5 / 7
4「与えること」
雪山で暮らすには、切なる理由があるのだと母が語った。
この歌声には、自然の均衡を守る力がある。山と共鳴することで、雪が溶け、下界が水の中に沈むのを防ぐのだ。
例え、人間の子孫たちがそれを忘れ、我らを怪物だと嘲 ろうとも。
***
コトリと過ごし始めて、半年が経った。
変わらぬ平穏な毎日に慣れ始めたことが、良いことなのかは分からないままだ。
──「スノーホワイト」
本の挿し絵を指差して、コトリが言った。
「……ん? ああ、」
雪原に咲くという、美しい花。白く可憐なその姿が、母に似ているのだそうだ。
決して大輪というわけではない。それでいて、凛と強い──。
「昔はよく見たのですが……最近はめっきり」
「雪の上にしか咲かないのか?」
「そのようです」
「春には、どんな花が? 辺り一面、花畑になると言っていたな」
「……実は春は、一度しか訪れたことがないのですが……そうですね。黄色の蒲公英 がたくさん咲いていましたよ」
「季節は巡るものだろう」
「雪が溶けたのは、母が亡くなった時だけなんです。その日は、天の涙のような大雨が降りました。山の雪解け水と合わさって、この辺りまで海のようになっていましたね」
「……雪が溶けると、水害が起こるのか」
「──まあ、それはさておき。お昼御飯にしましょう」
ぱたり、と空気を食んだ本が閉じる。コトリが、鼻歌を唄いながらキッチンへ向かう。この光景も、随分と見慣れたものだ。
「少し出かけてくる」
アヤトが、防寒着を羽織った。
「あまり遠くに行っては駄目ですよ?」
「ああ」
スノーホワイト、か。
どんな花なのだろう。どこに咲いているのだろう。彼の母に似た花を、一目見てみたい。
摘んで帰れば、コトリも喜ぶだろう。
昼前の庭は、いつものようにふかふかの真綿を被っていた。目先に、新たな手製の罠が張られている。そういえば、もうじき食料が無くなると言っていたな。
誤って罠にかからないように、大きく迂回して傾斜を降りる。思ったより急な下り坂だ。足元に注意しながら、少し先まで滑り降りた。
空は曇天で、今にも泣き出しそうにぐずついている。坂の上の家が見えなくなる。
どのくらい、歩いただろうか。
気づけば、見覚えのない場所に立っていた。雪がちらちらと降り始め、足跡の軌跡を緩やかに消していく。
「風が強くならないと良いが」
雲間から見える太陽の位置から、帰路は分かる。昼食の時間は過ぎてしまった。だが、手ぶらで帰るにはプライドが許さない。
いつも、自分は彼から与えられてばかりで──何もしてやれていない。
そんな想いが、アヤトの胸を締め付ける。
コトリの、喜ぶ顔が見たい。
いつか忘れてしまうであろう、好きな人の笑顔。自分が与えた笑顔を。
「……ッ!!」
パラ、と石屑が落下した。
ぼんやりと足を進めた先は、断崖絶壁だった。雪の白に馴染んで、段差が見えていなかったらしい。
あと一歩間違えば、転落していただろう。危ないところだった。
「……ん? アレは!」
足元。岩壁の下、約三メートルほどに、きらりと光る何かが見える。
露に濡れた白い花。スノーホワイト……!
「あった!」
ともだちにシェアしよう!