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二十三、面談のあと

 三者面談が終わり、珠生は健介と連れ立ってグラウンドを歩いていた。ポロシャツにチノパンという若々しい格好の健介は、とても四十六歳には見えない。 「珠生、どっかでご飯でも食べて帰るかぁ」 「うん、そうだね」 「どっちみちまた大学に戻るし、家の近くまでタクシーで帰ってからご飯食べに行こうか」 「うん、いいよ」  とりあえず夕食の支度をしなくていいという開放感から、珠生は二つ返事で了承する。健介が通りでタクシーを拾い、二人は北へと移動した。 「特に何も言われなかったな」 と、健介は安堵の表情だ。 「そりゃ、最近はまじめにやってるし……というか俺、まじめだし」 「成績もいいしね。あの斎木くんという先輩にはお礼を言わないとな」 「そうだね」 「医学部の教授が言ってたよ、びっくりするくらいに優秀な学生だって」 「そうなんだ。さすが」 「彼は飛び級を希望しているらしいんだけど、それも可能かもしれないってね」 「飛び級?」 「まぁ、一年短縮くらいだけど。なにか急いで医者になりたい理由でもあるのかな」 「……へぇ」  彰の話をしているうちに、比較的空いていた道のおかげで二人は植物園の前に到着した。まだまだ明るい時間帯であり、ちょうど帰宅中の学生たちがちらほらと北山駅の方へと吸い込まれていく。  二人は植物園の向かいにあるイタリアンの店に入ると、各々注文して一息つく。健介は制服姿の珠生をしげしげと眺めつつ、水を飲んだ。 「国文学部とは、ちょっと意外だったなぁ」 「そう?」 「お前も理系に来るかと思ってたんだけど」 「きらいじゃないけど……好きでもないから」 「将来、何になりたいんだ?」 「地方公務員」 「堅実だけど、地味だね」 「よく言われるよ」 「まぁ、父さんとしてはモデルになりたいとか言われるよりは安心かな」 「そうだろ?」  パスタが運ばれ、二人はそれぞれに食べ始めた。  昼白色の落ち着いた明かりと、穏やかで静かなジャズの流れるここちの良い空間だ。ゆっくりと青色に色を変えつつある夜空に一番星がきらめくのを、珠生はふと、目にした。 「千秋は、学校の先生になりたいんだそうだ」 「え、そうなの?」  珠生が知らなかった情報を、健介が知っていることに珠生は驚いた。一体いつの間に連絡を取り合っているのだろうか。正月に家族四人で過ごすようになってから、千秋と珠生の密着は減ってきている。千秋も安心して父親に甘えられるようになったらしい。 「でも、しっくりするね」 「そうだね、千秋は元気だから向いてるだろうな」  健介はにっこり笑ってそう言った。その笑った顔が鏡の中自分のものとよく似ていることに、珠生はふと気がついた。 父親も、かつては女性に好まれる容姿をしていたのだろうかと、珠生はちらりと考えた。  その時、入口のほうが賑やかになり、数名の大学生らしき男女が入ってくる気配があった。ちらりと目の端に映るのは、小柄な女性が一人と男が二人。店内に入ってくるその三人にふと目をやった珠生の目が丸くなる。  舜平と屋代拓、そして見慣れない女子学生がそこにいた。びっくりした珠生は、なんとなく見つからない方がいいのではという思いが先走り、気配を消してゆっくりと顔を伏せる。  しかし、目立つ珠生が気付かれないはずがない。しかもその向かいにいるのは、彼らの指導教官なのだ。背中を向けていても分かる。 「あれ……珠生くんと、先生じゃないですか」 と、拓が一番に二人に気づいた。ぱっと顔を向けた舜平も、目を丸くする。 「おお、君たちか。まだいたの?」 「いましたよ。てか、いつも最後まで先生といるじゃないですか」 と、拓は慣れた調子でそう言った。 「え、この子が……息子さん? やだ、めっちゃかわいい!」 と、一緒にいた女子大生が黄色い声を出す。健介は照れたように笑って、「息子の珠生。守矢さんは初めてだったね」と紹介する。 「初めてやけど……あれ、どこかで見たような……」  守矢遊花は、二年前のクリスマスの晩、舜平と追いかけっこをしでかした珠生をちらりと見ているのだ。しかしそれは一瞬のことであったため、覚えてはいない様子である。 「テーブルくっつけてもいいですか?ね、せっかくやし」 と、拓は許可を得る前にすでにテーブルをくっつけ始めている。二人がけの席に座っていた珠生達の隣の四人がけのテーブルを動かして、三人は着席した。  舜平は健介の隣に座り、遊花はすかさず珠生の横に座り、その隣に拓が座った。舜平はどういう顔をしたらいいのかわからないのか、言葉少なに注文を終えて水をぐいぐいと飲んでいた。 「あ、僕らもう食べ終わるところなんだけど……まぁいいか。珠生、デザート食べる?」 「えっ? あ、うん……」 と、健介がようやく苦笑しながらそう言った。珠生は食べ終えたばかりのパスタ皿の端に、スプーンとフォークを寄せる。 「ところで相田くんは、あれから方向性は落ち着いたのかな?」 「え。今しますか、その話」  話題に窮したのだろう。健介は突然隣に座る舜平にそんな話題を振って、舜平をぎょっとさせている。 「まぁ……あれからもう一回データ整理しなおして、別の解析かけてみてたんですけど……」  何やら難しげな話をしている舜平の顔を、珠生は物珍しげに見ていた。健介と真面目な顔で話をしている舜平の表情は真剣で、頷きながら聞いている健介は、なんだか立派に先生に見えた。 