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三十二、あの日の写真
その日、舜平は北崎悠一郎に飲みに誘われていた。珍しく悠一郎の実家で飲もうということになり、一夜の宿を気にせずに済むため、舜平は身軽にやってきた。
舜平の実家は山手にあるが、悠一郎の実家はもう少し市街地に近い。すでに飲み物や食べ物は用意してあると言っていたため、舜平は簡単なつまみを差し入れる程度にすることにした。
「おう、まあ上がれ」
悠一郎の実家は、古いがかなりの広さのある一軒家だ。舜平たちがまだ高校生の頃は、この家にも悠一郎の祖母がいたはずだったが、今はその気配がないことに舜平は気づく。
「あれ、お祖母ちゃん、いいひんの?」
「ああ。二年前に亡くなったんや」
「せやったんや」
「うん。朝起きたら、冷たくなってはってな。眠りながら逝くなんて、最高やなって言っててん」
「そっか……」
「うちの両親、今日は旅行でいいひんから、好きに過ごしてくれ」
「そらどうも」
悠一郎の部屋ではなく、今夜は居間で酒を飲み交わすことになった。十帖間にどっしりとした木の机が鎮座しており、その上にはすでに料理や酒が並んでいる。
「おお、うまそうやな」
「今日俺、休みやったからさ。たまには料理でもしようかと思って」
「へぇ、やるやん」
二人はすぐに瓶ビールを空けて、近況を報告し合った。舜平は、卒業論文の提出まであと三ヶ月を切り、いよいよ皆の眼の色が険しくなってきていると話した。また、悠一郎の方の卒業制作の出来を心配していた舜平は、その話を振る。
「ああ、あれね」
悠一郎はにやりと笑って、テレビ台の上に置いてあったパソコンを取り上げ、ラップトップを開いた。
「まだ焼いてないから、データやけど。お前にもこないだは世話んなったから、今夜の宴会はその礼や」
「あ、そうなん? どれどれ……」
パソコンの画面に映し出された珠生の画像を、舜平はしげしげと見つめた。
そこには、滝のそばで珠生一人を撮影したものが二枚、映しだされている。光に溶けこむような裸体の珠生は、まるで絵のように美しい。その光にも負けない大きく美しい目が、まっすぐにこちらを見ていた。その目に吸い込まれそうになるくらい、透明な瞳だった。
「……きれいやな」
「そうやろ。次はこれ」
画面が切り替わり、草の中に寝転ぶ珠生の画像だ。肌に浮かぶ水滴にフォーカスを当てているものや、青々とした草にフォーカスをあて、珠生が空を見上げる横顔がふわりと柔らかい線で描いているものが並んでいる。
すぐに画面が変わり、今度は浴衣を着た舜平に覆いかぶさられている珠生の画像が出てくる。舜平は少し、身を引いた。
「あ」
「お前や」
「なんや、恥ずかしいな。顔が見えてなくても」
「こんくらいで照れてちゃ、お前はモデル業は無理やな」
と、悠一郎は笑った。
舜平の姿といえば、腕と顎から胸にかけての線しか見えていないのだが、舜平を見上げている珠生の姿は、ただそれだけで官能的だった。
その次の画像では、珠生は目を閉じて舜平の唇を受け入れようという表情を見せている。ぱたりと置かれた珠生の手首や草むらの小さな花が画面のほとんどを占めており、珠生と舜平の横顔は画面の上部にだけ見えているような状態だ。キスシーンをメインにするのではなく、あくまでも自然をメインにしていた悠一郎の作風にはぴたりとくるものであった。
舜平はしげしげと写真を見つめていた。眼を閉じ、うっすらと唇を開いて舜平を待っているような珠生は、なんとも言えないほどに妖艶で美しい。舜平の健康的な肌色と、珠生の抜けるような肌の白さという対比も、こうしてみると絵になるものだと舜平は思った。
急に言葉を無くした舜平を見て、悠一郎は笑った。
「……見とれすぎやろ」
「う、五月蝿い。しかしお前、ほんまにきれいに撮ったんやな。あの時は、ただウロウロしとるだけに見えたけど」
「まぁいっぱい撮ったから。お前の顔もバッチリ入っとる写真、あげよか?」
「いらん」
「そうか? なかなかにお前もええ顔しとったけどな」
「消しとけよ」
「へいへい」
悠一郎はパソコンを閉じて、ぐいとビールを煽った。美味そうに息をつくと、「おかげでええ絵が撮れたわ」と言った。
「そらよかったな」
「もう少し微調整して、展示のやり方なんかを考えて……そしたら完成、またクリスマスに展示するから見に来てや」
「……その頃には、俺の卒論も終わってるか」
「ああ、もうちょいやな、お互い」
「うん」
二人はめいめい何やら考え事をしながら、淡々と酒を飲み、つまみを食べた。音を小さくして点けてあるテレビからは、気づけば洋画が始まっていた。
「なぁ、舜平」
「ん?」
「あのさ……お前らって、あの、その……」
「何やねん、気持ち悪い」
もじもじと何やら言いにくそうにしている悠一郎を見て、舜平は眉を寄せる。
「あのさ……お前、珠生くんと、セ、セセセ……セセっ、セックスとか、するわけ?」
「……は?」
悠一郎は目を泳がせながらぱちぱちと瞬きを繰り返しつつ、ちらりと舜平を見た。
