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第2話
西の街は男の村から少し離れた大きな街だ。
10階建て、15階建てのレンガ造りが並び、周辺地域から様々な物や人が集まってくる。
国の中では中規模の都市だが、牧歌的な村に比べれば毎日が祭りのような賑わいだ。
久しぶりの都会にキョロキョロする男に、呪術師は懐中時計を見てから言った。
「旦那。俺はこれから野暮用でね。4時間後にこの先の時計広場で待ち合わせにしようぜ」
「え?」
「ん?なんだい?」
「いや、いってらっしゃい……」
男が力なく見送ると呪術師が
「知らない人についてったら駄目ですぜ?」
と言い残して立ち去っていった。
一瞬、「俺も一緒にいっちゃだめか?」と聞きそうになったが、言えなかった。
無意識に呪術師と街を歩けると思っていた事が恥ずかしい。
「最初に用事があるって言ってたもんな。そりゃ、そうだよな……」
せめてどこへ何しに行くのかくらい聞きたかったが、呪術師の仕事と言われてしまえばそれまでだし、万が一誰かイイヒトとの約束だったりしたら立ち直れない。
大通りをフラフラ歩く。久しぶりの一人の時間なのに、気は晴れない。
「ヤボ用って、俺が居ちゃいけないような用って、なんなんだよ」
一人虚しく呟いた。
その後、大通りの大道芸を眺めたり、行きつけの装備屋を冷やかしたりするが、男の気持ちは重い。
時計を見るがまだ殆ど時間も進んでいなかった。楽しくない時間はどうして進みが遅いのか。
脳内で呪術師のことばかり考えてしまうのも辛かった。
「はあ、気持ち切り替えなきゃなあ」
自嘲気味に笑って、楽しみにしていた大型書店へ向かった。
男は割と本が好きだ。物も店も少ない村で、昔から本だけが娯楽だった。
恵まれた体格を武器に魔物や獣を駆除したりするのも好きではあるが、一人で異世界に没入できる読書はまた別の歓びがある。
かといって特別学があるわけではないので、読むのは冒険小説や、エッセイ、絵物語などの気軽に楽しめる物が主だ。
今も新聞に連載されている冒険小説にハマっていて、呪術師の家で新刊の発売を知ってからというものずっと書店に来るのを楽しみにしていた。
広い書店は書籍も膨大だ。
目当ての本を尋ねようと、側に居た男性店員に声をかける。
「あの、すみません。ヴィリー・ブラントの新刊探してるんですけど」
だが男性店員はなぜかぼーっと男を見上げたまま動かない。
「あの?」
困った男が首をかしげた時、
ドカッ!
側を歩いていた客が大きな音を立てて本棚に突っ込んだ。
「うわっ、大丈夫か?」
驚いた男が慌てて助け起こすが、客の青年もなんだかぼーっとして返事がない。
「どこか怪我は?」
男が支える手を慌てて振り払い、真っ赤な顔になる学生風の青年。
「あっ、あっ!だいじょうぶ、です!すみません!」
バタバタと音を立てて走り去ってゆく。
何が何だかわからない男が呆然としていると、奥から別の店員が慌てて駆け寄ってきた。
「申し訳ございません!大丈夫ですか?」
「あ、ああ。なんか余計なことしたかな。悪いね」
「とんでもございません!ヴィリー・ブラントの新刊でしたね!こちらです!!」
やたらと張り切った店員に案内され本棚にたどり着く。
「ああ、ここだ。ありがとう」
礼を言うと店員は真っ赤になって
「いいええ!!ごゆっくり!」
と叫んでぎくしゃくと立ち去っていった。どういうわけか自分で自分の腕をつねっている。
都会の書店員さんは元気だなあと、男は見送った。
目当ての本を早々に確保して、せっかくだからと店内を見て回る事にした。
奥まったところにある科学読本のコーナーで久しぶりの立ち読みをする。
幸い他に人気もない。天体の事をわかりやすく説明する雑誌を手に取り、次第に夢中になる男。
だが、ふと尻に違和感を感じた。先ほどからなにかが尻に当たっている。
