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ねじ結び

 おごりだと言うからのこのこ着いてきたファミレスで、テーブルにあった久野(くの)の携帯が震える。 「メッセージ、赤穂(あかほ)先輩から?」  持ち主よりも早くに俺はすかさず画面を覗き込む。 「何勝手に人の携帯見てんだよっ」  向かい合って座った久野は、文句は言うが止める気は特にないようだった。俺は素直に画面の上に出た通知を読む。 「(くれ)って人、怪我したって」 「え?!おい、貸せ!」  久野は急に血相を変え立ち上がり、俺の手から携帯を奪い取ると慌てて先輩に電話を掛けていた。  久野はあの人の事になると、こんなに焦って、真剣になるのかと俺は端然として眺めた。  携帯を握るその手からは、あの糸がここぞとばかりに主張していた。  胸がムカムカする。チリチリする。感情を押し流すみたいに俺は飲みかけのコーラを最後まで喉に流し込んだ。 「大袈裟、わざわざ久野にまで連絡しなくたってー」  右側のこめかみから額にかけて呉の顔には痛々しく大きな白いガーゼが貼られていた。少しの間動かないように言われたらしく、処置室を出たすぐの待合のベンチに大人しく座ったままだった。 「お前だって俺が怪我したら久野に言うだろ?」  赤穂は諭すように真剣な顔をしている。安堵混じりのため息を漏らし久野は呉の顔を両手で優しく包むとすぐにぎゅっ!と目一杯頰を挟んだ。 「顔に傷作って〜!可愛いお顔が台無しね!」 「誰だよってか、力強い!馬鹿、久野っ!」  馬鹿力の手を必死に剥がそうと呉は暴れている。久野は大人しく手を離し、呉の正面に腰を下ろし、呉の膝をポンポンと叩き微笑む。 「本当、良かった。軽傷で」 「うん、心配掛けてごめん」  ペチペチと呉は膝の上にあるその手を返事するように叩きながら笑ってみせた。 「跡にはならないって、本当、良かった――」  呉の髪をすいて、何度もその頭を安堵の表情で赤穂は撫でる。いつもの厳しい顔をした赤穂とは別人のようだった。大きな手が柔らかな栗毛を優しく揺らしている。  その動きに親友二人は固まり、同時にジッと赤穂を見上げた。 「え?なに?」  赤穂は本気で驚き、とぼけた顔だ。 「触り方がエロい」  至極嫌そうな顔付きで久野は吐き捨てるように告げた。 「エっ?!はぁ?!」と、赤穂は久野からの、思ってもない言葉に動揺し、頰を染める。 「何、この指の動かし方〜」  どこから出ているのか、久野はやたらに嫌味っぽい裏声を出して何度も呉の髪を少しオーバーにすいてみせた。 「真似しなくていい!」  必死になる赤穂をよそに呉はくすくすと笑っていた。 「アタシお邪魔だったみた〜い、ごめんね〜、帰るわぁ、お大事にねぇ」 「やめろっ久野っ」  久野はクネクネと身体を動かして赤穂の照れ隠しからくる怒りを軽くかわしながら背中を向けヒラヒラと手を振る。 「ねぇ久野!」  そう呼び止めたのは呉だ。久野は素直に顔をこちらに向けた。 「いつかまた、跳んで見せて、待ってるから」 「――考えとくよ」  そう答えた久野は澄んだ瞳で笑っていた。    廊下の曲がり角にあるベンチで座っていると足音が近付き、久野が一人で姿を見せた。 「びっくりした、千暁(ちあき)」 「……あの人に先越された――。俺が言うつもりだったのに――」 「千暁……?」  俺はチリチリする胸の中を必死に抑えて、立ち上がり久野を真っ直ぐに見据えた。 「俺が陸上部に入って、アンタを追い越してやろうかな」  久野は始め、驚いた顔をしたけれど、またいつもの知っている顔に戻り「それは新しいな」と満足そうに笑って見せた。悔しいけれど、その笑顔のせいで俺の胸の中はすっかり凪いでしまった。 ――我ながら単純だ。 「立てるか?」 「大丈夫だってば」  ゆっくり立ち上がる呉を案じて、赤穂はその細い肩を支える。肩には血液のシミが出来ていて、赤穂は苦しそうに目を細めた。 「荷物持つよ」 「もー、大丈夫だってばー」 「ダメ!俺が持つ!」  真剣な声をして赤穂は強く言い切った。呉はしばらく黙ってから「わかった」と諦めたように笑い、降参して見せた。 「あ、そうだ、赤穂。俺に話あるんじゃなかったっけ――?」  肩に添えられた手に少しだけ力が入り、呉は不思議そうな顔で赤穂の顔を眺めた。その表情を見て、これはまた暫く何も話さないだろうなと、長年の勘でわかるのか、呉は赤穂に見えないように小さく笑った。  呉が歩くたびに小指から出る糸が揺れ、肩に置かれた長い指先へと繋がり、キラキラと静かに光っていた――。 「重い、千暁……」  半分寝かけていた久野は、小さく呻くように漏らす。  のそのそと裸のままその胸を這い上り、俺は顔を胸に付けた。久野の左手を取り、その小指から出る糸を眺める。キラキラと光るように見えるそれはくるくると伸び、俺の小指を引いた。 「つまんないオチ……」 「ん?なに?」 「なんでもない――」  馬鹿みたいだ……。俺は一体何にやきもきしてたんだ……。  大きな右手が頭を撫でる。それだけでなんだか気分がいい。そのことにすら腹が立つ。畜生。  腕を伸ばして久野に抱きつく、久野は嬉しそうに薄茶色の目を細め笑ってる。そんな顔、今までちゃんと見せてくれなかったくせに。 「あ」と俺は思い当たることがあって声が出た。 「なんだよ」 「アンタがいつも赤穂先輩のことで不機嫌そうだったのって、あれ、ヤキモチだったのか」 「はあ?今更あ??」  酷く呆れた声を出された。  俺は単純に、赤穂先輩を好きな後輩をイジッてくる嫌な男としかこいつを認識していなかった。実際そうだったし、そこに別の感情が存在してたなんて想像すらしていなかった。 「アンタが遠回し過ぎんだよ」 「いやいや、めっちゃ直線距離行ってたよね!お前が鈍感過ぎるんだよね!」  へへーと、誤魔化す俺を久野は抱き返し、口付ける。さっき知ったばかりのその体温に俺はうっとりと酔いしれた。

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