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二十六、花火へ向かう人々
戸部百合子は、母親に着付けをしてもらったあと、自分で髪の毛を結いあげていた。娘が楽しげにめかしこんでいる様子を眺めながら、母親は皿を洗っている。
「えらい今年は気合入ってるやん」
と、背後から声をかけられ、コサージュの位置に迷いながら百合子は振り返った。
「そお?」
「いつもは結構めんどくさそうに出かけていくくせに」
「そうかなぁ。あ、でもな。今年はちょっとおもろいことが起こりそうやねん」
百合子は母親に珠生と亜樹のことを話して聞かせる。母親は手を休めることなく、楽しげに百合子の話を聞いていた。
「ああ、亜樹ちゃんってたまにうちに来るあの子やろ? へぇ、ストイックな感じの子やったけど、そういうことにも興味出てきてんなぁ」
「そうやねん。でもやっぱり、ちょっと背中押したらなあかんかなと思ってさ」
「ま、あんまり出歯亀したらあかんで」
「はいはい」
「湊くんは迎えに来るん?」
「行きは京都駅で待ち合わせやねん」
「そっか。あんまり遅くならんといてよ」
「はーい」
百合子は気のない返事をしてから、いい位置に収まったコサージュに満足気な笑顔を浮かべる。
――亜樹のやつ、ちゃんとお洒落してくるかな。沖野くんと、どんな顔で並んで歩くんやろう……。
そんな事を考えているだけで、百合子はわくわくしてきた。自分の恋愛が落ち着いているときは、人の恋愛事情が気になってしかたがないものである。
百合子は荷物をまとめて籠に放り込むと、ようやく暮れかけてきた空を見上げてから、家を出た。
+
宇治川の花火大会へと向かう人の群れで、京都駅は混雑していた。
浴衣姿の男女や、家族連れ、外国人観光客……皆が楽しげな表情で駅構内を行き交う。もうすぐお盆ということもあり、大きな荷物を持って歩く若者たちも目立つ中、湊は中央改札口の前に立っていた。
待ち合わせは十八時であるが、時刻はまだ十七時四五分である。湊は基本的に十五分前行動をしているため、彼にとってはいつも通りの行動だ。
たいてい人と待ち合わせをしていると、やっぱり遅れる等の連絡が入ってくるのが常であるが、今日は誰も何も言ってこない。湊はこざっぱりとした白いポロシャツと色の濃いジーンズというシンプルないでたちで、腕組みをして三人を待っていた。
「あれ、湊。早いね」
珠生がやってきた。白いTシャツの下に着た淡いオレンジ色のタンクトップの裾をちらりと覗かせ、ベージュのチノパンという涼しげな格好でうちわを持っている。珍しく黒い草履のサンダル履きの珠生の白い足に、何となく目が行く。
「おう。お前も早いやん」
「混んでるかなぁと思ってさ」
「ええ判断やな。うちわ、えらい可愛いの持ってるやん」
「そこで配ってたんだ」
水色地に白い水玉模様の、可愛らしいうちわで顔を扇ぎながら、珠生は笑う。少し短めに髪を切った珠生は、今日はえらく爽やかである。
「すごいなぁ、みんな花火大会とか行くんだなあ」
今からそこへ行こうというのに、まるで他人ごとのように珠生はそう言った。
「日本人はみんな花火が好きやろ」
「うん、俺もまぁ好きだけどさ。どうしてもあの人ごみを思うとねぇ」
「年寄りか」
「五月蝿いなぁ、もう。あれ、湊は浴衣着てくるかと思った」
「人ごみが鬱陶しいから、こういう時は着いひんねん」
「ふーん」
二人がそんな話をしている間に、百合子がやってきた。涼し気な白地の浴衣に、青い桔梗の描かれた大人っぽい浴衣姿に、湊は思わず息を呑む。
「二人共、早いやん」
にっこり笑って、きらりと光るビーズの揺れる白い花飾りを髪に飾った百合子は、高校生とは思えないほどに大人びて見えた。今更ながらに、こんな美人と自分がどうして付き合うことになったのかと不思議になる。
「わあ、戸部さん。すごくきれいだ」
最近人を褒める事を憚らない珠生が、すぐさまそう言って微笑んだ。百合子は微笑んで、珠生の肩をつんと指先でつつく。
「沖野くんみたいな美少年に言われると、照れるわぁ」
「いやいや、何いってんだか」
