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三十三、会議

 あの日から数日、再び落ち着きを取り戻した深春を見ながら、亜樹は朝食を取っていた。  結局、あの日珠生は何があったかを教えてくれることはなかった。ただ、のんびり深春と朝食を取りながら亜樹と柚子が起きだすのを待っていたのである。  珠生はその時、玄関先まで送りに出た亜樹に「また話す」とだけ言い残して帰っていった。  何かを深く考えているような珠生の真剣な眼差しを見ていると、花火で近寄ったはずの距離が、また大きく開いてしまったように感じて、亜樹は少しさみしかった。  しかし、深春が落ち着いたことをまずは喜ぶべきだと自分に言い聞かせ、亜樹はなんとか自分の心を収めようとした。 「何?」  深春が顔を上げ、パンくずを唇の端にくっつけたまま、亜樹を見た。亜樹はため息をつき、「パンくず、着いてる」と言った。 「ああ」  深春はすぐにぺろりと舌を伸ばしてパンくずを舐め取ると、ぐびぐびと牛乳を飲む。あっけないくらい、いつもどおりの深春を眺めながら、亜樹は自分のパンも平らげる。 「今日も補習?」 「うん、まぁな」 「このくそ暑いのに大変やな」 「まぁな。まぁ俺、勉強できねぇし、しょうがねぇよ。サボると珠生くんに怒られるし」  制服を着た深春が、時計を見ていそいそと立ち上がる。亜樹はそんな深春を見送って、軽く手を振った。 「深春ちゃん、行ってらっしゃい」  弁当を渡しながら、いつもと変わらぬ笑顔で柚子が深春を送り出す。深春は少し照れたように顔を歪めると、「おう」とだけ言って家を出て行く。  昨晩、珠生から届いていたメールを思い出す。  今日の昼間、藤原が京都にいる間に、深春の様子を伝えたいので集まって欲しいという旨のメールだった。  亜樹は立ち上がり、山のように出された宿題を片付けてから出かけようと、部屋へ戻った。    +  八月も後半だが、相変わらず溶けるような暑さだ。そんな中、快適に空調の効いたグランヴィアホテルの藤原の部屋には、珠生、湊、彰、舜平、亜樹が集まっている。葉山は仕事中で不在であるとのことであった。  珠生から語られた深春の状態を聞いて、皆がじっと真面目な顔になる。藤原は両手を机の上に組み、そこに顔を寄せたまま、じっと目を伏せていた。  彰も舜平も、どこか心配そうな表情のまま、珠生が話をするのを見つめている。亜樹も、斜向かいに座った珠生の顔をじっと見つめながら、どことなく不安な顔をしている。湊はいつものように、淡々と落ち着いた面持ちのままだ。 「……そうか。藤之助にね……」 と、藤原が重々しい口調で呟く。 「今のところ、藤之助様が蘇っているような気配はないしねぇ……」 と、彰。 「あんな事言ってしまって、やっぱ良くなかったかな」 と、珠生がまた心配そうな顔をするのを見て、藤原が微笑んだ。 「いいや。そうでも言ってくれないと、あの子は落ち着かなかっただろう。今現実を突きつけてしまうのは、少し違う気がするし」 「はぁ……」 「それより、よく彼を止めてくれた。ありがとう」 「いいえ、俺、必死で……」 「それに、確かに夜顔の魂が蘇るということには、こちらとしても疑問を持っていたところだが。珠生くんの言うように、まだやり残した仕事があるのかもしれないな」  藤原は背もたれにもたれて、天井を見あげた。 「今は特にこれといった予兆はないが……覚えているかい? あの水無瀬紗夜香さんの母親が、北陸に一人で戻ったという話」  水無瀬紗夜香とは、能登の払い人の血を受け継ぐ女子高生のことである。  珠生は頷いて、あの少女のことを思い出した。 「ずっと探させているんだが、見つからないんだ。とても嫌な予感がする。あそこには雷燕の封印もあるし」 「……ですね」 と、舜平。 「考えだすとキリがないが、今は動きようがないんだ。何かあったらすぐに知らせるよ」 と、藤原は不安げな皆を安心させるように微笑んでみせる。 「そうですね。ひとまず深春も落ち着いたことだし、今後はマメに様子を見に行くということにしましょう」 と、彰がまとめる。  珠生はため息をついて、亜樹を見た。 「俺、またそっちにご飯食べに行こうかな」 「あ、うん……分かった。柚さんに言っとく」 「湊も来るだろ?」 「うん、そうするわ」 と、湊も頷いた。 「俺、来週会うで。深春に」 と、舜平。