坊ちゃんが、私との口吸いにさほどの抵抗をしなくなってきた頃、言ってみた。 「坊ちゃん、私、明日が誕生日なのです」 「え？」 　坊ちゃんはまるで、私にも誕生日があるのかと驚いているようだった。それはそうだろう。これまで言ってもこなかったし、そもそも、『明日が誕生日』も嘘だし、ただ、坊ちゃんが何か催してくれたり贈り物を用意するのかなと考えたら楽しくなってしまったのだ。 「私は本日１日、お休みを頂いておりますので、きちんとお仕事に励んで下さいね。では」 　深く頭を下げ、部屋を出て行く。 　後のことは、人柄のよい女中に頼んでおいた。何かあれば逐一報告するよう命じてある。さあ、坊ちゃんはどうするでしょうか。 　得意の魔法式を練り込んだ魔法具だろうか。 　手作りの料理だろうか。 　最低限、私がこれまで坊ちゃんにしてきた程度のことができていれば――いや、その真似事だけでもできていれば上出来だ。できていなかったとしても、それはそれで頑張りを褒めたいと思う。 　あれこれと想像しながら、その日１日を坊ちゃんとは離れて過ごした。 　翌日、挨拶とともに部屋に入る。坊ちゃんは視線すら寄越してくれなかった。ただ、部屋の中央には本が積まれており、その上に小さな箱が置かれていた。「スミへ」と書かれた小さな紙も添えられている。 　坊ちゃんはただただいつもの通り、手を動かし続けている。 　 「開けても……？」 　尋ねるが返事はない。集中しているのだろう。待ちきれない。仕方がない、開けてみよう。黒の包装紙を包む銀色のリボンを解く。中の箱をゆっくりと開いた。 　そこには、一目で高級とわかる腕時計が入っていた。正直がっかりした。もちろん嬉しいが、手を抜かれたように思えた。迷いに迷った末、あの女中に助けを求めたのだろうか。こういった一般的な贈り物という発想が、坊ちゃん一人で思いつくとは思えない。 　 「がっかりです、坊ちゃん。こういうものは高ければいいというものではありませんよ。誰に入れ知恵をされたのかはわかりませんが、私は坊ちゃんが考えてくれたものが頂きたかったですね」 　手が止まる様子はない。こんなものか。いくら私への『恋』心を擦り込んだとはいえ、祝いたいという気持ちまでは沸いてこなかったのだろう。残念だ。 　溜息とともに部屋を出る。 　と、昨日を任せていた女中が待ち構えていた。私の手に持っている時計に目を輝かせ、「やっぱりお似合いですね」と声をあげる。 　やはり、犯人はこの女中だったらしい。 「坊ちゃんに変なことを吹き込まないでもらいたい」 「変なことってなんですか？　私、何か言いましたか？」 「この時計のことだ。坊ちゃんに私への贈り物について相談されただろう。それでこれを」 「はい、私だったら、時計など普段身につけられるものを頂けたら嬉しいだろうなって」 「私は、坊ちゃんが考えたものが欲しかったんだ。こんな簡単な」 「簡単なんかじゃないですよ！」 　女中の迫力に1歩退く。女中は更に迫ってきた。 「坊ちゃん、お仕事忙しいのに、昨日丸１日、スミさんの時計のことばっかり考えていたんですよ！　町には降りれないっていうから業者を呼んで色々見せてもらって！　スミさんの瞳の色や肌の色、普段身につけている服に似合うもの、真剣に考えていました！　私は途中で飽きてましたけど、坊ちゃんは真剣に！　お金のこともお父上に真っ青になりながらお願いして、それでようやく手に入れたものなのに」 　どっと全身の血の気が引くとともに冷や汗がでてきた。扉の方を振り返り、勢いよく開ける。坊ちゃんの筆を持つ手は動いてはいたが、肩と同じく震えていた。 「坊ちゃん！」 　背中側から彼の身体を包み、顔をあげさせる。泣いていた。 「ぼ、僕、ごめんなさい。僕、ちゃんと。スミに喜んでもらえなくて」 「坊ちゃん……」 「夜、お父様が来て、新しい仕事を頂いてしまって、時間がなくて、どうしようって。スミが、してくれていたみたいに、もっと、準備したかったんだけど、どうしたらいいか」 　机の上を見れば、昨日まではなかった『注文書』が置かれていた。内容は相変わらず、出来るかどうかもわからない夢のような内容を負荷した魔法具の注文だった。とはいえ、その物自体はない。坊ちゃんが魔法式を組み立てるところから始めなければいけないのだ。 「何も、できていなくて。どうしよう。僕、何も」 　私の誕生日のことだろうか、それとも父親からの注文のことだろうか。恐らくは両方だろう。ひっくひっくと嗚咽をあげ泣いている姿は、哀れな程、混乱を極めていた。 　 「大丈夫です。坊ちゃん、ありがとうございます。先ほどは申し訳ありません。坊ちゃんが置かれた状況も知らず、勝手なことを言いました。私は充分、嬉しいです。坊ちゃんの気持ち、伝わりました。本当はそれだけで充分なんです」 　私と『恋人』になってから、作業効率が落ちたなどということにでもなれば、この任を外されてしまう。それだけは避けたい。 　 「大丈夫です、坊ちゃん。さあ、落ち着いて、これくらいの仕事すぐに終わります。そうしたら一緒に美味しいものを食べましょう。ああ、その前に睡眠をとって」 「スミ、スミ」 　余程不安だったのだろう。私の言葉に、坊ちゃんは更にぼろぼろと大粒の涙を零した。罪悪感が重くのしかかる。何度も「大丈夫」を繰り返し、坊ちゃんへ口づけた。 　目の下の隈が痛々しい。 「一旦寝室にいきましょう。大丈夫です、必ず終わります」 「スミ、ごめん、スミ」 「大丈夫。さ、行きましょう」 　私は坊ちゃんを抱き上げ、廊下に出た。心配げに眉を寄せた女中を追い払い、隣の寝室へと向かう。 　これでは、やっぱり、私は坊ちゃんの『恋人』失格なんだろう。