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巻き結び

 久野(くの)は俺にこう話す――。  赤穂(あかほ)は嫉妬深い男だと――。  部室の鍵を締める責任者である部長は着替えもそこそこにマネージャー相手にキレていた。 「なんで二人きりでメシ行くんだよ!」 「だって俺、先輩だし」 「俺だってそうだろ!」 「部長がいると話しにくいこととかもあるじゃん、ホラ、色々」 「やましいってことか!」と、赤穂先輩の声は一層大きくなる。 「違くて〜っ、部長には言えない弱音とかあるじゃん〜」  俺――なんであの人があんなにキラキラして見えていたんだろう……。 ――めっちゃ心狭い男や……。  俺はすっかり着替えも済まし、ベンチに腰掛け片肘をついてぼんやりと痴話喧嘩している先輩二人を眺めていた。正しくは赤穂先輩が一方的に怒っている。俺が知る限り、見たこともない感情丸出しな姿で。  多分赤穂先輩は常に頑張り過ぎていたんだと思う。皆の正しいリーダーで、良い先輩でいようと――。  だから全部を理解してくれるあの人(呉先輩)にだけワガママで甘えたになる――。 「な?俺のがいい男だろう?」  無駄にキメ顔で久野は俺の横に座り、これまた無駄に長い脚を組み、イケメンアピールしてきた。俺はそちらに一瞬視線をやるが、視界に入れた程度ですぐに二人に戻す。 「余裕あり過ぎんのも、どーかなぁ」 「面倒くさっ!」  がくりと久野は組んでいた脚を降ろす。 「なんでも適度は必要だろ、適度なヤキモチも適度な束縛も」  納得いかないような、怪訝な表情を見せる久野の胸にコツンと人差し指を当てて俺は真顔で忠告してみせる。 「俺は羊の皮を被った狼なんだからね」 「アラ、怖い」  にやりと久野は笑って見せた。 「熱い〜〜!!焼ける〜〜!!日陰に行きたい〜〜!!」 「千暁(ちあき)うるさいぞ!」  まだ7月に入ったばかりだと言うのにグラウンドには遮るものがないせいで直射日光がこれでもかというくらいに降り注いでいる。  ギャンギャンと喚く俺にマネージャーの呉先輩は持っていたバインダーでペシリと頭を(はた)いた。 「高飛びなんて選ぶんじゃなかったぁ〜っ、バーに引っかかったら意外に痛いし、マットは太陽に熱されてるし〜」 「他のに転向するか?」  久野は俺の頭にポンと片手を置いて顔を覗き込みにきた。いつもの嫌味なあの含み笑いだ。年上の妙な余裕みたいなこの表情(かお)だけは本当に、いつになっても気に入らない。  ふん、と俺はその手を払いのける。 「やだよ!俺が勝つんだから!俺がアンタを追い越すんだからな」 「お前ねぇ、身長差考えろよ」 「うるさいうるさいうるさいっ!」  俺の頭が再びバインダーで殴られたのは言うまでもない。パワハラだと喚いたら更に呉先輩に怒られた。綺麗な顔して一番怖い人だと最近知った。 「千暁ってあんなキャラだったんだなぁ……」  赤穂は遠くからぼんやりと呟いて小さく笑う。 「いらっしゃい」  玄関のドアを開けて迎えてくれたのは私服姿の呉だった。ラフな無地の白い大きなTシャツとデニム地のジョガーパンツに裸足姿で制服姿の時より少し幼く見える。 「お邪魔します」と赤穂は少しよそよそしい。  呉は氷の入った麦茶を自室で座って待つ赤穂に差し出す。開けられた二階の窓からは、心地よい風が入ってくる。 「久しぶりだよね、赤穂が家に来るのって」 「そうかな」 「そうだよ」  赤穂はぼんやりと、グラスに口をつけ、長い睫毛を伏し目がちにしている呉の横顔を眺めながら、昨日久野に言われた事を思い出していた。 「お前らってもうヤッたの?」  むぐ!っと赤穂は飲んでいた紙パックに入ったジュースを吹き出しそうになるのを必死に我慢した。お陰で涙目だ。 「ヤッ……、はぁ?!」 「え、うそ、マジで?付き合い始めたんだよなあ?」  練習で使う体育館の許可申請をしに職員室に行った呉を二人で待っている間、突然久野は突っ込んだ事を聞いてきた。詰まった息を整えながら赤穂は咳払いをする。 「ま、まだ一ヶ月だぞ」 「――――――」  久野は絶句している様子だ。 「なんだよっ!」 「いや、お前、もう何年一緒にいんのよ。十分でしょ。何、無理なの?生理的にとか?」 「そんなんじゃ……っ」  親友と言えど、ストイックで通っていた赤穂には全く免疫のない話題のせいか、その顔には狼狽の色が隠せない。何か思い当たったのか久野は腕組みをしてニイと笑う。 