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三十、深春の孤独

「珠生くん……?」  珠生はふと目を覚ました。ベッドサイドに座り込み、顔を突っ伏したまま眠ってしまったため、背中がぴきぴきと痛む。  ゆっくりと顔を上げると、枕の上から自分を見下ろす深春の黒い目があった。 「なに、やってんの……?」 「……深春?」 「なんで……」 「……目が醒めたんだね」 「何、言ってんだ?」  深春は寝ぼけたような顔のまま、珠生の言葉にのろのろと反応する。何も覚えていないのだろうか。 「あいたたたたた」  身を起こした珠生が情けない声を出していると、深春は不思議そうに珠生を見つめ、起き上がった。 「そこで寝てたのか? なんで?」 「……泣いてたから」 「俺が? なんで?」 「夜顔の意識が、表に出てたんだよ。覚えてない?」 「夜顔が……」 「深春……。ひどい夢を見てるんだろ? 気持ちを整理できていないんじゃないの? ちゃんと話してよ。俺にも……言えないかな」  深春ははっとしたような表情になると、ばつが悪そうに目を伏せた。ぎゅっと唇を噛んでいる様子からも、話をする雰囲気は感じ取れない。珠生がじっとベッドの上の深春を見上げていると、そんな珠生の腕を、深春がぐいと引っ張った。 「うわ、何すんだよ」 「こっちで寝りゃいいじゃん、俺、もう起きるから」 と、珠生をベッドに引きずり上げ、深春は端の方へ体をずらした。二人してベッドの上に座っていると、泣きはらしてやや目元の赤い深春の顔が間近にある。尚も珠生を見ようとしない深春の態度が、悲しかった。 「深春。……寂しいの?」 「え?」  深春がぎょっとしたように、珠生を見た。 「藤之助に会いたいって……ずっと言ってたよ」 「……し、知らねぇよ、そんなの」 「家族が、恋しいの?」 「……俺に……俺に家族なんかいねぇよ!!」  深春は苛立った口調で声を荒げると、珠生をベッドに押し付けて組み敷いた。その動きは早く、珠生はぎりぎりと手首を締め上げる深春の馬鹿力に顔をしかめる。 「……俺には家族なんていねぇんだよ……! 最初っから、そんなもんいねーんだよ!!!」 「深春……」  深春はひどくつらそうな顔をしていた。眉をよせ、歯を食いしばり、涙を堪えているような顔だった。  珠生は、自分の浅はかな発言を悔いる。 「藤之助はこの世にいない。親父だって、俺のこと、探しもしない……。柚子さんや亜樹ちゃんだって、所詮は他人だ」 「……」 「俺は一人だ。どんなに泣いたって、俺は一人なんだよ」 「深春……そんな」 「俺達がいる、なんて言うなよな。俺は、お前らとはやっぱり違うんだ。……昔住んでた世界も、今住んでる世界も、ぜんぜん違うんだよ!!」  ぽた、と深春の目から涙がこぼれて、珠生の頬の上に落ちた。  どうしようもない孤独が、その涙を伝って珠生に流れ込んでくる。それは昔、千珠が青葉に迷い込んだ頃の気持ちと、どこかよく似ていた。  ひとり。この世にたったひとり。  誰ともつながれない恐怖と、不安。  そして、周りの人間達への憎しみと、羨望。  珠生は深春を見上げたまま、身動ぎするのをやめた。 「……珠生くんには家族がいるだろ。舜平だっている……あいつがいりゃ、もうそれで満足なんだろ?」 「……え?」 「何となく分かる。舜平は、珠生くんにとっては特別だって」 「……それは……。けど俺は、深春のことも、」 「……特別、ってか? 俺のことも?」 「そうだよ……!」 「なら俺を、慰めてくれよ」  深春の目が、ぎらりと凶暴に光った。珠生はぞっとして、息を呑む。手首を掴む力が更に強まり、珠生の力でも振りほどけないほどに締めつける指が、手首の骨を軋ませた。 「……痛い、離せ……!」 「抱かせてよ。俺は、夜顔なんだろ? 千珠さまの、大切な大切な同胞なんだろ? なら、お前の身体で、俺の孤独を癒してみろよ!!」 