どことなく浮かない顔の高校生たちが舜平を見ると、舜平は笑ってみせた。 「ちょいドライブでも連れてったろかなと思ってな」 「へぇ、おもしろそうやな」 と、湊。 「お前も来る?」 「うーん、せやなぁ」 と、湊が考えていると、彰がちらりと口を挟む。 「毎年恒例、高校三年生いじめの山積み課題は済んだのかな? 受験がないからといって、生徒諸君が気を抜かないようにと課せられた、あの地獄のような課題は終わったのかい?」 「……う」  湊は眉を寄せ、ぐいと眼鏡を押し上げた。百合子と過ごす時間が増えていたため、課題にはほとんど手がついていないのだった。 「……今、何月何日?」 と、珠生。 「八月二十日や」 と、亜樹。 「夏休み終了まであと一週間か……やばいな」 と、湊。 「何、君たちそんなに勉強してなかったの?」 と、彰が呆れたようにそう言った。 「やっぱり僕が見張ってないと駄目なのかな?」  三人は重苦しい顔で目を見合わせると、ため息をついた。藤原が笑い出す。 「ま、まずは君たちの本業を片付けてくれたまえ。こっちのことは私に任せて」 「はい……」  三人が揃って肩を落とし、同時に返事をするのをみて、舜平も笑った。 「珍しいな、湊はきっちりしてんのに」 「柏木は彼女とばっかり遊んで浮かれてるから、学業がおろそかになってんねんで」 と、亜樹が舜平の腕をつつきつつ、にやにやと笑いながらそう言った。 「ほう、お前もそんな高校生らしい行動がとれるんやな」 と、舜平もにやりとする。 「喧しい。お前かて、課題済んでへんねやろ?」 と、湊が眼鏡を光らせながら亜樹を睨んだ。 「うちはあと一割くらいやもん。すぐ終わるわ」 と、亜樹はつんとしてそう言った。 「……くそ、見とれよ。珠生は? もう終わってるとか?」  今度は珠生の方を二人が見た。珠生は目を瞬かせ、首をひねった。 「うーん……盆に千葉に帰ったりしてたから、あんまりできてなかったような……」 「おいお前、大丈夫か。あの量、なめてたらあかんで」 と、湊が言う。 「うん……今夜から頑張る」 「どうせ深春のことばかり考えてたんじゃないの?」 と、彰が紅茶を飲みながらそう言うと、珠生は苦笑した。 「それもあります」 「優しいのはいいけど、やるべきこともやらなきゃ駄目だよ」 「はい、すいません」  彰に釘を差され、珠生は首を引っ込めて情けない顔をした。亜樹が珠生のそんな顔を見て笑うと、「手伝ったろか?」と言った。珠生はむっとした顔を亜樹に見せて、「いいよ。どうせばかにするくせに」と言う。 「人の善意をそんなふうに言うとかありえへん。後悔すんで」 と、亜樹はなおもにやにやとしている。 「……五月蝿いなぁもう。大丈夫だって」 「俺が終わったら手伝ったるわ」 と、湊。 「ありがとう、頼りにしてるよ」 と、珠生が即座にそう言うものだから、亜樹が目を吊り上げる。 「おい、その態度の差は何やねん! 言っとくけど、うちのほうが早く終わんねんで!」 「だって天道さんに勉強見てもらうとか、ありえないだろ。何を言われるやら……」 「あほか、うちの教え方は分かりやすくて評判や」 「どこで?」  疑わしげな珠生の目付きに、亜樹は鼻を鳴らす。 「百合やみすずに聞いてみいや。なぁ、柏木」 「……あぁ、まぁ。女子には定評がある」 と、湊も紅茶を飲みながらそう言った。 「へぇ、意外。じゃ、ほんとににっちもさっちも行かなくなったらお願いするよ」 と、珠生はそんな気は無さそうなそっけない声でそう言う。 「全く信じてへんやろ」 と、亜樹がまた怒り出す。 「はいはい、もう分かったから」  彰が苦笑しながら三人をなだめると、高校生たちは彰を見上げて黙る。  舜平は腕時計を見て立ち上がると、皆に向かってこう言った。 「俺、また大学戻らなあかんねん。お前らも乗ってくか?」 「舜兄も忙しいんやな。ええよ、回り道してたら時間かかるやろ」 と、亜樹が遠慮する。 「うん、俺も大丈夫」 と、珠生と湊も頷いている。 「じゃあ僕を大学まで乗せてってよ。僕もやることがあるんだ」 と、彰が立ち上がる。 「おお、ええよ。ほんなら行こうか」  舜平と彰が出ていってしまってから、藤原もゆっくりと立ち上がった。高校生たちもそれに倣うように立ち上がり、その日は解散となった。

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