いつの間にか居た隣の中年男が、なにやら男の尻をゴソゴソしているようだった。
男は体格がよく、顔も精悍な為に痴漢にあったことがない。
今回も「まさかな」と思いながら少し距離を取った。
(まさか女と間違えてんのか?やべえなこいつ)
だが、男が距離を取ると隣の中年男も近づいてくる。二度三度繰り返した後、さすがにムッとして振り向くと、
「よお、久しぶり!」
そう言って親しげな黒ずくめの男性が中年男の肩を叩いた。
「え?アンタ誰……ふぁ!痛い痛い!ひっぱらないでぇ」
中年男はなにかモゴモゴ言っているが、にこにこする黒ずくめに半ば引っ張られるように連れて行かれてしまった。
何が何だか分からないまま男は取り残される。
「なんだありゃ……」
怒るタイミングを失い、なんとも座りの悪い気持ちで男はその本棚を離れた。
せっかく気分が上向きになったところだったのに妙な中年に尻を撫で回された不快感で台無しだ。
手早く本を会計して書店から抜け出すと、ヨロヨロしながら書店の側にあるジューススタンドに向かった。
(なにか甘い飲み物でも飲んで気分転換しよう。)
しかし、ジューススタンドで好物の桃のジュースを買っていると、さっと身を滑らせて派手な色彩が目の前に現れた。
髪を原色に染め、流行りの服を着崩した華やかな、言い方を変えればチャラい男だ。
横入りにとムッとして睨むと、そのチャラ男は男の分の支払いを横から勝手に済ませて
「ねえ、おごってあげるよ」
と言い出した。
にやにや体を近づけてくるのが不快で顔をしかめる男。漂ってくる強すぎる香水も気持ちが悪い。
「いや、いらねえ」
無理やり金をチャラ男の手にねじ込むと、背を向けて歩きだす。
しかし、チャラ男は諦めない。
「まって!ねえねえ、前にどっかで会ったことない?」
「覚えが無えな」
男はイライラする。田舎者を狙った詐欺や強盗が多いのは知っていたが、こんなにグイグイこられていい気持ちのするものではない。刃物をチラつかせるとか、殴って来るとか、わかりやすいタイプなら有無を言わせずぶん殴って黙らせる事もできるのに、ヒョロヒョロのチャラ男が話しかけてくるだけじゃあそうもいかない。
(めんどくせえ。巻くか)
せっかくのジュースだったが一気に煽って飲み干すと、カップをゴミ箱に捨てて男は走り出した。
瞬発力と体力には自信がある。
最初はなにか叫びながらついてきていたチャラ男も、人混みを抜け、角を左右5つほど曲がったあたりで気配が消えた。
「ふん。鍛え方が違うんだよ」
軽く汗をかいた額を拭って、ようやく立ち止まる。
気がつけば周囲は妙に静かな街外れに来ていた。
ここは街の中でも治安があまり良くない。浮浪者やジャンキーがうろつく裏道だ。女子供は特に近づかない。
嫌な予感がした男がはやく立ち去ろうと振り向くと、案の定ボロボロの服を着た、目の焦点があってない男共が3人ほどこちらを見ながらなにかブツブツ呟いている。
(やべえ。よりによってジャンキーの方じゃねえか)
目が合う。
男は咄嗟に愛想笑いを浮かべた。
「あ、ど、どうも……」
「(……)」
ジャンキー達は痩せこけた首をゆらゆら揺らして様子を見ている。
刺激しないように男が後ずさる。
「すぐどっか行くんで、その、おかまいなく……?」
「(……ぐるるぅ)」
ジャンキー達は一瞬動きを止めると、一歩、また一歩と男ににじり寄る。
(やべっ)
そう思った瞬間男は翻ってまた走り出した。
それと同時に、ジャンキー達も男に向かって一斉に駆け出す。
後ろ暗い場所で流行る薬に浮かされたジャンキー達には疲労感も痛覚もない。スピードはそれほどではないが、目をつけられれば逃げ切るのは簡単ではないだろう。
なんとか街の警察署まで走りきらなければならない。
だが男はここに来るまでに割と消耗しており、加えて警察署はかなり離れている。
どうしたものかと思案していると、
ガラガラガラ!
