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第3話
天を貫くほどに高く尖った鐘堂。
青い空をバックにそびえる古の建築物を見上げて男が呟いた。
「でけー」
「5代前の王ゆかりの教会。初めて見ますが思ったよりも荘厳ですね」
男とクラレンスは観光客用のチケット腕章を身に着けて塔を見上げている。
「偉い人ってのはだいたいデカイもの作るよな」
「きっと自分の居た証拠が欲しかったのでしょう。いくら権力を手に入れても寿命は有限です。後の世への広報責任を任せたかったのかもしれません」
「そういうもんですか?」
「ははっ、勝手な想像ですよ」
クラレンスは先程屋台で買った焼き栗を差し出してきた。
男は「どうも」と一つだけ頂戴する。
「あなたみたいな人の行く所がこんな観光地ってのは意外でしたよ」
「私は俗なんです。よく誤解されるけど。買い食いが趣味ですし」
手慣れた手つきで栗の殻を向いて口に含む。
クラレンスが男を連れてきたのはこの街中心地にある教会だった。
この街に来たら一度は拝んでおきたい定番観光地で、周囲には同じようなチケット腕章を身に着けた観光客が疎らに歩き、あるいは塔を見上げている。
入場時にこのチケット腕章を買っておけば敷地内では自由に閉館までうろつけるとあって、あまり金のない暇人もよく訪れる。
「着くなり屋台に並びだしたのは正直驚きました」
「世間知らずだと思っていたでしょう?」
ワザとらしく拗ねるクラレンス。
「いや、そんなことは」
男が慌てて手を振るとクラレンスは吹き出す。
「ふふっ。少しは見直してくれました?」
「……ええ、はい、まあ」
こういう時、呪術師ならなにか気の利いた返しができるのだろうな。
この場に彼がいないことを思い出して男の胸が痛む。
こうしてなんでもない観光地を回って、屋台で買い食いしたり、どうでもいい話をしながら歩きたかった。
クラレンスは話し上手で、一緒にいて退屈しない魅力的な人だ。
見た目よりずっと庶民に理解があるのも尊敬できる。
だが、ここに呪術師が居たらと思わずにはいられなかった。
その後も雑多な土産屋で得体の知れない民芸品を冷やかしたり、
川下りの船に乗って町並みを川から見上げてみたり、
広場で人形劇を眺めたり。
男はクラレンスの望むままに定番観光コースを彼方此方うろついた。
男の分の細かい出費を事ある毎にクラレンスが払おうとしたので、慌てて先に払う必要があった以外は愉快な観光だ。
楽しい時間は過ぎるのが早い。
日も暮れかけた頃、馬車に乗る前にクラレンスが
「最後にせめて食事に招待させてほしいんです」
と言いだした。
しかし、時計はそろそろ呪術師との待ち合わせ時間を差している。
名残惜しい気持ちはあったが男は丁寧に辞退しようとした。
「ありがとうございます。でも、あの、連れがいるんです。待ち合わせがありますから今日は……」
「では彼も招待しましょう。待ち合わせ場所に別の馬車を送りますよ」
「でも」
「実は今日私をフッた友人の分も予約を入れてしまったんです。人数が増える分には良いのですが、一人で食事をするのも味気なくて……。助けると思って招待されてくれませんか?」
その表情は哀れを誘う風情で、宝石のような目まで潤んでいた。
元々美しい顔立ちの所為もあり、はたから見れば体格の良い男に脅されている可哀想な麗人にしか見えない。
実際周囲の目が痛い。
「……う、わかりました。わかりましたから、そんな顔しないで下さい」
「来てくれますか?」
「う、はい、ご招待お受けします」
「ありがとう」
先程の泣き顔はどこへやら。クラレンスは満足そうに御者にもう一台馬車を回すよう指示を出し始めた。
(あれ?俺連れが男だって言ったっけ?)