「珠生くん、相田さんと仲いいんだってね」 と、遊花がそんなことを言った。 「相田さん? ああ……舜平さんのこと……」 「守矢さんはいっこ下やねん。舜平のファンや」 と、拓が横から説明をする。 「ファン? へぇ、そうなんだ」 「やっだぁ! 拓さん、そんな事言わないでくださいよ」  照れ笑いの遊花に、バシバシと肩を叩かれ、拓が痛そうな顔をする。 「おい、珠生……くんに変なこと吹きこむな」 と、話が一段落したらしい舜平がそう言った。  「別にええやん」 と、拓。 「あはははっ、若いっていいな」 と、健介も呑気に笑っている。  結局三人が食べ終わるまで、珠生と健介はその場から立つことを許されないほどの質問攻めにあい、親子関係のすべてをさらけ出すほどであった。健介は三者面談に行くという些細な事も嬉しかったらしく、遊花や拓の質問に目尻を下げて答えるものだから、珠生の進路のことなど、大体のことが知れてしまった。 「頭いいんやねぇ、珠生くん、すごい」 と、遊花も感心しながら目を輝かせる。舜平のファンなのではなかったのかと、珠生は不思議に思った。 「おい、そろそろ戻ろうや。ご迷惑やろ」  舜平が伝票をつかみ、拓を促して席を立とうとすると、健介がそれを遮った。 「まぁまぁ、ここは僕が払うよ。君たちも頭使って疲れたろ?」 「やったあ。先生、ごちそうさまです!」 と、あっさり遊花は健介に向かって合掌する。 「いえ、いいですよ。せっかくの親子の時間邪魔してもて……」 と、舜平は律儀に断っている。 「いいよいいよ、君もスランプでつらかったろう?」 「いやでも……」 「じゃあ、珠生のこと家まで送ってやってくれる?」  交換条件とばかりに、健介が舜平にそう言った。珠生と舜平は目を見合わせる。 「え。俺はいいよ。近いし……」 「まぁ、いいじゃないか。近いといってもひと駅分くらいあるし……」 「俺はかまいませんよ。今日はもう、帰ろうと思ってたから」 と、舜平は言った。 「あ、いいなぁ、うちも乗せてくださいよ」 と、遊花。 「守矢さんはチャリやろ」 と、舜平はにべもない。拓は笑って、「最近はっきりした態度になってきたな」と言った。 「それなら頼むよ。父さん、またちょっと遅くなっちゃうかもしれないからさ」 「父さんだって、先生可愛い」 と、遊花は誰にでも調子がいいようだ。 「……じゃあ」  珠生が頷くと、健介も満足気に笑って立ち上がった。  自転車の遊花と、地下鉄に乗る拓がその場で帰っていった。珠生と健介、そして舜平はぶらぶらと大学への道を戻りながら、少し涼しくなった風に表情を緩める。 「しかし珠生がこっちへ来たばかりの頃から、君には世話をかけてるねぇ」 と、健介はにこにこ笑いながら舜平にそう言った。 「いいえ……」 「聞けば、湊くんや斎木くんとも友達になったそうだね。いやぁ、面白いな」 「ええ、まぁ……みんなええ子ですからね」  舜平はそつなく笑顔でそう言いながら、ちらりと珠生を見た。珠生は笑いを堪えるような顔で舜平を見上げている。  健介が一人研究室の方へ消えていくのを見送って二人になると、たまりかねたように珠生が吹き出した。腹を抱えて笑っている珠生を、舜平は仏頂面で見下ろす。 「おい、何で笑ってんねん」 「いや、なんか……あははははっ」 「腹立つな、なんや」 「だってさ、急に真面目になっちゃって、もう可笑しくて……!」 「そらそうやろ、先生やぞ」 「今更珠生くんとか言われたら、笑っちゃうよ。あははは」  舜平は尚も渋い顔で珠生を見ていたが、ため息をついて駐車場の方へと歩き出した。慌てて珠生は追いかける。 「ったくお前は」 「ごめんごめん。でもよかったね、論文」 「ああ、まあな」 「旅行のおかげ?」 「うーん、まぁ、そういうことにしとくか」 「あれから悠さんから連絡ないんだけど、元気かな」 「そうなん? 俺も知らんな」 「ふうん」  舜平は車に乗り込んでエンジンを掛けると、窓をすべて開けた。少し湿った風が、車内を吹き抜けていく。 「二人になるのも、久し振りだね」 「ああ、そうやな」 「忙しそうだもんな」 「まぁな……論文と試験と……はぁ、憂鬱や」 「珍しいね、ポジティブな舜平さんがそんな事言うの」 「そうか? 俺は別にポジティブちゃうし……って、まぁお前に比べりゃポジティブか」 「五月蝿いなぁ」  ふくれっ面をする珠生を見て、舜平は笑った。夕闇に染まり始めた街を何の気なしに眺めながら、舜平は窓枠に頬杖をついて片手でハンドルを操作している。帰宅時間であるため車はそこそこに多く、道路は混み合っていた。音は絞ってあるものの、カーステレオから流れてくるのは珍しく喧しい音楽だ。 「なぁ……お前、琵琶湖見たことあるか?」  ふと、舜平は淡々と珠生に尋ねた。 「滋賀県の? ううん、ないよ」 「今から見に行くか?」 「え、今から? 遠くない?」 「こっからなら……比叡山超えりゃ三十分くらいで着く」 「そうなんだ。じゃあ見たいな」 「よっしゃ」  舜平は急に表情を明るくして、姿勢を正した。 「なんで急に琵琶湖なの?」 「ほんまは海が見たいけど、近くにないからな」 「海か……」 「ちょいドライブしたい気分やねん。付き合えよ」 「しょうがないなぁ」  深い群青色の空を眺めながら、二人は琵琶湖へと向かうことになった。  

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