「あ〜、原因は呉かあー。あいつのフレンドリーさが未だ抜けねーんだなあ?」  赤穂はうっと言葉に詰まる。 「この間も金曜に"ごめーん、鍵頼んだ〜お先ーっ"って一人帰って行ったしな」 「……俺らって、こう、二人きりになってもダメなんだ。そーいう空気じゃないっていうか……」  弱気な親友はボロボロと本音を暴露していく。 「チューくらいは出来たの?」  赤穂は俯いたまま一音も発さない。 「――重症だな、お前……。まあ、呉は甘えてくるタイプでもねーしなぁ……」 「うん……」と悲しげに赤穂は小さく相槌を打つ。 「千暁は――そういうの楽そうだな」 「そうね、二歳も年下だしな、それに……」 「なに?」 「あいつ、変な事言うし」 「変な事?」 「そう。"俺は別に軽いわけじゃないよ"って、"アンタがちゃんと俺を好きだって、俺には見えてわかるんだ"って」  赤穂は全くその意味がわからないようで首を少し傾げる。 「見える?」 「なにが?って聞いても、秘密って――、変な奴だろ?」  呆れたように話す久野はそう言いながらでも満更でない顔付きだった。自分が思っている以上に前からちゃんと久野は千暁を好きでいたのだと改めて実感する。何より、この男が毎日真面目に部活に出てくるのが良い証拠だ。 「赤穂?」  呉に名前を呼ばれてハッと現実に引き戻される。 「なに?寝てた?」 「んな訳あるか。あ、昨日久野に貸されたDVD見る?面白いから二人で見ればって」  赤穂は持ってきたバックパックの中からケースに入ったDVDを出した。 「何?焼いたやつ?久野の事だからエロいやつじゃないの?」 「――あり得るな」と、赤穂は少し呆れたように笑ってみせた。  二人の久野へのイメージは残念なことに大抵が合致しているようだ。それを受け取り呉は素直にデッキに差し込む。しばらくして真っ暗な画面が映った。二人は黙って画面に向かう。なかなか何も写し出されず呉はリモコンを手にした。その瞬間―― 『ギャアアアア!!!』っと大きな悲鳴とともに血まみれの掌が現れ、画面を叩くように大きな音を立てた。 「ぎゃあああ!!」と呉が慄く。その声に赤穂は驚いていた。 「なにっ?!これっ!ホラー?!」 「……ぽい」  画面には髪の長い外国人の女性が必死に何者からか逃げている様子だ。パニックに陥った女性が叫びながら助けを呼んでいる。 「無理無理無理無理無理〜!!!!」  半泣きになった呉の声のせいで赤穂の頭には一切内容が入って来ない。画面の中の女性がひときわ大きな悲鳴を上げるとそれにつられて呉の声がする。 「無理無理っ!もう辞めて!もう止めて!」  先ほど驚いた拍子にリモコンを落としてしまい、目の開けられない呉はそれすら探せないでいた。必死に赤穂の背中に隠れ画面から逃げようとしている。 「こんなの作りもんじゃん」  呉の異常な反応に赤穂はかえって冷静になってしまった様子だ。背後に隠れて震える呉の肩を持って身体から剥がす。覗き込んだ顔はすっかり怯えて泣いていた。涙で潤んだ大きな目に思わずドキリとする。 『ギャアアアア!!!』 「ああ――――!!!!!」  画面にハモるような呉の大きな嬌声に萎えてしまった赤穂は面倒そうにテレビの電源を落とした。  身体を呉に向き合わせ両腕をまわし、その震える身体を抱き締める。恋人になってから初めてその身体を抱く。不思議な感覚だった。ずっとそばにいた呉の身体なのに、知っている相手なのに、心臓が落ち着かないように踊っている。ぎゅっと赤穂の背中にも腕が回される。呉の鼻をすする音がする、まだ泣いているようだ。肩でため息をつくのが聞こえた。 「夢じゃない?」  その言葉に赤穂は思わず目を見開く。 「ここに――赤穂がいるんだよね?」  赤穂は柔らかいその声に堪らなくなって身体を離し呉の顔を両手で優しく包み、額を合わせた。呉の頰も鼻の頭も泣いているせいで真っ赤だ。 「呉」 「なに……?」 「好きだよ」  口にして初めて、自分の心を、本心を知ったと赤穂は感じた。考えるより先に声に出た。言葉にするとなんだか心が軽くなった。ずっとどこかに必死に隠していた秘密を打ち明けた気分だった。  ゆっくり触れた唇は涙でしょっぱかった。ずっとそばにあったのに、ずっと触れられなかった場所はとても柔らかくて息苦しさも忘れて何度も触れた。

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