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本結び

「喉乾いた〜久野(くの)さん、お水ー」 「はいはい」  少し億劫そうに久野はベッドから立ち上がり冷蔵庫に向かう。モゾモゾと布団の中で俺はパンツを探すが見当たらない。布団を捲り上げても見つからなかったので早々に諦めた。  戻って来た久野はミネラルウォーターの入ったペットボトルを渡してくれた。のそのそと身体を起こして口をつける。カラカラになった喉がじんわりと潤いホッとする。久野は下半身だけスウェットを履いたままで暑いらしく上半身は裸で俺の身体を跨ぎ隣に腰掛ける。 「飲む?」と水を渡す。久野はゴクゴクと喉を鳴らしながら勢いよく飲んでいる。獣か何かみたいだ。  あの日。(くれ)先輩が赤穂(あかほ)先輩を庇って怪我をした日、俺は薄々気付いていた自分の気持ちをハッキリと思い知った。  ずっと燻るみたいに自分の胸の中にあったモヤみたいな感情の正体を理解した。  病院からの帰り道、俺は、久野から延びる糸の先がどこに続くのかはわざと見ないようにした。単純に怖くて見れなかったのだ。だから何もない右手を引いてキスをした。久野は酷く驚いた顔をしていたけれど「アンタにしたかったから、したんだ」と告げると、あのいつもの笑顔を向けてくれた。  そしたら久野からもう一度キスしてくれた。  嬉しいと思う反面、この男は呉先輩を好きなのかもしれないと思うと怖くて泣いてしまいそうだった。  だから、身体から繋げてやろうと俺は目論んだのだ。この男がそんな単純に出来ているのか不安だったし、拒絶されるかもしれないと怯えもしたけれど久野は大切なものを扱うみたいに優しく抱いてくれた。無意識に泣く俺に何度もキスをくれた。左手を絡ませるように握られ、久野が俺の一番深いところまで何度も貫いて、その度頭の先まで痺れるみたいな錯覚に襲われた。  自分の涙のせいで久野の指から出る糸の光がボヤけて滲んで見えた。ズキリと胸が痛くて逃げるように俺は目を瞑りキスをせがんだ。  何度も久野の腕の中で果てては、そのまま眠りについた。優しく髪を撫でる久野に気付いて目を覚ますと握られた自分の左手に見慣れないものを見つけた。 ――が、自分の手から見えた。  前はハッキリと見えなかった久野の糸の先がしっかりと延びている。くるくると延びてそれは俺の指に繋がっていた。 「本当に……?」  俺の口から絞り出したみたいに掠れた声が出た。声に気付いて久野は俺の顔を覗き込む。  あの薄茶色の瞳が三日月みたいな形で俺を見つめていた。もっとしっかりその瞳を見たいのに、俺はまた泣いてしまってちゃんと見ることが出来なかった。こどもみたいに変な声しか出なくて、久野の名前を必死に呼んだら抱き留めてくれた。嬉しくて、堪らなくて、目一杯抱き締め返したら苦しいよって久野は笑ってた。 「DVD?」 「そう、ホラー映画のやつ。呉はダメなんだ、パニック映画とかホラーが」  あの人の名前を出しながら微笑むのを辞めて欲しいと内心ムカついたけれど、俺もこの人の前で赤穂先輩と散々うるさかったからおあいこだ。 「キャーこわ〜いって呉先輩がやるの?古典的……」 「いや、呉は出来ないね、無理無理って喚き散らしてムードなんてぶっ飛ばすタイプだから。でも多分泣く。赤穂は呉の泣き顔に免疫がないから一発でコロリだな」 ――怖い男だ。親友を出し抜こうと策略立てるあたり、俺は久野という男を侮っていた。ただのエロオヤジとばかり……。  俺はふと下げた目線の先にある自分の糸を眺めた。  不思議だ。今まで一度も見えたことがなかったのに……。それにこれがないと自分には踏み出す勇気もないと、ずっと思いこんでいた……。だけど、久野があの人や他の人に取られてしまうと思うと、ただ焦るばかりで後のことなんて何も考えられなかった。  結局、赤穂先輩への好きは違う好きで、こいつに追っかけられてまんまとその気になって……、俺めちゃくちゃ単純じゃんか――。  ぼんやり考え事をしていたらその手を久野に握られ、顔を上げると満面の笑みの久野と目が合う。 「俺も思ってないから」  久野は突然そう切り出すけれど俺は何の事を話しているのか、急にはわからなかった。 「なに?」 「お前の事、軽い奴とか思ってないよ。それに、お前の言う通り、俺はちゃんとお前を好きだから」  俺の考えてる事、顔に出てたのかなと少し恥ずかしくて、頰の温度が上がる。 「ねぇ、アンタはなんで俺がアンタを好きだって信じれるの?」 「信じれるっていうか、信じたいから信じる?みたいな?」 「何それ」 「信じてる方がお互い幸せになれるだろ?疑うよりよっぽど有意義で建設的だ」  俺は絵に描いたように口を開け、ポカンとした。わかっていたような気もするが、この男は酷く楽観主義者だ。悪く言うと繊細に出来ていない――。 「心配して損したわ」と、俺は明後日の方向を見る。 「は?なに?」 「呉先輩はアンタみたいなの絶対好きになんないって今、はっきりわかった」 「はああ??お前まで呉みたいな事言うなよ!」 「言われてんのかよ!」  俺は一体何を杞憂していたんだとバカらしくなった。ため息を一つついて、繋がれたままの左手を天井に翳しそれを見上げる。久野は不思議な顔をして俺と手を交互に見ていた。 ――いつか、こんなものに左右される自分を脱したいと思う。  久野の言うように、信じたいから信じると、楽観的に言ってのけたい。でないと、きっとこの糸はまた消えてしまうだろう――。  この糸の先がこれからもずっと、隣にいるこの男に繋がり続けられますようにと、祈るだけじゃなくて、俺がそう努力しなきゃダメなんだ。 「久野……じゃなくて、(みこと)先輩。俺と末長くよろしくね」 「こちらこそ、捨てないでね」  よく言うよと、俺は吐き捨てるみたいに笑った。詔先輩は俺の肩を抱き寄せて口付ける。  誓いのキスみたいでなんだか恥ずかしくなったら同じ事を詔先輩も呟いて笑っていた。

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