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小瓶と馬油。

 Ⅷ  暖炉ではぱちぱちと乾いた音を立て、橙色の炎が軽やかにダンスを踊っている。室内は屋敷の中よりもずっとあたたかだった。  部屋に着くなり、セシルはふかふかのベッドの脇に下ろされた。  カールトン卿は情にあふれた紳士だ。彼と話しているただそれだけで、すぐに泣いてしまいそうになる。セシルの目はこうしている今も涙で潤んでいた。顔も上げられず、俯いたきりになっていると、彼がすぐ目の前で跪いた。 「手を出して」  左の手を差し伸べ、そう言った彼の口調はすっかり元に戻り、いつもの包み込むようなベルベッドの優しい声音に戻っている。 「手?」  何事かと思って右の手を差し出せば、彼はおもむろに懐から平べったい瓶を取り出した。  カールトン卿は瓶の蓋を開けると、クリーム状のものを掬い取る。  彼の左手が差し出したセシルの右手を逃げないよう包み込み、取り出したクリームを塗っていく……。 「もう片方もだ」  右手が終われば左も同じように――水分を失っている乾いた手が、塗られたクリームによって潤いを取り戻していく。 「あ、あのっ?」  この薬はいったいどうしたのだろう。セシルが尋ねると、カールトン卿はすっと目を細め、口を開いた。 「(あかぎれ)によく効く馬の油だ。これは兵士が捻挫した時によく使用されるものでね。切り傷にも効く優れものなんだ。君の手はきっと今に元どおりになるだろう」 「そんなっ! 僕なんかにいけません!」  実物こそ見たことはないが、たしか馬油は高価なものだと聞いたことがある。当然、貴族とは名ばかりの自分が容易に使える代物ではない。

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