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二十一、撮影

 珠生と眠ると言い張っていた芙二子を、なんとか隣の部屋へ追い立ててから、しっかりと鍵をかけて就寝した昨晩。  悠一郎は夜が明け始めた空に気づくと、ごそごそと布団を抜けだして身支度を整えた。  壁際がいいと言い、隅っこで丸くなって眠っている珠生を見て、少しばかり微笑む。  悠一郎はスニーカーの紐をぎゅっとくくり、カメラを担いで立ち上がった。    悠一郎が部屋を出ていく音を聞いて、舜平はふと目を覚ました。  本当に下見に行ったのか……と、舜平はぼんやりとした頭で、もう一度目を閉じた。しかし一度目が覚めてしまうと眠気は再びやってくることはないようだ。仕方なく舜平はむくりと起き上がった。  少し離れたところで、こちらに背を向けて眠っている珠生の背中を見遣る。寝苦しかったのか、布団を腰のあたりまではねてしまっているのを見て、舜平は苦笑した。 「温泉でも行くか……」  乾かしておいたタオルをたたみ、舜平は浴衣を着直してからもう一度珠生を見る。布団をかけ直してやろうと、珠生のそばに跪くと珠生がころりと寝返りを打った。  はだけた白い胸と珠生の寝顔は、冗談抜きに芙二子よりも断然妖艶だった。布団をかけようとしていた手が、思わず布団を取り落としてしまうほどである。  やや上向きになって眠っている珠生の唇が、自分を求めているように見えて仕方がない。舜平は珠生の枕元に手をついて、ゆっくりと珠生に顔を近づけた。  規則正しい吐息が、舜平の唇にふっとかかる。唇が触れるか触れないかのところで、珠生の呼吸が乱れた。 「何……してるの……?」  目を覚ましたらしい珠生が、ぼんやりと目を開けて舜平を見上げていた。舜平は驚いて、思わず身を引く。  ぼうっと呆けた顔をしている珠生が、重たく瞬きをした。そんな珠生から目が離せず、舜平はじっと珠生の上に被さったまま身動ぎしなかった。 「舜平、さん……」 「……何や」 「悠さん……は?」 「下見に出てったで。熱心な奴やな」 「……そう」  それでも尚身体をどかさない舜平を見上げて、珠生は薄く微笑んだ。 「……どうするつもり?」 「そうやな……どうしようかな」  そう言いながら、舜平ははだけた珠生の胸元にそっと唇を寄せた。鳩尾の辺りから心臓の上を通って首筋の方まで唇を滑らせると、珠生は吐息を漏らして恥ずかしげに顔を背ける。 「あ……んっ……」  珠生の声に、舜平の本能が昂る。肌理の細かい白い肌に掌を乗せ、腰のあたりを撫で下ろす。無駄のない引き締まった身体が、ぴくんと跳ねた。 「……きれいやな……お前は」 「……ちょ、まってよ……」  舜平は笑って、珠生の頭を撫でた。珠生は身じろぎをしつつもうっとりと微笑んで、目を閉じる。  艶かしい珠生の動きに、舜平は思わず身を乗り出して、その唇を吸う。久しぶりに触れた珠生の唇は、相も変わらず舜平を強く求め、何とも心地よい。  口づけが深くなってゆくにつれて、舜平の膝が珠生の脚を割ってゆく。徐々に開かされる脚に力を込めて、珠生は微かに抵抗した。 「……ちょっ……悠さんが帰ってくるよ……」 「今行ったばっかりや。大丈夫やろ」 「でも……やめてよ……こんなとこで……」 「もうちょっと、ええやろ?」  舜平は自分の胸を押し返そうとする珠生の手首を握ると、そっと布団に押し付けた。脚を押さえられ手首も囚われた珠生が、困った顔で舜平を見上げている。  真摯な目つきで自分を見つめる舜平の目に、珠生はどきりとした。その黒い瞳にこもった想いを感じるたび、珠生の身体も舜平に触れられたいと騒ぐのだ。 「珠生……」  舜平が再び珠生に覆いかぶさろうとした瞬間、ガラガラ、バタン! と大きな音がして、二人は仰天した。  思わず身体を離した瞬間、芙二子が襖を開けて入ってきた。 「ねぇー、温泉入ろうとしたんだけどさぁ、鍵掛かってて入れないのよ。何とかなんないかなぁ」  そして、尻もちをついている舜平と若干胸をはだけたまま上半身を起こしている珠生を見て、訝しげな顔をする。 