「……っ、あっ!!」  深春はやおら珠生の首筋に歯を立てた。鋭い痛みに、珠生は思わず声を上げる。 「みはるっ……! 何、するんだっ……!」  そこから流れた血を、深春の舌がぺろりと舐めた。獣じみた深春の目が珠生を捉える。ぬるりとした舌の感触に、珠生の身体が総毛立った。 「やめろ……!」 「美味いよ、珠生くん。妖気の混じった濃い血の味……俺と同じだ」 「やめろってば……!」  深春の膝が珠生の脚を開かせる。骨ばった指が珠生の顎を掴み、舌なめずりをする深春の顔が間近に見えた。  次の瞬間には、珠生は唇を塞がれていた。乱暴な行為に珠生は全身で抵抗するが、今の深春の暴力的な力には、抗えないものがあった。 「うんっ……んっ……!」  必死で首をよじって唇を離すが、今度は深春の手がシャツの中に入り込んでくる。脇腹を撫でた手が、そのまま珠生のチノパンの中に差し込まれ、尻を弄ばれる。 「……綺麗な肌だな。男じゃないみたいだ」 「やめ……ろよ!」  深春の指が、珠生の根に触れる。恐怖で萎えたそれを握り込み、深春は細く笑った。 「なぁ、俺のこと、本当に大事なら、やらせてよ」 「……深春……!」 「なぁ、いいだろ……しようよ。俺、寂しいんだ」 「いやだ……! いい加減に……しろ!!」  珠生は渾身の力を振り絞って、被さっている深春の身体を跳ね除けた。それと同時に、珠生の身体から青白い妖気が燃え上がる。  深春ははっとしてベッドから飛び退り、部屋の真ん中に膝をついた。  乱れた服を直しながら、珠生がゆっくりと起き上がる。真っ赤に染まった目に射すくめられ、深春は微動だにできなかった。 「……こんなことをして、何になる」  珠生は立ち上がって、深春にそう言った。深春は何も言わず、珠生を見あげている。 「セックスや、一時の肌の温もりで、お前の孤独がましになるのか? 違うだろ」 「……きれいごと言ってんじゃねーよ。てめぇに何が分かるっていうんだ」 「もっとちゃんと、自分の気持と向き合えよ。そうやって、逃げて、目をそらして……それでどうなる」 「簡単に言ってくれるじゃねぇか。いい家庭でぬくぬく育ったお前がさ」  深春も立ち上がって、珠生を睨みつけた。青黒い妖気が、ゆらりと深春の周りに生まれる。 「そうだよ、俺は平和にここまで育った。深春の気持ちは、想像することしかできない」  きっぱりとそう言い切った珠生に、深春の眉がぴくりと動いた。 「深春はずっとそうやって、普通の人生を送る人間たちと、全く関わらずに行きていこうっていうのか? ずっとそうやって、他人を羨みながら、生きていくの?」 「羨む……だと?」 「俺だって……千珠であった頃の俺は、お前と変わらないくらい、孤独だった。一族を殺した人間が憎かった!! 俺を孤独にした人間を、殺したいって思ってた!! ……でも、俺を救ったのもまた、人間だ。鬼である俺に、手を差し伸べてくれた。最初は、その手を煩わしいとさえ思ったよ。でも……」  珠生ははっとしたように口を閉じた。一瞬、自分が珠生なのか千珠なのか、分からなくなったからだ。  深春は複雑な表情を浮かべて、そんな珠生をじっと見上げている。 「……深春には……自分の人生をちゃんと生きて欲しいんだ。新しくできた居場所に、まだまだ心を許しきれないのは分かるよ。でも……もっと、誰かを頼るってことを、して欲しいんだ……」  そう訴える珠生の声に、深春はびくりと肩を揺らした。必死の形相で、珠生は深春に思いを伝えようとしている。珠生は少し息を乱しながら、続けた。 「深春が新しい人生を歩めるように、俺達はできることをしたいと思ってる。でも……お前が心を閉じてしまってたら、俺達は何にもできないんだよ」 「……」 「お願いだから、意固地にならないで。お願いだから、何もかもひとりで抱えるのはやめて欲しい」  珠生の大きく美しい目が、涙で揺れながら深春を見据えている。