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春の酔い 3

近所の駐車場に戻り、宮田は運転席に座った。エンジンをかけると車を出す。 「どう思った?」と宮田は広瀬に聞いてきた。 「実験はなかった」と広瀬は答えた。岩下教授は自分たちの訪問に終始とまどっていた。最後の写真には面食らったようだった。「少なくとも岩下教授の研究室では、なかった」 「そうかなあ」と宮田は言った。「なんか、変じゃなかったか?」 広瀬にはわからなかった。 「なにって具体的には言えないんだけど、あの先生、なんか様子が変だった。長年の刑事の勘ってやつかな」と宮田は言う。「まあ、まだ刑事になって数年だけどさ。それでも、どっか変だよ。ああ、そうだ。反応が普通すぎるんだ。教え子がさ、2人も自殺してて、おまけに警察が話を聞きに来てるんだぜ。もっと、言動がおかしかったりしてもいいだろ。大学教授なんて、変人だらけなんだから、自分勝手に話すとか、話さないとかあってもよさそうなのに、普通すぎるよ、岩下先生は。俺の大学教授のイメージと違いすぎるんだ」と宮田は言った。 それが、刑事の勘なのか、それとも単に宮田が行っていた大学の教授たちに問題があるのかどっちだろうと、広瀬は思い特に宮田には同意しなかった。 それに、宮田の疑いを証明するには、手がかりがない。もっと倉元や金井のことを話してくれる人を探さなければならないが、今のところ手詰まり感が強い。 しばらく黙って車を走らせた後、「それはそうと、お前引っ越したんだって?」と急に宮田に聞かれた。 広瀬は肯定とも否定ともつかないくらいに首を動かした。なんで知っているんだ、と思う。届け出はしたが、それ以外は誰にも話していない。そして、仕事でもなんでもないのに人の個人情報を覗き見たりするんだ、宮田は。 「引っ越しの手伝いくらいしたのに、なんで俺に教えないんだよ。どこに引っ越したんだ?」 広瀬は、早口で最寄り駅名だけ答えた。 「それはまたまた、ずいぶんな高級住宅地だな。買ったのか?」 「え?まさか」 「いや、お前がじゃなくてさ、東城さんが、だけど。東城さん、マンションでも買ったのか?」 「違う」 「へえ。じゃあ、なに?今度、呼んでくれよ」 「なんで?」 「実はさ、佳代ちゃんが、広瀬の引っ越し先は、絶対、東城さんの家だっていうんだ。豪華な家に決まってるって。ぜひ、遊びに行きたいから、俺から広瀬に頼めって言われてるんだ」とあっさり宮田が白状する。 佳代ちゃんは南宿署勤務の広瀬の同期だ。成績最優秀の美人でかなりの有名人だ。宮田は彼女のことが好きで、高嶺の花の彼女に男として相手にされないとわかっていても、望みはかなえようとしてしまうのだ。 広瀬は、やや呆れた。佳代ちゃん、どんな好奇心なのだろうか。今、広瀬が宮田に教えなくても、佳代ちゃんのことだからそのうち東城に頼むなり、広瀬自身に直接連絡いれてくるなりするだろう。 「今はだめだ」と広瀬は答えた。「全然片付いていないから」と婉曲な断りの常套句を言った。 「片付け、手伝うよ」 「いらない」 「じゃあ、片付いたら、呼んでくれるのか?」 「考えとく」と広瀬は答えた。 「そうか。よかった。OKだって、佳代ちゃんに伝えとくよ。楽しみだなあ。どんなとこに引っ越したんだ?東城さんち、前のマンションも相当豪華だったけど、それよりすごいのか?」 OKとは一切言ってないんだけど、と広瀬は思ったが、特に訂正はしなかった。

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