「どうしたの? 変な顔してこっち見て」 「い、いいえ……寝起きだからびっくりして」 と、珠生が咄嗟にそう言った。舜平はささっと身体を起こして、あぐらをかく。 「寝起き……。う、うふふふ……珠生くんも、いい鎖骨してるじゃない。やっぱり、あたしの目に狂いはなかったわ」 「え?」  にやりと笑ってずかずか部屋に入ってくる芙二子を見上げ、珠生が怯えた顔をした。舜平はため息をついて、すっと珠生の前に立ちはだかる。 「こら、いたいけな高校生に何をしようとしてんねん」 「もう、どいてよ。あたしは珠生くんの寝乱れたところをもっと見たいの!」 「はぁ?こいつは見せもんとちゃうで! ええ加減にせぇよ、この破廉恥女!」 「破廉恥上等! いいからどいて! 邪魔!」 「どくか阿呆!」 「アホですってぇぇぇ!?」  そのいたいけな高校生についさっきまで襲いかかろうとしていた舜平が何を言うのか……と、二人の押し問答を聞きながら、珠生はそう思った。  そして珠生は呆れて静かに起き上がり、顔を洗うべく二人の前から姿を消した。    +  +    悠一郎が見つけてきた撮影場所は、そばに滝壺のある開けた場所だった。かなり上流まで登ってきたため一行はやや息を乱していたが、その場所の景色の美しさは疲れを忘れるほどである。  滝から散る水しぶきによって、そこここの草花はきらきらと水滴を纏って光り輝いている。太陽が見え隠れするたびに光り方を替え、それはまるでダイヤモンドのような虹色に輝くこともあった。  珠生は目を輝かせ、悠一郎の嗅覚を褒め称える。照れたように笑いながら、悠一郎は助手と銘打って連れてきた芙二子から、タオルや浴衣などの入ったかさばる鞄を受け取った。 「……女性にこんな……荷物持たせるなんて……!」 「なんでもいいから付いてきたいって言ったのは芙二子ちゃんやで」 と、悠一郎はにべもない。珠生や舜平が手伝おうとしても、二人はこれからモデルにななるのだからと、悠一郎が却下してきたのだ。 「よっしゃ、始めるで! 太陽も出てるし、今のうちや」  パンパン、と悠一郎は手を叩いた。珠生は付近をうろうろしながら、どこが撮影に適した場所かと動き回っている。舜平は腕組みをしたまま、元気な悠一郎と、真剣な目つきで動き回っている珠生を見ていた。 「珠生くん……そう、そうやなそのへんにおって。滝上の方見てて」  滝壺の縁にいた珠生に、悠一郎はそう声をかけた。ポーズを取って動きを止めるでもなく、珠生は自然な動きで上を見上げたり、水の中に目を落としたり、滝の水に触れたりと動いている。  それに合わせて、かしゃかしゃとシャッターを切る音が響く。二人の息のあった動きに、舜平は感心していた。  口を挟めない真剣な雰囲気を醸し出し始めた二人を眺めながら、芙二子もじっと真面目な目つきで撮影を見学している。  カメラを向けられると、珠生の表情が少しずつ研ぎ澄まされていく。  自然の光に溶けこむ白い肌はより一層艶っぽく、水や草花を愛でる目つきはより一層愛がこもり、珠生はまるで空気のように違和感なくその風景の中に溶けこむのだ。  舜平は声も出せず、ただそんな珠生に見蕩れていた。自然に愛でられる姿は、否応なく千珠の美しい姿をも彷彿とさせ、瞬きするたび時代が五百年前に戻るような、不思議な感覚に陥った。  珠生は不意に、舜平を振り向いてじっと見つめてきた。舜平ははっとして、珠生のそんな目付きを受け止める。  意味有りげな目線を向けて、うっすらと微笑む珠生は、吸い寄せられるように美しい。まるで幻術にでもかかったかのように、足元が覚束なくなるほどに。  ふと、悠一郎はファインダーから目を上げた。見つめ合う二人の目線に、はっきりとした濃い絆が見える。  珠生はすっと視線を外すと、目を伏せて再び空を見上げる。そんな優美な動きに、悠一郎は思わずまたカメラを向けていた。 「……よし、じゃあちょっと、上脱いで」 「はい」 「え。脱ぐ?」 と、舜平の声が裏返る  素直にTシャツを脱ぎ始める珠生を見て、芙二子は目をらんらんと輝かせた。