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春の酔い 24

「これは、子どものころの僕の歯のレントゲン写真」と彼は言った。 「この奥歯に影が見えるだろう。これが、実験器具なんだ。微量の薬品を定期的に投与したりそれにあわせて微弱な電気信号を与えることができる。これを、3年間くらい埋め込んでいたんだ。実験終了時に、手術で除去された。こっちは、その実験器具の写真。小さいものだからわかりにくいんだけど、精密機械で、ここに全部詰まっている」 金井の口から見つかった金属に似ているようでもある。口に入る程度の大きさなので、どれも同じようになるだろうから確信はもてないが。 「これを入れるとね、確かに、記憶テストの成績は飛躍的に向上したんだ。大人も実験対象だったんだけど、特に子どもには効果的だった。所謂『天才』で、見たものは全部覚えている人っているだろう。それと同じような能力だよ。だけど、副作用もあった。実験していてわかったことなんだけどね」 忍沼は手の指を広げて、一つずつおりながら説明した。 「副作用の一つは、危機感の極端な減退だ。危ない、とか、怖いっていう意識が薄くなるんだ。それから、これが一番まずいけど自殺衝動。あと万能感。自分が何でもできるっていう感覚だ。万能感と通じているんだけど規範意識の低下。万能な自分は罪を犯してもかまわないという感じ」と彼は説明した。「この中で早くに分かったのは危機感の減退だ。岩下教授の子どもは、事故で亡くなったんだけど、これは、危ないっていう感覚がなくなったからだ。目撃者の話では、流れのはやい川に自分で入ったんだって。浅いプールに入るような雰囲気だったって聞いたよ」 「副作用は全ての人に出たのですか?」忍沼があげた副作用はどれも自分には当てはまらない。 忍沼はうなずいた。「大なれ小なれね。あ、あきちゃんは違うよ。あきちゃんは、来た時から、変わってたし小さかったから、副作用がでてるのかそうじゃないのかは、わからなかった。今でも、わからないよね」 そういう言葉はわずかに広瀬のことを面白がっているようでもあった。 「他の子どもの中には危機感が極端に減退して、何度か危ない目にあった子がいたらしい。最初のうちは、子どもだからと思ってて、副作用ってわかるのに時間がかかってた。でも、岩下教授の子どもが事故で亡くなった後、すぐに君のお父さんは君を実験から外したんだよ。君のことを心配したんだ。君のお父さんは、実験の反対者になったんだ。安全性が確実になるまで中止すべきだって主張したんだ。正しい判断をしたんだ」 複雑な気持ちになる。 広瀬の覚えている父親は、仕事は忙しいが家族を大事にする人だった。 穏やかで怒られたことは一度もなく、時間があれば一緒に遊んでくれた。朗らかで明るくて楽しい人で、家にいつも友人や同僚たちが遊びにきていた。 お父さんはお仕事で悪い奴らをやっつけてるんだよ、と父は広瀬に話していた。幼い広瀬には父親は正義のヒーローそのものだった。そんな父がどうして自分を人体実験に参加させたのだろうか。にわかには信じがたいことだった。広瀬は記憶のかなたの父親に質問したくなる。 父は、その実験に反対したから殺されたのだろうか。そして、なぜ、母まで一緒に殺されなければならなかったのだろうか。 忍沼は話をつづけた。「自殺衝動や万能感が副作用であることは、さらに時間がかかって、実験が終わった後にやっとわかったんだ。自殺者と犯罪者が出た後やっとね」 忍沼はアイスミルクを一口飲んだ。 「岩下教授は、今でも研究を続けているのでしょうか?」と広瀬は聞いた。 「そうだと思うよ。彼は、たまに滝教授の研究所にも顔を出しているしね。超人を作りだそうっていう考えに取りつかれているんだ」 「この、歯の機器も使われているんですか?」 忍沼はストローを持つ手を止めた。「岩下教授の何かを知ってるの?」 広瀬は首を横に振った。忍沼は広瀬をじっと見ている。 「忍沼さんは、どうやってこんなに実験のことを知ったんですか?こういった情報はどこから?」と広瀬は聞いた。 「それは、秘密だよ」と彼は言った。「あきちゃんに知られたら、僕は捕まっちゃうかもしれないから」 広瀬は聞き返した。「捕まる?」 「そう。あきちゃん、刑事さんなんだよね。大井戸署の所轄の刑事さん」と忍沼は言った。 「どうして、それを?」忍沼には自分のことは何も話していない。 彼は、うなずいた。「あきちゃんのこともっとよく知りたかったからね。最近引っ越したことも知ってるよ。お友達と一緒に住んでることも。ルームシェアしてるの?」そして手をふってみせる。「僕が知ってるの、びっくりした?」 「少し」 「僕は、君を守るためにしてるだけだから、気にしないでいいよ」 「守ると言うのは、なにから守るんですか?」 「実験をしている連中だよ。滝教授や、警察のグループや他の奴らだ。岩下教授もいるだろう。岩下教授はそんなに悪人じゃないけどね。奴らはずっと実験対象者を追跡調査してる。もちろん君もその対象者だよ、あきちゃん。なのに君は、警察になんてなってしまってる。奴らの手のひらの上にいるようなもんだ。だけど、もう大丈夫。僕がいるからね」 忍沼はアイスミルクを最後まで飲み干した。 「僕はね、奴らの手の内をわかってるんだ。奴らの好きにはさせない。あきちゃんを信じているから言うんだけど、僕は奴らに仕返ししたいんだ。僕たちをこんな目にあわせて、未だに実験を続けている。人類の発展のためには犠牲もやむを得ないなんて考えてる傲慢な奴らにね」 「何をするつもりですか?」 「それは秘密だ。君が僕の仲間になってくれたら話すよ。これから何回か会って、時間をかけたら、君は僕の仲間になる」ゆるぎのない声だった。「それに、君だって、両親を殺した奴らに復讐したいと思ってるはずだ」 広瀬は忍沼に同意はしなかったが、忍沼の言葉は間違いのなかった。 もしも、両親を殺した犯人がわかったら、自分は必ず復讐するだろう。 その広瀬の考えを読んだように忍沼はうなずいていた。

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