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4「与えること」

 雪山で暮らすには、切なる理由があるのだと母が語った。  この歌声には、自然の均衡を守る力がある。山と共鳴することで、雪が溶け、下界が水の中に沈むのを防ぐのだ。 例え、人間の子孫たちがそれを忘れ、我らを怪物だと(あざけ)ろうとも。  ***  コトリと過ごし始めて、半年が経った。  変わらぬ平穏な毎日に慣れ始めたことが、良いことなのかは分からないままだ。  ──「スノーホワイト」  本の挿し絵を指差して、コトリが言った。 「……ん? ああ、」  雪原に咲くという、美しい花。白く可憐なその姿が、母に似ているのだそうだ。  決して大輪というわけではない。それでいて、凛と強い──。 「昔はよく見たのですが……最近はめっきり」 「雪の上にしか咲かないのか?」 「そのようです」 「春には、どんな花が? 辺り一面、花畑になると言っていたな」 「……実は春は、一度しか訪れたことがないのですが……そうですね。黄色の蒲公英(タンポポ)がたくさん咲いていましたよ」 「季節は巡るものだろう」 「雪が溶けたのは、母が亡くなった時だけなんです。その日は、天の涙のような大雨が降りました。山の雪解け水と合わさって、この辺りまで海のようになっていましたね」 「……雪が溶けると、水害が起こるのか」 「──まあ、それはさておき。お昼御飯にしましょう」  ぱたり、と空気を食んだ本が閉じる。コトリが、鼻歌を唄いながらキッチンへ向かう。この光景も、随分と見慣れたものだ。 「少し出かけてくる」  アヤトが、防寒着を羽織った。 「あまり遠くに行っては駄目ですよ?」 「ああ」  スノーホワイト、か。  どんな花なのだろう。どこに咲いているのだろう。彼の母に似た花を、一目見てみたい。  摘んで帰れば、コトリも喜ぶだろう。  昼前の庭は、いつものようにふかふかの真綿を被っていた。目先に、新たな手製の罠が張られている。そういえば、もうじき食料が無くなると言っていたな。  誤って罠にかからないように、大きく迂回して傾斜を降りる。思ったより急な下り坂だ。足元に注意しながら、少し先まで滑り降りた。  空は曇天で、今にも泣き出しそうにぐずついている。坂の上の家が見えなくなる。  どのくらい、歩いただろうか。  気づけば、見覚えのない場所に立っていた。雪がちらちらと降り始め、足跡の軌跡を緩やかに消していく。 「風が強くならないと良いが」  雲間から見える太陽の位置から、帰路は分かる。昼食の時間は過ぎてしまった。だが、手ぶらで帰るにはプライドが許さない。  いつも、自分は彼から与えられてばかりで──何もしてやれていない。    そんな想いが、アヤトの胸を締め付ける。  コトリの、喜ぶ顔が見たい。  いつか忘れてしまうであろう、好きな人の笑顔。自分が与えた笑顔を。 「……ッ!!」  パラ、と石屑が落下した。  ぼんやりと足を進めた先は、断崖絶壁だった。雪の白に馴染んで、段差が見えていなかったらしい。  あと一歩間違えば、転落していただろう。危ないところだった。 「……ん? アレは!」  足元。岩壁の下、約三メートルほどに、きらりと光る何かが見える。  露に濡れた白い花。スノーホワイト……! 「あった!」

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