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春の酔い 18
振り返ると街並みが見えた。広瀬は思わず「あ」と感嘆の声をあげた。
街は家々の灯りや街頭で照らされている。
そして、夜の闇の中、桜があちこちで咲いているのだ。公園や広い家の庭にある桜の木は、満開だった。闇にほの白くぼうっと浮かぶ美しい夜桜をこんなふうに上から見るのは初めてだった。
「きれいだな」と東城は言った。
広瀬はうなずいた。
公園の方では灯りが揺れている。
もしかすると、その下では誰かが夜桜見物の宴会をしているのかもしれない。こんな穏やかな春の夜には花見がうってつけだろう。
広瀬は夜桜を眺めながら、東城の横に座って黙ってビールを飲んだ。
屋根の上は静かだ。薄い雲の合間に月が見える。かすかに甘い花の香りがどこからかしてくる。春だ、と広瀬は思った。
彼の身体に自分の身体を寄せて、もたれると、東城がかすかに微笑んだのがわかる。
「夏になったら、花火大会かなんか近所でやらないかな」と東城は言った。「ここからなら一等席で見られそうだ」
「探してみますよ」と広瀬は答えた。「でも、そういう花火大会の夜に限って、泊りがけの仕事ってことになりそうですね」
「そうだな」と彼は言う。「だけど、毎年あるだろうからそのうち一緒に見られるさ」
広瀬はうなずいた。一緒に見る桜はことのほか美しい。もし、花火があがったら、きっときれいだろう。二人で見上げたら、どんなに楽しいか。
しばらくして、彼が言った。「夏の浴衣、作ろうか。お前、似合いそうだ。ここで、浴衣着て、冷酒でも飲むなんて、風情がいい」
その後も、あれこれと、これからしたいことを彼は話していた。
庭に小鳥が来るみたいだから巣箱をかけよう、とか、バーベキューセットでも買って外で食事をしようとか、つくばいを置こうかと思うけどどうか、鹿威しってうるさいかな、とか、たわいもない話ばかりだった。
広瀬は彼の声を聞いていた。東城の低い声は楽し気で、いつまでも、聞いていたいと思った。
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