。
「まだ十七歳やろ? これからやもんな」
「そうだなぁ……まぁ確かに、もやしだエノキだ言われるよ」
と、悠一郎の方を見て珠生が苦笑する。
「亜樹ちゃんか」
と、舜平。
「そう。こないだは湊がエリンギにしたれよとか言ってたけど」
「何やそれ、まったくフォローになってへんやん! あいつも阿呆やな」
と、舜平が笑う。珠生も笑って、川魚の塩焼きを口に運ぶ。
「まぁ、高一んときよりはしっかりしてきたんちゃうか? 多少背も伸びたし」
舜平は浴衣姿の珠生を眺めながら、日本酒をくいと煽った。悠一郎がカメラに夢中なため、結局一人酒だ。
「そうかな」
「今身長どんなもんや」
「一六九」
「ふうん、まだまだやな」
「なんだそれ、聞いといて。舜平さんは何センチなんだよ」
珠生はぷっと膨れて、舜平を睨んだ。
「俺? 一八五やで」
「ええっ、そんなに大きいの?」
「見たら分かるやろ」
「ふうん。湊といい先輩といい……あ、深春もか。みんな背が高いなぁ」
「羨ましいか」
「別に」
「大丈夫大丈夫、伸びる伸びる」
と、舜平はからから笑ってまた日本酒を飲んだ。美味そうである。
「珠生くんはそれくらいでも充分モテるやろ」
と、また悠一郎が口を挟む。
「うん、まぁね」
「そこは謙遜せぇへんのかい」
と、舜平。珠生は肩をすくめて、お茶を飲んだ。
「うーん……お腹すいた……」
芙二子がもそもそと起き上がって、ごしごしと目をこすっている。はだけた浴衣を直すでもなく、芙二子はじっと料理のたくさん載った机に目を止めた。
「何だ、起こしてくれたらいいのに」
また四つ這いで机の方に這って来ようとする芙二子を、悠一郎が慌てて止める。
「こら! 珠生くんの前ではしたない! 世間の女がそんなんばっかりやと思われたらどうすんねん」
「どういう意味よ」
「大丈夫ですよ」
珠生は千秋や亜樹を思い出しながら、そう言って苦笑する。
「あっ、そうよね。駄目よね。こんな大人の魅力さらけ出したら、思春期の教育上良くないか」
と、芙二子はしゃなりしゃなりと浴衣を直して小股で歩いてきた。
「はぁ? どこにあんねん、その大人の魅力とやらは」
と、舜平が突っ込むと、芙二子はじろりと舜平を睨んだ。
「何よ、さっきあたしの胸見たくせに!」
「見るほどのもんでもないやん」
「はぁ? 何ですって! あたしはこれでもCありますぅう!」
「だから高校生の前でやめぇって!」
と、悠一郎。
今にも浴衣をはだけて胸を見せかねない勢いで、芙二子はそう喚いた。珠生は苦笑いのまま、そんな二人のやり取りを見ている。芙二子は咳払いをして、すとんと珠生の向かいに座り込んだ。
「まったく、デリカシーの欠片もない男たちだね〜。珠生くんはこうなったら駄目だよー」
まるで小さな子どもに言い聞かせるように、芙二子はそう言ってにっこりと笑った。すっぴんで荒れくれていても、芙二子の肌はむきたての卵のように綺麗なことに、珠生は気づいた。メイクを取った芙二子は、まるで女子高生のように若く見える。それこそ、亜樹と同じくらいの年齢に見えなくもない。
「芙二子さん、肌きれいだね」
「あら、分かる!?」
「うん、女子高生みたいだ」
にっこり笑ってそんな事を言う珠生に、芙二子は目を輝かせ、そして頬をぽっと赤く染めた。
「や、やだぁ!!! 珠生くんったら、お上手!!」
「本当のことですよ」
「きゃあ、もう照れちゃうじゃないの!! ほら、この天ぷら、あげるよ♡」
「ありがとうございます」
舜平と悠一郎は珠生がいけしゃあしゃあとそんな事を口にする様子を、目を丸くして見ていた。以前の珠生ならば、そんな事は思っていたとしても到底口に出せないような大人しい子どもだったのだが、この数年で営業用スマイルと社交性が身に付いてきたらしい。
「……こらあかん、こらモテるわ」
と、悠一郎が呟く。舜平も頷きつつ、
「彰の影響か……」
と呟いた。
珠生は舜平を見て、「少なくとも舜平さんの影響ではないです」
と、真顔で言った。
芙二子が上機嫌に喋っている楽しげな声が響く。
秘湯での一夜は、そうしてのんびりと更けていった。
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