こんな時なのに、深春は何と綺麗な目をしているのかと感心してしまう。  顔を赤くして必死に訴える珠生の言葉や想いが、乾いた砂に水が染み込むように、深春の胸に入り込んでくる。  深春が握りしめていた拳を緩めると、青黒い妖気がすうっと消えた。 「……珠生くん」  深春はうなだれて、その場に膝をついた。珠生が近寄ると、深春は珠生の胸にぎゅっと抱きついてきた。 「……今、俺はこんなにも平和で、満ち足りた生活をしてるのに……夢の中では、恐怖に煽られて、たくさんの人を殺すんだ。暗い洞窟の中で飢えて、寒くて、寂しくて……人が憎くて憎くて……でも、人が恋しくて……!!」 「うん……」 「どっちが現実かわからなくなるんだ。本当は、こっちが夢なんじゃないかって。あの暗がりの中で見ていた、ただの夢なんじゃないかって。目覚めれば、俺はまたひとりきり。あの暗くて寒い、海の洞窟の中に一人ぼっち。もう……嫌だ! こんなの……! やだよ……!!」 「……うん」 「藤之助だけを、夢の中で探してる。俺のこと、家族だって言ってくれた藤之助に会いたくて……ずっと探してるのに、どこにもいない。俺……何なんだろう。俺は、どうしてここにいるの? なんで俺は、転生したの?」 「……」 「珠生くん、教えてくれよ……!! 俺、どうしたらいいんだよ……!」  鳴き声でそう訴える深春の肩をしっかりと抱きしめながら、珠生は深春の頭を撫でた。全身を震わせて咽び泣く深春のことを、珠生はずっと抱きしめていた。  そして、少し呼吸が落ち着いてきた頃。珠生は少し深春から身体を離し、しっかりとその目を見つめて話をした。 「……以前、藤原さんに言われたことがあるんだ。転生する者には、今世で為すべき仕事があるって」 「仕事……?」 「俺達は、十六夜結界を張るために蘇った魂だ。深春にも、きっと何か役割があるはずだ」 「……でも俺……別に何も……」 「今は分からなくても、きっと、その役割が深春の肩に掛かってくる時が来るんだよ」 「……そうなのかな」 「その時のために、今は身体を休めて、力をつけるときなんだと思う」 「……そうなのかな」 「俺はそう思うよ。……お前は織部深春だよ、お前の住む世界はここなんだ。俺達と一緒に、生きてる世界」  珠生は深春を見つめて微笑んだ。 「……寂しい時は、寂しいって言って欲しい」 「……そしたら、俺とエッチしてくれんの?」 「それはないけど」  珠生を見上げていた深春が、軽口を叩いてふっと笑った。久しぶりに見た深春の笑顔に、珠生も少し気が軽くなる。 「別に俺としたいわけじゃないだろ。そういう大切な行為ってのは、本当に好きな女の人ができるまで、とっときなさい」 「……大切な行為ね」  深春はあぐらをかき、珠生の腰を掴んだままその顔を見上げていた。静かな海のように凪いだ珠生の目を見つめていると、徐々に心が落ち着いてくる。 「珠生くんは、俺の回りにいる女どもよりずっときれいだからな」 「まぁ、そうかもしれないけど」  しれっとそんなことを言う珠生に、深春は思わず吹き出した。 「ほんっとすげぇな、その自信。清々しいわ」  珠生は深春の肩に両手を置いて、微笑んだ。その笑顔の美しさに、深春は思わず赤面する。  立ち上がった珠生は、うーんと伸びをしてベッドに座り込んだ。 「おなか空いたね」 「あ、うん……そういえば」 「柚子さん、もう起きてるかな」 「まだ五時だぜ」 「じゃあ俺がなにか作ってあげるよ」 「まじで? 珠生くんの飯、久しぶりだな」 「行こう」  珠生に促され、深春は立ち上がった。  空腹を感じると同時に、急にこの世界が現実味を帯びてくる。  ――……俺って意外と単純だな……と、深春はふと思った。  先に立って階段を降りていく珠生の背を追いながら、深春は少しだけ微笑んだ。

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