珠生からシャツを受け取り、芙二子はいそいそとまた背後に消えていく。 「舜平、お前も脱いでこっち来い」 「え? 俺も?」 「ええから」 「……分かったよ」  舜平も渋々ポロシャツを脱ぐと、それを芙二子に手渡して二人の方へ歩み寄った。芙二子は、思った以上に良い筋肉のついた舜平の背中に見惚れつつ、二人のシャツを抱きしめる。匂いでも嗅ぎ出しそうな勢いだ。 「うーん、二人共裸ってのも不自然やな。芙二子ちゃん、浴衣ちょうだい」 「はいはーい!」  悠一郎は珠生に浴衣を羽織らせて首をひねり、結局脱がせる。そして次に舜平に浴衣を羽織らせて頷いた。  舜平は肌が隠れたことにほっとしつつ、白い肌を晒す珠生の身体をまぶしげに見下ろした。 「よし、じゃあ珠生くんちょっとここに寝てくれ」 「はい」  悠一郎の示す場所に、珠生は素直に横たわった。少しばかり背の高い草に囲まれた、明るい場所だ。そこここに、ちいさな白い花が咲いている。そこに寝転んで見あげた空は、とても澄んで青かった。珠生はうっすらと笑みを浮かべて、空をみあげて呟く。 「きれいだ」 「よし、じゃあ舜平、珠生くんにチューしろ」 「はぁ!?」 「ほんまにせんでいいから、その寸前くらいまで近づけ」 「……何でやねん。これで顔映さへんとか無理やろ……」  ぶつくさ文句を言いながら、舜平は渋々珠生のそばに膝をついた。反対側からは悠一郎が低くカメラを構えてうろついているのだ、こんな中、よくああも自然な動きができるものだと、今更ながらに珠生を尊敬してしまう。  寝そべった珠生の裸体が、太陽の光を受けて白く光る。胡桃色の瞳が、太陽の光を吸って琥珀色に見えた。  こんな場面でも、そんな珠生を見て思わず赤面してしまう自分が恥ずかしい。  そんな舜平を見かねてか、珠生は舜平をリラックスさせるように微笑んだ。 「……カメラ、気にしてる?」 「カメラより……人目かな」 「舜平さんは、俺だけ見てたらいいんだよ」 「……お前、何ちゅうこと言うねん」 「いいから、いつもみたいにさ……」 「そういう事言うな」  ぼそりと小声でそんな事を言う珠生を、舜平は真っ赤になって制止する。  珠生がうっすらと微笑み、そっと目を閉じる。  舜平は本当に触れるか触れないかまで唇を寄せながら、じっと珠生の目を見下ろしていた。再び開いた珠生の目が、また琥珀色に光る。はっとして顔を少し離すと、何もしてはいないというのに、珠生はうっとりと濡れた眼差しで、舜平を愛おしげに見上げている。  滝の飛沫を受けて、珠生の髪やまつげ、唇がしっとりと濡れ始める様は、何とも言えずに美しい。思わず本当にキスしたくなる気持ちを堪えて、舜平はじっと珠生と顔を突き合わせていた。 「よし……ええぞ。そしたら、そのまま今度は起き上がって、見つめあって」  舜平は悠一郎の指示に、珠生を引っ張り起こしてやると、座り込む珠生の前に跪いた。  やや上目遣いに舜平を見上げる珠生を見ていると、舜平の胸は高鳴った。肩越しにカシャカシャとシャッター音が聞こえたり、左へ右へと動きまわる悠一郎の気配など感じる隙もないほどに、自然の中で素肌を晒す珠生はきれいだった。  舜平は自然と手を伸ばして、飛沫で濡れ、目の上にかかっていた珠生の前髪を少しだけよけてやる。珠生はちょっと驚いたように目を開いたが、すぐにまた微笑んだ。 「ありがとう。慣れてきた?」 「……慣れへんわ」 「次は多分、抱きしめろとか言ってくるよ」 「おいおい……まじか」 「後ろで芙二子さんが興奮してる」 「……見たくもないわ」 「あははっ」  思わず笑った珠生の笑顔を、抜かりなく悠一郎は写真に収めているようだ。何でこんな異様な空気の中、自然に笑っていられるのかと不思議になる。 「お前、本気でモデルになれるんちゃうか」 「そう?」 「いつもと表情が違う」 「そうかな。あんまり意識してないけど」  珠生は手を伸ばして、開いていた舜平の浴衣の合わせ目を直した。 「よし、じゃあ珠生くんを抱きしめて」 と、悠一郎の声。舜平はふっと笑った。 「ホンマに来たな」 「ほら、早く」  珠生に急かされ、舜平はぎゅっと珠生の裸体を抱きしめた。