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逃げられない。

 頭の中が霞がかっていく……。 「……カールトン卿」  本当にこの声は自分のものだろうか。彼の名を呼んだ声はとても甘ったるい。  いったい自分は今、どういう顔をしているのだろう。  呆けてしまった頭では、もう何も考えることができない。  セシルは顔を上げ、彼を赤い目に写す。  こちらを見つめる彼の双眸はいつもとは違う。サファイアの瞳の奥には炎が宿っていた。 「ヴィンセント。そう呼んでくれないか?」  彼の、空いているもう一方の手がセシルの後頭部へとまわる。  セシルのうなじにある髪の毛の数本が彼の指によって掬い取られた。  彼は長い指にセシルの巻き毛を絡め、クルクルと円を描いて遊んでいる。  根元がくすぐったい。  でもそれだけじゃない。触れられたそこからじんわりと熱を帯びる。 「ヴィン、セント……」  セシルが彼の名を呼んだその途端だった。身体の芯から熱を帯びるのを感じた。生まれた熱は甘い痺れをもたらす。すると彼の腰を跨いでいるそこに意識が集中してしまう。  セシルは、例えば社交パーティーで淑女が紳士を誘惑するかのように、自分もまたカールトン卿を誘惑しているような気分になった。  しかも今、自分は両足をひらいて彼に跨っている。熱を持ちはじめる下肢が彼の下腹部に触れている。この体勢はいくらなんでも恥ずかしすぎる。  そう思うのに、視線は彼に釘付けだ。彼から目を逸らすことができない。  セシルの下肢に、また新たな熱が宿る。 「……セシル」  ベルベットの甘い声がセシルを呼ぶ。  骨張った大きな掌がセシルの頬に触れた。  そっと顎を持ち上げられれば、セシルは簡単にサファイアの瞳に捕らわれた。  ――いや、違う。  彼の瞳には初めて出会った時からすでに捕らわれている。 (――なんて綺麗なんだろう)  カールトン卿の星空のような瞳に自分が写る。それはまるで宇宙のようだ。美しいサファイアの瞳。  こうして見つめているだけでも宇宙という彼の瞳に吸い込まれて消えてしまいそうだ。

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