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夏休み 18

リビングで、3人がコーラを手に向かい合うことになった。 「何の用ですか?」とまた東城は言った。 「この前の株主総会ではありがとう」と達史は言った。「こちらの希望通りに議事が進行してよかったよ。議案も全部承認された」 「別に達史さんの会社のためにしたわけじゃないですから」と東城は答えた。「礼を言いに来たんですか?電話でもよかったのに」 「弘継叔父も内心ほっとしてたんじゃないか」 「オヤジは俺がどうしようが何とも思っちゃいませんよ」 「そうでもないと思うよ」と達史は言った。それから彼は革のブリーフケースから書類を取り出す。「今度、市朋会に新しい融資の提案しようと思うんだが、どう思う」 東城は書類を見ようともしなかった。「達史さん、俺は株主ってだけで経営者ではありません。提案は、理事か事務局にしてください」 「もちろんそれはわかってる。意見を聞きたいだけだよ。なんだったらお礼をしてもいい。コンサルフィーを払うよ」 「俺は公務員だから副業禁止なんです。祖父が亡くなったからこの間ずっと市朋会のことで調整はしていましたが、正直、経営的な話には首を突っ込みたくないんですよ」 「警察を辞めて、グループに入るんじゃないのか?」 東城は肩をすくめた。「噂ではそうらしいですね」 達史は残念そうに書類をブリーフケースに戻した。「弘一郎の口利きがあれば、この融資案件に市朋会はのると思ったんだが、仕方ないな」 そして、今度は、封筒を取り出した。かなり厚みがあり、中身はわからないが、金のようにみえた。 「瑞斗の父親と僕は結構親しいんだ。彼に頼まれてね。なんというか、新しい奥さんとの間でいざこざがあって瑞斗が家を出る羽目にはなったが、よもやまわりまわって弘一郎の家で居候することになるとは思ってもみなかったそうだ。弘一郎に謝ってほしいって言われた。これはお詫びの印だそうだ」 そう言って封筒を東城の前に押し出した。 「それでね、恋人一緒に暮らし始めたばかりの家に子どもがいたら迷惑だろうから、瑞斗は、うちに来るといい」 「うちって、どこですか?」と東城は聞いた。 「僕のうちだよ。この前、奥さんと離婚したから、僕は今一人暮らしでね、ベッドルームはいくつか空いている。家が広くて困ってるからちょうどいいだろう」 「やっぱり離婚してたんですね」と東城はあきれたように言った。 瑞斗はわざとこの会話を気にしないふりをしてコーラを飲んだ。東城は、達史の申し出を受けるだろう。 瑞斗がこの家に来るのに反対していたのだから。それに、自分だって、ここにいたいわけじゃないのだ。 「懲りない人だなあ」と東城は続けている。「離婚したとか言ってても、とっくに新しい彼女がいるんじゃないんですか?」 「まだ、前の奥さんの荷物がうちにあるから、その辺が片付かないと彼女が来たがらないんだよ。奥さんの荷物があっても瑞斗は、気にしないだろう?」と達史は瑞斗に顔を向けた。「今日、これからでも移動できるよ」 「瑞斗は、後数日したら学校が始まるんですよ。環境が変わるのはよくないし、彼女とっかえひっかえしてる達史さんの家じゃ、教育上問題があるんじゃないんですか?」と東城は言った。彼は瑞斗を見る。 「達史さんち行きたいか?」 「どうでもいいよ」と瑞斗は口の中でつぶやいた。 「じゃあ、このままこのうちにいたらいい。広瀬も、お前がいると楽しそうにしてるからな。断りもなく達史さんの家に引っ越させたって言ったら、怒られそうだ。それに、裏の門直すときには手伝いが必要だし」と東城は言った。 それから封筒を達史の方に押し戻した。 「これはいりません。瑞斗の父親に頼まれたから泊めてるわけでもないし。うちもベッドルームは余ってるんで全く問題ないです。それにしても、瑞斗の前で言うのもなんですけど、自分の子供が知らない家にいるのに、様子を見に来ないで、よく金だけ持ってこさせられますね。良識というか、人間性を疑いますよ」 「彼も新しい奥さんが妊娠したり、瑞斗が学校退学になったりして、混乱してるんだよ」と達史は言った。「金はいらないというとは思ってた」 達史はそう言い、金の入った封筒をしまった。「人間性を疑うって弘一郎が言ってたって、瑞斗の父親に伝えておくよ」 東城は眉間にしわをよせた。目つきが悪くなる。「本人に言うなら、『子どもを何だと思ってるんだ。自分で来て謝れバカ野郎』って言ってください」怒った口調だった。 達史は苦笑していた。「弘一郎が面と向かってそういうことを言うだろうって思って、彼はここに来なかったんだよ」 「だから、バカ野郎だって言ってるんですよ」 「今度彼に何かの会合で会っても、殴りつけたりしないでくれよ」 「そうするには俺も大人になりすぎましたよ。残念ですがね」 東城は立ち上がった。達史もコーラのグラスをローテーブルに戻した。そして瑞斗に言った。「このうちにいたくなくなったら、いつでも僕の家に来るといい。歓迎するよ」 それから、彼は東城に挨拶して、帰っていった。 その後東城は、「干渉しない」という言葉通り瑞斗に何も言わず、夜まで外出していた。 広瀬が帰ってくる頃もどってきて夕食を一緒に取ったが、彼は今日の達史が来た話はしなかった。そんなことはまるでなかったように、いつもと同じようにどうでもいい話を広瀬にしていた。

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