珠生がどんな表情をしているのかは分からないが、いつものように肩口に顔を埋めている珠生の背中に、舜平はそっと手を回す。  掌の下ですっぽり収まっている珠生の華奢な背をぎこちなく抱えていると、珠生がくすぐったそうに笑った。 「笑ってていいんか」 「大丈夫、いろんな顔してるから」 「……プロやな」 「へへ……」  珠生の手も、舜平の背に回る。動き回っている悠一郎の足音が遠くなり、その場に珠生と二人きりのような気持ちになってきた。 「舜平。顎にキスして」 「顎?」  悠一郎の注文に、舜平は訝しげに眉を寄せるが、珠生はすぐに少し身を離すと、やや顎を仰のかせて微笑んだ。 「ここだよ」  誘われるまま、舜平は珠生の尖った顎にそっと唇を寄せた。のびやかな首筋、仰のいた顎の線を、明るい太陽の光が縁取るように光る。  そのまま舜平が唇を下ろして首筋を撫でると、珠生は身体を震わせて息を漏らした。 「んっ……」 「あ……すまん」  舜平ははっとして、目を潤ませる珠生を見つめた。  すると珠生はすっと指を伸ばして舜平の頬に触れ、そのまま身を寄せて舜平の唇を指で撫でた。  珠生は舜平の唇に指で触れたまま、愛おしげに舜平を見つめてくる。舜平はただただ、熱のこもった珠生の眼差しを受け止めてじっとしてることしかできなかった。  その数秒後、珠生は自分からそっと、舜平の唇に唇を重ねた。  呆然としたまま固まっていた舜平にたっぷり二十秒くらいひっついていた珠生が、そっと唇を離す。  ぽってりとした形の良い唇を赤く艶めかせ、珠生はじっと舜平を見つめている。舜平はただされるがままに、というか珠生からの突然のキスにどう反応を示していいのかもわからず、尚も硬直したままだった。 「はいオッケー!! めっちゃ良かった!」  どえらくテンションの高い悠一郎の声に、舜平はびっくりして肩を揺らす。珠生はふっと表情を緩めて、いつもの珠生の顔に戻った。そのあまりの違いに、思わず感心してしまうほどだ。 「お疲れ様!! いやぁぁぁん!! まさかほんとにキスしちゃうなんて!!! もう!!!馬鹿!!! 最高!!!」 と、誰よりも興奮している芙二子が珠生にタオルを掛けてやっている。珠生は笑って、「ちょっと、そんな気分になっちゃって」とそつなく笑った。 「やだもう! でもとっても綺麗だった! 最高オブ最高!! はぁ……萌えすぎてつらい……! はぁ、はぁ……しんどい……」  と、舜平の頭にもタオルを掛けて、芙二子はバシバシと舜平の背を叩いた。 「痛い痛い。何で俺を叩くねん」 「珠生くんを叩けないし!!」 「ったく……」  舜平は先に立ち上がると、珠生の腕を引っ張って立たせた。珠生はタオルで水しぶきを拭いながら、にっこりと笑う。 「楽しかった?」 「いや、こんな恥ずかしいの、もういい」 「なんだよ舜平、お前もいい顔しとったのに」 「いや、もう無理。恥ずかしい」 「思ったより繊細なんやなお前」 と、悠一郎は満足気な顔で、カメラにかぶせていた防水用のカバーを外す。 「珠生くん、今度もう一回、別の水辺で撮ってもいい?」 「うん、いいよ」 「よっしゃ、イメージ湧いてきたでぇ。皆、帰るぞ!」  珠生達が服を着込んだのを見て、悠一郎は意気揚々と山を降り始めた。帰りはいいだろうと、舜平が芙二子から浴衣やタオルを入れていた大きな袋を取り上げると、芙二子は目を丸くして舜平を見あげた。 「おお、ありがと」 「ちゅうかお前、はしゃぎ過ぎやろ」 「ええーだって、すごい似合ってたよぉ〜。なんかもう、それこそ絵になってた。はぁ……もう、尊い。最高……」 「尊い? 最高? 何言ってんねんお前」 「あぁ〜北崎くん、写真くれないかなぁ。あたしずっとそれ手帳に入れて持ち歩く〜〜〜」 「やめてくれよ」  舜平が迷惑そうにそう言うのを見て珠生は笑った。  先頭で聞いたことのない歌を歌いながら歩いている悠一郎の背中を追いつつ、一行は気持よく風の吹く森の中をすたすたと下っていく。

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