通りかかった馬車が男に近づいてきて、わずかにスピードを落とすとドアが開いた。
「はやく!飛び乗って!」
よく通る男の声だった。
伸ばされる手は青白い。
男は迷わずつかまり、地面を蹴ってそのまま中へ飛び乗った。
馬車はたちまちスピードをあげて裏道を走り抜ける。
尋常ではないしつこさのジャンキー達も20分もしない内に見えなくなった。
「振り切りましたね」
その声にふー、とため息を付いて男は背もたれに背を預ける。
クッションの効いた座席が軋みもせずに男の巨体を柔らかく受け止めた。
「近頃このあたりは特に治安が悪い。貴方は運が良かった」
目の前に座る救世主に目を向ける。
田舎者でも解る身なりの良さ、貴族のような気品。いや、もしかしたら本当に貴族なのかもしれない。
年の頃は20代中盤ほどだろう。
アーモンド型の目に薄いブルーの瞳。絹の髪は夜のように黒く、通った鼻筋に彫りの深い顔立ちで、そのへんの女性より長いまつげが微笑みに揺れた。しかし骨格とはっきりした眉が男性的なオーラをちゃんと醸しているのが憎らしい。
肉体労働を知らない手が、水晶を彫刻したステッキを握り直す。
「お怪我がなくて何よりです。申し遅れました。私はクラレンス。観光客です。姓の方は訳あって今は申し上げられません。どうかご容赦を」
握手の手を伸ばされる。
間近な美貌に一瞬あっけにとられた男が慌てて手を握る。冷たい手は見た目よりいくらか硬かった。
しどろもどろで名を告げて、礼を述べた。
「ありがとうございました。ほんとに、なんて礼をしたら良いか」
恐縮しきりで頭を掻く。
「道にでも迷いましたか?」
「まあ、そんなようなものです」
こんなガタイの良い自分が変な男にまとわりつかれていたとは言えない。
「ああ、気が利かなくて申し訳ない。良かったらどうぞ」
「え?」
「水です。飲むと落ち着きますよ」
水の入ったボトルを渡された。乾きに堪らず飲み干す男。相当な距離を走って乾いた身体に染み入るようだ。
「……はあ、うまい。生き返った……!」
そんな男を楽しそうにクラレンスは見つめている。
「何処かへご用がお有りでしたか?良ければお送りしましょう」
「……いや、特に用事があるわけじゃないんで。どこか途中で降ろしてもらえれば」
男が申し訳なさそうに首をかしげる。
「礼の方は、後日日を改めて是非」
そう言いかけた所で、クラレンスが手の平を向けた。
「いえ、礼など結構ですよ、と言いたいところですが、……実は私、今少々困っておりまして……」
「は、はあ」
何を言われるか身構える男に、クラレンスは軽やかにウィンクをしてみせた。気障な仕草だが、美貌のせいで嫌味に見えない。
「先程、今日一緒に過ごそうと約束していた友人にフラれましてね。よかったら少しだけつきあってくれると嬉しいのです」
脳裏に「知らない人についてったらだめですぜ?」と言い残した呪術師が浮かぶ。しかし、相手は恩人だし、なにより自分を置いて何処かへ行ってしまった事にちょっとムッと来ていた男は深く考えもせず返事をしてしまった。
「うん、まあ、その、俺で良ければ」
「よかった。実は断られたらとヒヤヒヤしていました」
ホッとした表情を見せるクラレンス。
ふとそこでなぜかデジャブを感じて、男が尋ねた。
「あの、俺とどこかでお会いしたことありましたっけ?」
「ふふ、君みたいな人でもそういうこと言うんですね」
そう言われてカッと赤面する男。まるでさっきの変なチャラ男のセリフみたいではないか。
だがクラレンスは思わせぶりに答える。
「でも、そう。夢の中で会っているかもしれませんね」
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