「いや、二人の絡み、慣れてんなぁて思っててん。珠生くんも、お前に触られるのも何されるのも、全然抵抗無さそうやったし、お前かて……」
「ああ、まぁ。そうやったかもな」
「ふつうもっと、腕をどうしましょうとか顔の位置をどうしましょうとか、そういうやりとりあんねんけどな。ほんまに二人は自然やったし、なんかその……妖しいというかなんというか。付き合ってるのは分かってんねんけど、実際、そういうとこどうなんやろうって、写真整理してて思ってさ……」
「……なるほど」
「あ、でも、こんな突っ込んだ話、プライバシーに関わることだし、言いたくなかったら別に……」
「いやまぁ……別にええけど」
舜平は悠一郎の震える手で注がれた日本酒を見下ろしながら、その透明な液体の中に揺れる光を見ていた。
「……セックス、してる」
「え?」
「俺、珠生とは……するで」
「あ、やっぱ、ほんまにそうなん?」
悠一郎は酔っ払って赤い顔をさらに赤くして、ははぁと頷きながら日本酒を舐める。興味津々に畳み掛けてこられるかと思っていた舜平であったが、なにやら考えこんでしまっているような悠一郎に、逆に戸惑う。
「それはその……やっぱ、気持ちいいん?」
「うん、そうやな」
「珠生くんも、そうなん?」
「そうらしい」
「ふうん……ほんまにそんな事あるんやな」
「うん……」
「心も体も、つながってるんやな、お前らは」
悠一郎はしみじみと何か考えこむような顔をして、ちびちびと日本酒を飲んでいる。何の否定もしない悠一郎を前にしていると、前世からのことを洗いざらい聞いて欲しくなってしまう。
話したところで、にわかに信じられる話ではないだろうが。
「お前はどうやねん。彼女、いいひんのか?」
話題を変えようと、舜平は努めて明るい顔をして悠一郎に問うた。悠一郎ははたと顔を上げると、苦笑する。
「ほんまに余裕なくて、そんな子いいひんわ。大学一回の頃、ちらっと付き合った子がおっただけやから、かれこれ三年もいいひんなぁ。やばい、枯れてしまう」
「枯れるて、大丈夫やろ。まだ若いんやし、仕事に慣れて脂が乗ってきたらモテ期くるんちゃう?だってお前、カメラマンやねんから。かっこええやん」
「そう? カメラマンか、いい響きだよな」
「そうやで。一般人はなられへんねんで?」
「まぁね」
悠一郎はちょっと嬉しそうな顔をして、くいっと日本酒を飲んだ。
「せや、明桜の文化祭行った時、珠生くんの友達の写真撮ったやん、あれ現像できてるから渡してあげてくれる?」
「おお、ええよ」
ドサリと渡された写真の山に、舜平は目を丸くした。見れば、映っている生徒のぶんまで枚数分用意してあるようだ。きちんと輪ゴムで留めてあるマメさに感心する。
一番上にあるのは、湊の写真だった。そっけない顔をして、太いフレームの眼鏡を指で押し上げている様子を見て、舜平は笑った。湊の分だけ輪ゴムを外してぺらぺらとめくってみる。楽しげに笑っている高校生たちの若々しいエネルギーが微笑ましかった。
その下には、珠生が三谷詩乃という女子生徒と写っている写真がある。こうして女性と並んでいると、珠生もしっかり男子高校生に見えるものだと思った。
悠一郎の作品として写っているのとは全く違う。高校生らしい表情は爽やかで、隣に立っている可憐な女子高生ともよく似合っていた。
「……学校ではこんな顔してんのか、あいつ」
思わずそう呟いた舜平に、悠一郎は微笑んだ。
「ま、たしかにお前とおる時とはちょっと違ったな。なんにせよ、文句なしの美少年や。将来が楽しみやな」
「将来、か。将来って、どんな感じなんやろ……」
悠一郎は興味津々という顔で、舜平のグラスにまた日本酒を注いだ。気づけば、二本目の瓶も空いている。悠一郎はごそごそと、テレビの横のサイドボードから今度はウイスキーを取り出して、氷を取ってきた。
「お前と、珠生くんとの将来か?」
と、悠一郎は尋ねた。
「……そうやな。あいつ以外、考えられへんし」
「そか。ええなぁ……愛やなぁ……うん」
しみじみつぶやく悠一郎に苦笑しつつ、舜平は日本酒をくいっと空けて、ふうと息をついた。だいぶ酔ってきているのが分かる。顔が熱く、脳みそもぼんやりとしてきた。しかしそうでもないと、こんな話はできない。
「かわいいもんなぁ……珠生くん」
「おい、前から言おうと思っててんけど。お前、俺の珠生に手ぇ出すなよ。俺に断りもなくあっちこっち撮影に連れ回しよって」
「手? 手なんか出してへんやん〜。そらあの子は綺麗やけどさぁ、綺麗過ぎて珠生くんには触れられへんっていうか〜……」
「そーやろ? 綺麗やねんなぁ、俺もな、たまに俺みたいなんが相手でええんやろかって思うねんなー……」
「うん、せやな。舜平にはもったいないわ」
「何やともっぺん言ってみろやコラァ!」
「おげぇぇぇ! 冗談やって! 首絞めんなアホ!! アホ!!」
酔っ払い二人は、夜が更けるまで、そうしてくだらないことで軽口を叩き合い、笑いながら盃を交わしていた。
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