きゃいきゃいと軽いのりの二人を見下ろしながら、湊は言葉が見つからないまま黙っていた。百合子はそんな湊を見上げて、いたずらっぽく微笑む。
「あれ、湊。照れてる?」
「……照れてへん」
「もう、口下手で困るわぁ」
と、百合子は笑いながら湊の腕に触れた。湊はやや赤面して、ぐいと眼鏡を押し上げる。
そんな反応をする湊が珍しくて、珠生は思わず笑ってしまった。なんだかくすぐったい思いがした。
「なに笑ってんねん」
憮然とした湊が、珠生をちらりと睨んだ。珠生はうちわで顔を半分隠しながら、
「別に」
とだけ言った。
「仲いいんだなぁ、二人って」
と、珠生は改めて、感情の見えにくい湊とうまく付き合っている様子の百合子を見てそう言った。
「表情がわかりにくくて困んねん」
と言うものの、全く困っている様子はなく、百合子はとても幸せそうだ。
学校で見るしっかりものの百合子ではなく、はしゃいだ表情をしている百合子を見ていると、本当に湊が好きなのだということが伝わってくる。珠生は、ああこういうのが恋愛って言うんだろうなぁと、今更ながらに感じ入る。
「あ、亜樹や! こっちこっち!」
百合子が手を振る。彼女はいち早く亜樹に気づいたらしいが、珠生と湊は一体どこに亜樹がいるのか分からなかった。
ふと気づくと、自分たちの前に緋色の浴衣を身にまとった一人の少女が立っていることに気づく。いつも下ろしているぱっつん前髪を上げてすっきりと額を出し、ショートボブの髪を耳にひっかけ、耳の上に小さな白い花を着けた亜樹が、三人の前に立っている。
「あれ、うち遅れた?」
珠生はまじまじと、いつもと様子の違う亜樹を見ていた。きりりとした目元を出し、潔くも鮮やかな緋色の浴衣を身にまとった亜樹は、ぱっと目を引く鮮やかな華やぎがあった。浴衣の柄に合わせた白い花飾りが、ぐっと女らしく見せる。よく見ると、二人の花飾りはよく似ていた。
「……な、なに?」
しげしげと自分を見下ろしている珠生と湊を見て、亜樹は眉間にしわを寄せて睨む。百合子が笑って、そんな亜樹の眉間をつついた。
「もう、前髪ないんやから、眉間に皺寄せたらあかんよ。怖い顔が目立ってんで」
「うそぉ、そんな顔してへんやん」
「うそうそ、亜樹、めっちゃかわいい。ちょっとうちもびっくりしたわぁ」
と、百合子は楽しそうに笑った。
「ちゃんとコサージュもつけてきてんな」
「恥ずかしいけど……せっかく百合のお母さんが作ってくれたって言うから……」
女性陣二人がそんな会話をしている。珠生があいも変わらず、亜樹の全身を眺め回していると、亜樹はもう一度珠生を睨んだ。
「いやらしい目で見るな、あほ」
「見てないだろ」
「見てるやん。さっきからじろじろ……柏木、お前もや」
「……」
湊は何も言わずに眼鏡を上げた。百合子はまた楽しげに笑って、湊の腕に腕を絡ませて改札口の方へと引っ張る。
「ほら行こ、電車来るよ」
百合子に引っ張られて歩き出した湊の後に続くように、珠生と亜樹も並んで歩き出した。
「わ、柏木のやつ、百合と手つないどる。ありえへん、信じられへん」
と、二人が一緒にいる姿を初めて見るらしい亜樹が、ぶつぶつとそんな事を呟いている。珠生は笑った。
「何言ってんの」
「あんな美人があんな眼鏡と付き合うてんのが、まだ信じられへんわ」
「そうかなぁ、お似合いじゃん」
「あんたは百合の素晴らしさを知らんからそんな事が言えんねん」
「素晴らしさ? ふうん、天道さんってほんと戸部さんと仲いいんだね」
「……そりゃ、まあ」
「天道さんも可愛いよ」
「……え?」
一歩先に立って改札に切符を通しながら、珠生がそう言った。亜樹は一瞬、珠生が何を言っているのか分からず、ぽかんとしてしまう。
「浴衣、よく似合ってる」
「……あ、そう……」
人の多い駅の中を歩きながら、珠生はそう言うと少し照れたように微笑んだ。亜樹の顔が、浴衣と同じくらい赤く染まり始める。
珠生はすいとまた前を向いて、歩きながら、付け加える。
「今日だけかもしれないけど」
「……一言多いわ阿呆!」
亜樹はにやついてしまう口元を必死で引き締めながら、精一杯つんとしてそう言った。
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