一瞬疑問が浮かぶが、
「さあ、行きましょう」
と満面の笑顔で乗車を促されそれも霧散してしまった。
馬車が到着したのは街外れの館だった。看板はない。
手入れの行き届いた広い庭園を抜け、明かりの灯る大きな玄関へ向かう。
そこは、どうやら会員制の店らしい。
クラレンスが顔を出した途端奥から威厳ある風体の老紳士が出てきて、少しも待たされること無く奥の広間へ迎えられた。
そこには身なりの良い若者たちが数人ずつ幾つかのテーブルを囲み、上品に歓談している。
クラレンスは何人かと軽く挨拶を交わしてテーブルに付いた。
男は場違い著しい店に身が縮む思いだ。一応自分の中ではマシな方の外出着ではあったが、レベルが違いすぎる。布の服でドラゴンに立ち向かうようなものだ。
しかしクラレンスの後ろに居るだけで誰も男を揶揄したり、見下したような態度を取らなかった。
(へえ、育ちがいいとやっぱり違うもんだな)
男は緊張をごまかすために出された炭酸水を口に含む。
「なにか食べられない食材等はありますか?」
「いや、何でも食います」
「ではご友人がいらっしゃるまで、軽くつまんでいましょうか」
クラレンスがなにやら呪文のような単語を店員に向かって口にすると、程なく数種類のツマミと言うには豪勢すぎる皿が並んだ。
明度を落とされたシャンデリアの明かりを反射するジェリー寄せ。
脂の乗ったジビエの冷菜。
オレンジが鮮やかな魚のカルパッチョ。
細やかな細工が美しい果実の盛り合わせにはこの時期高いはずの色とりどりのベリーが散っている。
その他にも色々だ。
見たことがないほど贅沢で、何で出来ているかは殆ど見当がつかない。
とりあえず複雑な旨味を注がれた高級な酒で飲み下す。
きっとどれも美味なのだろうが、正直食べている気がしなかった。
(この場に先生がいたらなあ。早く来てくれよ先生)
もしや、今もどこかで見知らぬ誰かとよろしくやってるのだろうか?胸に暗い影がよぎる。
一方目の前のクラレンスはご機嫌で、何杯目かのワインを飲み下していた。
しかし少しも酔った気配がない。
「酒、強いんですね」
「そうかもしれません。でも、酔えないというのもつまらないものですよ」
「俺は結構弱いんで、羨ましいです」
「そういえば、少しだけ頬が色づいていますね」
男はつい自分の頬をさすった。
少し飲みすぎたのだろうか、身体がなんだか熱い。無意識にボタンを外そうとして、指が襟元に伸びた。しかしはだければあのイヤラシイ下着が見えてしまうかもしれないと気付いて、しかたなく襟を直してごまかす。
「これでも多少は飲めるようになった方なんですよ」
はにかむ男。
「……あいかわらず可愛らしい」
聞こえるか聞こえないかの小さい声でぼそり、と呟くクラレンス。
一口ワインを口に含んで、薄い舌で自分の唇を舐めた。
男は、その仕草に再びデジャブを感じた。
なんとなく覚えがある気がするのだ。
堪えきれなくなって恐る恐る尋ねる。
「あの、……本当に俺とは今日が初対面ですよね?」
「ふふふ」
そこでクラレンスはすーっと深く息を吸う。恍惚の表情が浮かんだ。
「ああ、素晴らしくいい香りだ。テーブルを挟んでもなお深く甘い。このワインなど霞む馥郁さだ」
赤い液体で満たされたグラスをテーブルに置く。
「……は?」
「本当に、本当に美味しそうですね。下賤な服などを剥ぎ取り、羞恥に染まった肉を舐めあげて、早く杭を打ち込みたい。胸の飾りをねぶって、嫌がる貴方を組み敷きたい」
「な、なにを言って」
普通の会話のように、急にとんでもない事を通る声で口にするクラレンスに動揺する男。
周囲に目をやると、客も、店員もが皆こちらを見ていた。当たり前だ。赤面するより青くなる。
だが、様子がおかしい、周囲の人間たちは微動だにせずこちらを見つめたまま動かない。
「初めてじゃないのは残念だけど。人の食べかけを横取りするのも偶にはイイ。取り上げられた事を知った時あの忌々しい呪術師はどんな顔になるでしょうか」
そこでクラレンスの目が紫に光った。
紫の魔眼は魔族の証。それが薄明かりの中で見えるほど発光するならなおさらだ。
「な、魔族……?!」
動揺して席を立つ男。
ガタン
椅子が倒れる。
それを合図に固まっていた周囲の人間たちがワラワラと男に群がりだした。口元には揃ってイヤラシイ笑みを浮かべて、舌なめずりをする者も居る。
振り返るといつの間にか入ってきたドアは封鎖されている。
慌てて窓へ向かおうとして腕を掴まれた。
「くっ!触るんじゃねえ!」
男は咄嗟に二、三人をふっとばすが、突然クラリと目眩がして蹲ってしまう。
「うぅっ!」
薬を盛られていたらしい。目の前がグラグラ揺れた。手足に力が入らない。
「手荒なことはしてはいけないよ。私の大事なデザートだ」
男はあっという間に拘束されてしまった。
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